九十四話:デストーチと青い炎


 僕達が歩いてきた方から、すこし左――南側に逸れたところ。

 生い茂った枝葉やその上に積もった雪の深く暗い影の中に、それは浮かんでいた。


 紫色の炎。

 それが二つ、左右の木のまんなかくらいの高さで、すこし間を取って揺れている。

 ヒトが松明を掲げているようには見えない。


 だって、ヒトなら炎もあるから顔が見えると思うし、燃えそうな枝に火を近づけないもんね。


 炎はゆっくりと上下しているんだけれど、枝を炎が被っている時がある。

 焦げの香りはしないし、べつの炎は上がっていないから、火事にはなっていないと思うけれど、見ていて心配になる。


 ズササッ


 ん?


 すこし前から草木を掻き分ける音。

 ボサリと、気のせいか大きくなった炎のすぐ右隣りの木から、雪が落ちる。

 次は左隣りの木から。

 なにかの荒い息遣いが聞こえる。

 気のせいかまた……ううん。炎が、大きくなってくる。


「あっ、わわわわわたしいやみんなでちょっと逃げ、助けを呼びに行きましょう!」


 声のした方――すこし右に視線をずらすと、なんだか今にも走り出しそうな構えのニト。

 猫さん達も一緒に行こうと、同じ方へ向いている。

 助けを呼びに行くのはいいんだけれど、ちょっと待って!


『ニト! 待って!』


「え、何です」


『そっちは西だよ!』


「……」


 ピタッと止まったニトが、片足のまま器用に向きをこっちに変えていく。

 猫さんは驚いた様子で、ぽかーんと口を開けてそれを見ている。


 バサッとすぐ目の前の草を掻き分けて、丸太みたいに太い毛むくじゃらの前足が出てくる。

 厚い雲越しの日の光に照らされて、影に隠れていた大きな顔が見えてくる。


 狼さん達に似た頭。耳のすこし前から鼻までを隠すのは、鈍く輝く鉄の兜。

 その目元にはたくさんの縦に長い覗き穴があって、目のように並んだ二つの紫色の炎がそこから覗く。

 兜から下は暗い灰色のもじゃっとした毛で覆われていて、なんだか熊さんみたい。

 開かれた口からは荒い息と一緒に、大きな舌がでろーんと出ていた。


 赤べえよりもすこし大きくて、イルフロルよりも小さい。

 見た目からだと、熊さんか狼さんかな?

 顔は狼さんだから、デストーチは狼さん?

 まあいいや! まずは挨拶しないとね!


『こんに』


「みなさん逃げますよぉおお!!」


 え!?


 ニトのかけ声で一斉に猫さんが走り出し、鳥さんが飛び立つ。

 ひとりの西へと走っていく猫さん以外は、みんな一目散に東へ向かって行く。

 ガサリと西の方で音が立ち、デストーチがそれに反応して西へと走り出す。


 え!?

 みんないなくなっちゃった!


 にゃー! と声がしたと思ったら、すぐ西側に生えていた木の上からデストーチが跳び出してきた。

 僕を跳び越していくデストーチの口には、首の辺りを咥えられた猫さん。

 デストーチは僕のうしろに大きな雪の足跡を残して着地すると、まっすぐニト達を追いかけて東へと消えていった。


 …………僕も追いかけないと!?


 体の中の魔力の流れを速くしていき、走り出す。

 足跡を辿って大きな道を進んでいくと、すぐにデストーチの大きなおしりと尻尾が見えてきて、それからすこしもかからずに追い付いた。


 ゆっくり走っているみたい?


 デストーチの横に付けると、すぐ前を走るニト達が見えてくる。


 すこしだけれど雪があるのに、ニト、走るの速いね! すごい!

 って、そんな場合じゃないよね!


 鳥さん達を肩にのせて、猫さん達と一緒に走るニトへと近づく。


『ニト!』


「あ、ワカなんとかさん! 助けてくださーい!」

 

『僕は若葉だけれど、それよりなんでこの道を走っているの?』


 デストーチは体が大きいから、逃げるなら木があるところを走った方がいいのに!


「木が! 木が裏切ったんですぅー!」


 木が、うらぎる?

 それってどういう――


 うしろで重たい音がしたと思ったら、大きな影がうしろから前に過ぎる。

 思ったよりも小さな音を立てて、僕達を跳び越したデストーチが、その顔を僕達に近づけてバウッと吼えた。

 その口からポロッと外れた猫さんを、デストーチが地面に落ちる前にまた口でキャッチする。


「み、右!」


 ニトが進む方向を右――南にずらすと、すかさずデストーチがその前に出る。

 デストーチのうしろに生えた木々の間隔が、僕が通れなさそうなくらいに狭くなっていた。

 デストーチに咥えられた猫さんが、あくびをした。


「あ、え、猫ちゃんさん!? 猫ちゃんさんなんで!??」


 デストーチに咥えられた猫さんに気付いたニトが、驚いた顔をしながらも北側の森へと走り出す。

 北側の森は、僕やニトが十分通り抜けられるくらいの間隔に木が生えていた。

 鳥さん達と猫さん達を数えてから、ニトの隣りに付いて走る。


 鳥さん達はみんなニトに留まっているから大丈夫。

 猫さん達は……うん。デストーチに咥えられちゃっている子を入れて、みんないるね! 最初から数えていないから、たぶんだけれど!


「あの猫ちゃん何で捕まっちゃってるんですかってえへぇ!? ついて来てますぅー!!」


 魔力感知で前をみながら走って、ちょっとうしろにふり返る。

 すると、さっきよりも木の間隔が広くなったところを、デストーチが追いかけてきていた。でも、木が動いた跡とかは見当たらない。

 僕とニトが通り過ぎた木々の間が、デストーチに近づくにつれてどんどん広くなっていく。そんな感じ。


 どうやっているかはわからないけれど、すごい!

 あれも魔法なのかな?

 あと、デストーチはどこに僕達を向かわせているんだろう?


「うぅ〜でも怖い……よし! 決めた! 決めました!」


 両手で頭を抱えていたニトが、急にデストーチへと向き直って、雪煙を上げながらその場に止まる。


「ワカなんとかさんは、そのままその子達を逃してください! あの猫ちゃんはわたしが助けます! 鳥ちゃん達も行って!」


『え、わ、わかったよ!』


 本当はニトと一緒にデストーチをなんとかしたかったけれど、猫さん達と鳥さん達を頼まれちゃったから、そのまま走る。

 うしろの方からニトの声と大きな爆発音が何度かしたあと、ひとりの猫さんがにゃー! と元気に鳴きながらうしろから追いついてくる。

 そのうしろの重たい足音も、また近づいてくる。


「助けてくださぁーい。食べないでくださぐっ、し、絞まう゛」


 ニトの首のうしろの服を咥えたデストーチが、変わらず元気な足取りで追いかけてくる。

 ニトが苦しそうにしているのに気が付いたのか、デストーチがニトをグンッと上に投げて、自分の背中にのせた。


 ニト! 無事でよかったー!


「わ、ちょ、こ、これはこれで振動ががががが」


 落とされたら堪らないと、デストーチの背中にしがみ付いたニトが弾む。

 散らばって逃げようとした猫さんや鳥さんも、デストーチや急に狭くなった木々に通せんぼをされて、また一塊にされる。

 そうして森の中を進んでいると、ついにポッカリと開けた場所に出た。


 雪で一面まっしろなところに、なにかがあるのか、盛り上がっているところ。

 そして、その上にちょこんと座っていたのは――


「おーはなまる帰って来たか……て」


 暗い青色のローブを着た小さなヒトが、そのローブの影かなにかでまっくろな顔を向けて、まぶたからキラリと光る青の瞳を覗かせた。

 すぐにまんまるに目が見開かれると、その背丈よりずっと大きな先の曲がった杖で、ドフッと地面を突いた。


「にゃんか沢山来たー!」とそのヒトが叫ぶと、思わずと言った感じで吐かれた青い炎が宙を踊って消えた。

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