ステンドグラスクッキー越しのアラザンの雨
お兄ちゃんの無茶ぶりから1週間後。小粒の雨が早引きのピアノの如く、止まることなく窓を叩き続けている。雨粒にささやかなメロディーぐらい見出せればよかったけれど、大音量で上ずる強風が主張しているせいで心が落ち着くとかそんな穏やかさとはかけ離れた様相だった。
そんな中、いつもの時間にお兄ちゃんが家にやってくる。予告通り、お客さん……思った以上に可愛い女の子を連れて。
「……見かけが思った以上に親子なんだよなあ」
「第一声がそれかよ。……あーほら、俺も能力出たのが高校生の頃からだから、なんか一番共感しやすいんじゃないかって」
「いややっぱ親子じゃん」
「瑞希お前な……」
軽い冗談を交えた私達のやり取りに女の子が肩を震わせる。きゅっと縮みこんで私達を見上げるその子は、背の低さも相まって神経質な小動物のようだった。
お兄ちゃんに促されて、ようやくその子が口を開く。
「斎藤詩音といいます。小沼さんに、お世話になっています」
か細い、消えそうな声。大人二人で囲んでいいのか凄く罪悪感がある。普段、お兄ちゃんとだけだったらカウンターにもたれて立ち話をしているのだけれど、さすがに悪いので机に、斎藤……ちゃんで大丈夫かな。とにかくその子を案内しつつ麦茶を出す。別に面談をやるわけじゃないんだけど、お兄ちゃんと同じ側に座って斎藤ちゃんの様子をうかがった。
「あの、急にお邪魔してすみません……」
「謝らなくていいのに。……お兄ちゃんになんか言われたりした?そういうの無視して平気だと思うよ?」
「言ってねえし、そもそもお前の事紹介すらしてねえよ……。詩音、聞いた通りだが瑞希は俺の妹なんだよ。同じように能力者だから普通に喋って平……」
「いや待って私はともかくその子も下の名前で呼んでるの?!」
「なんか今日よく突っかかってくるな!突然保護者になれって言われた俺の気持ちわかる?!」
「親子じゃん!というかどっちかっていうとオヤジじゃん!!」
「そのニュアンスやめろ!俺はまだ一応30代だ!」
私達はわかってて言葉を強く言い合えるのでいいのだが、割と本気の喧嘩に見えてしまったのか、悲しそうな眼をして斎藤ちゃんが振り絞るような声を出す。
「あの、……瑞希さん、でいいんですよね。……これからずっと迷惑をかけたら、すみません」
「……へ?」
「あーそうだな……瑞希。首見てくれ」
お兄ちゃんに言われるままに、斎藤ちゃんの首を見る。見慣れた機械がついた、黒いリボンのチョーカー。……この監視リング、黒色あるんだ。なんだっけこれ。
「詩音の異能波及強度は測定不能なんだよ。だから最高ランク扱いの黒色だ。どんな能力か言うかどうかは本人に任せるとして……能力まんま一般人に見られてちまってな。ごまかしようもないから見た奴もまとめて厳戒態勢で監視下だ。そういう意味では親子って言い得て妙だな。……詩音本人も、戸籍上は不慮の事故で死んだことになってる」
「死ん……はぁ?!いや普通は監視きついってのは知ってるけどそこまですんの!?」
お兄ちゃんの能力で能力者探しをする都合上、お兄ちゃんは高確率で能力者と早いい段階で出くわす。そして、それぞれの能力者に対する対応を横で見ているから知っている。その時の気持ちを吐き出しにガス抜き集会を提案したけれど……いや今日の議題、めちゃくちゃハード過ぎない?
当の本人……斎藤ちゃんが、自分の辛い話題になったせいかもう泣きそうになっていた。うつむいて下になびいた黒髪が、うるんだ大きな目を隠す。前下がりの内巻きボブが、小さく震えているのが見えた。
「わたしが……悪いんです。皆みたいにちゃんとできなくて、できなかったことを怒られて、何やってもずっとそんな感じで……」
「勘違いするなよ。状況聞いたが、君に降りかかったのは間違いなくいじめだ。それは普通に怒っていい事だろ」
「だって、わたしがあの時怒らなければ……わたしじゃなかったら、こんなことにならなかったのに」
知らない私はいまいちピンとこないのだが、能力が出ちゃった……ってことなのかな。いや、いじめ自体が駄目なんだけど。そこはお兄ちゃんと同感なんだけど。こんなかわいい女の子いじめといても被害者扱いになるの、それはそれでちょっとむかつくな。
きゅっとさらに縮みこんで、ものすごく時間をおいて……ようやく斎藤ちゃんが口を開いた。
「わたし、怪獣に、なっちゃうんです。それが能力だ、って言われて……」
「えっ、何それ凄くカッコいい」
この重い空気の中、スパァンと高らかに音が響く。出所は私の頭で、鳴らしたのはお兄ちゃんの手元のレシピ雑誌だ。横のお兄ちゃんはというとなんとも言えない顔で、口だけが「あのなあ」と動いていた。
斎藤ちゃんも、予想外のコメントとお兄ちゃんの凶行もどきにぽかんとしている。……あ、これ私やっちゃった奴だ。こういう時いい感じに言葉選びとかするの、ほんとダメなんだって。
「カッコいい……んですか?」
「あ、あはは…………私、能力者だけどランクなんてEだよE。もう月とスッポンだよ。それからすると、なんかカッコよく聞こえちゃって……いや、ごめんね?」
こういう時は、素直に言わないと余計に拗れる。そんな能力もあるんだ、と内心だいぶはしゃいでしまったので、今すごく恥ずかしい。
斎藤ちゃんはというと、明らかに怒ったり悲しんだりはしてないんだけど、なんだかすごく申し訳なさそうな顔をしていた。……なんで?
「わたし、怪獣になるのが怖くて。痛かったり、わたしがいつものわたしじゃなくなってるなら能力のせいだけど……体がどんどん変わっていくのに痛くないし、中身がわたしのままなのが、凄く怖い。いろんな大人の人にも嫌な顔をされるし、こんな能力なかったらいいのになあ、って思ってたら……本当になくなっちゃって」
「なくなるなんてこと、あるんだ……」
「今度は『どうしてなれないんだ』って、また今日も怒られてきたところなんです。だから、……カッコいいって言ってくれたけど、ごめんなさい」
……参ったなあ。知らなかったとはいえちょっと空気の修正をしようがない。気が付くのが遅すぎるけど、今日の趣旨がようやくわかってきた。これ、お兄ちゃんが何とかしてもぎ取ってきた、斎藤ちゃんの気分転換タイムなんだ。うわあ、どうしよう。
自分じゃどうしようもないので、お兄ちゃんに目配せをして助けを求める。仕方がないなあとでも言いたげに、お兄ちゃんが肩をすくめる。そして私並みに空気を読まずに伸びをして私に大声で話しかけた。
「ところで、いつものあるか?まさか詩音の分も含めてまだできてないとかじゃないよな?」
「え?あーそうだ忘れてた!ごめんちょっと待ってて!」
ナイスアシスト、と思いつつカウンター裏に置いていたパフェグラスを手に取り、お兄ちゃんの目の前に置く。お兄ちゃんのオーダーは、いつもきまって私が作ったパフェだ。普通に喉の渇きを潤すのにお茶ぐらいは飲むけれど、お兄ちゃんはこのパフェと自分のガス抜きのために時間を作っている。
……私達にはいつもの光景なんだけど、今日はもう一人ゲストがいる。斎藤ちゃんが、私のパフェを見るや否やあまりの衝撃に訳も分からず立ち上がってしまった。振る舞いが「びっくりして毛を逆立てた子猫」のそれで私はうっかりほっこりしたけれど、斎藤ちゃんはそれどころじゃないみたいで。
「あの、小沼さん?それ……食べても大丈夫な奴ですか?」
「ん?うん。毎週の俺のご褒美」
「だだ、だって、七色に光ったりパチパチ花火が出てるパフェってさすがに食べちゃダメじゃないですか……!」
「いや、動画メインだからよく爆ぜてんだろ?これじゃ人は死なねえよ」
「何言ってるんですか?!」
斎藤ちゃんが凄く慌てているのも無理はない。そう、私のパフェは普通じゃないのだ。これが本物の食べ物だったらお兄ちゃんはゲテモノフードファイターということになってしまう。もちろんそんなことはないので……単純に、これは食べ物に見える別の何かなのだ。
「斎藤ちゃんには花火見えるんだ?私はさっぱりだしそもそも色ちょっとぼやけてるし……まあお兄ちゃんにはいいものならそれでいいんだけどさ。あ、ちなみに今日のはバズった動画がこの前話題になってたから投稿サイトのアプリがメインだよ」
「あーそれ合間にちらりとスマホで見たわ。それで掘るとスタンプがコロコロ出てくんのか。そんな盛り上がってたのかアレ」
「スタンプ…………?ええ……??」
「意味の分からないことを言い始める大人たちに全くついていけない女子高校生」を一人作ってしまったところで、お兄ちゃんが噴き出して小刻みに揺れ始める。笑いをかみ殺しきれずに漏れる声が、スタッカートの如く跳ねている。さては、私の料理を何も説明しないで見せるのが目的だったな、お兄ちゃん……乗っかった私も私だけど……
「種明かししようぜ瑞希。俺のより詩音向けの奴が今日のメインだろ」
「……わたしの分もあるんですか?」
「うん、斎藤ちゃんの分も別のものだけど用意してあるよ。飾りつけだけ残ってるから、見る?」
何気ないこの言葉で、私達は今日一怯えて顔面蒼白な斎藤ちゃんを見ることになる。若干傷つく私をよそに、お兄ちゃんの高笑いが響いたのだった。
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