最終話 生涯貴方を愛し続けます〈しょうがいあなたをあいしつづけます〉

 政幸まさゆきは息を切らしながら走っていた。

 目的は新幹線ホーム。

 昔より痩せたと言え、運動不足と年齢的な理由で体力的にかなり辛いものがあった。

 だが、そんな事は言ってられない。

 茉莉まつりと東京で会える機会はこれが最後かもしれない。


 駅に到着した。

 汗まみれになってしまっている。

 さすがに首都にある新幹線のホームのあるターミナル駅だ、人が多く利用している。


 ここからはさすがに走る訳には行かない。

 だが、普段地下鉄ばかり利用している政幸まさゆきにとっては都合が良かった。

 駅はとにかく広い。

 下手に走って案内の看板を見逃すと迷いかねない。

 政幸まさゆきは新幹線ホームの案内板を見逃さない様に足早に駅構内を歩んでいた。

 気付くと新幹線の券売機があるコンコースへと来ていた。



 さて、ここからが問題である。


 茉莉まつりを見つけられるか・・・。


 携帯に連絡を入れれば簡単な事だろう。

 だが、たとえ掛けても出てくれないと意味はない。

 それに・・・。

 会社に携帯を忘れてしまったようである・・・。

 花桜梨かおりの日記帳は忘れずに持ち出したのだが、よりによって最悪時に役に立つかもしれない携帯を忘れるとは・・・。

 今から、会社に取りに行くべきか?

 いや、取りに行って茉莉まつりとすれ違いになったら目も当てられない。

 取り合えず、新幹線ホームへの入場券はすでに購入している。

 その後の事は後から考える事にする。





 ホームに立ち入るべきか、新幹線のコンコースで茉莉まつりを探すか悩んでいた。

 取り合えずコンコースを一周した後にホームへ入場する事に決めた。


 コンコースを一周している。

 茉莉まつりの姿は見当たらない。

 まだ茉莉まつりが旅立っていないのなら、やはりホームで待つのが確実だろう。

 政幸まさゆきは改札に向かった。


 新幹線ホームへの改札へ向かっていると、なにやら見覚えのある人物が居た。


 茉莉まつりだ!


 思ったより簡単に茉莉まつりを見つけることが出来た。


 茉莉まつり政幸まさゆきの存在に気付いた様だった。





「おじさん・・・。」


 少し気まずそうだったが、すぐに政幸まさゆきに懐いていたいつもの茉莉まつりの表情になった。


「一人で旅行でもするの?」


 茉莉まつりなりの冗談だろう。


「うん、会社さぼって。」


 茉莉まつりは笑い始めた。


「荷物はおかあさんの日記ね。」


 茉莉まつりとのちょっとした会話が、政幸まさゆきの気持ちを心地好いものにしてくれている。


「大事な物だからね・・・茉莉まつりちゃんにこれを返そうと思って、持って来たんだ。」


 政幸まさゆき花桜梨かおりの日記帳を茉莉まつりに手渡した。

 茉莉まつりは戸惑いながらも受け取ってくれた。


「おじさん、日記返しに来たって事は、おかあさんの最後の言葉見つけちゃったんだね・・・。」


 茉莉まつりは少し寂しそうな表情をしている。


「うん・・・見つけちゃったよ・・・まさか表紙に最後の言葉があるなんてね・・・。」


 花桜梨の最後のメッセージ

 −私のことはわすれてしあわせに−


 実に花桜梨かおりらしい気遣いの台詞である。


「そっかーっ、日記持ってたら、おかあさんの事忘れられないもんね・・・。」


「おじさん、わたしおかあさんの最後の言葉だけはおじさんに教えなかったよね?」

「どうしてか解る?」


 何となく察してはいるがあえて首を横に振ってみた。


「おかあさんとわたしはそっくりなんだって・・・。」

「だから、おかあさんのこの言葉をおじさんが知ったら、絶対わたしにはチャンスは無くなると思って言い出せなかったの・・・。」

「わたしの姿を見たら、おじさんはおかあさんの事、絶対思い出すと思うの・・・。」

「だから言えなかった・・・。」


 茉莉まつりは笑っていた・・・。

 明らかな作り笑いだ。


「勝手におじさんから離れて、故郷へ帰って、止めはおじさんにフラれるなんて・・・。」

「わたし最高にカッコ悪くて惨めだね・・・。」


 今の茉莉まつりに慰めの言葉をかけたら、確実に泣き出してしまうだろう。

 そんな茉莉まつりの姿は見たくはない・・・。

 政幸まさゆきは話題を切り替える事にした。


「そーだ、茉莉まつりちゃん、蛍子けいこさんの様子って今はどうなの?」

「以前、家に電話掛けたんだけど、誰も出なくて。」


 茉莉まつりの表情は少し固くなってしまったが、蛍子けいこの現状を話してくれた。


「うん、退院したけど後遺症が残ってて、生活が不自由なの・・・。」

「今は手足が痺れてて、あまり具合は良くないみたい・・・。」


 切り替える話題を失敗したと後悔したが、蛍子けいこの事は心配だった為、一先ず現状を知れたことは良かったのかもしれない。


「わたしね、伯母さんがあんな事になってすごく怖かった・・・。」

「伯母さんはわたしにとっては、やっぱり母親なんだと気付かされたの。」

「おばさんは、わたしの本当のお母さんに遠慮して『伯母さん』って呼ばせてた様だけど、これからはわたし、伯母さんの事『お母さん』って呼ぶって決めたの。」


 茉莉まつりの事を娘として誰よりも愛情を注いでいる蛍子けいこの事だ、茉莉まつりにそう呼ばれるのは嬉しいに決まっている事だろう。


「うん・・・それがいいよ!」

「実の母と育ての親、お母さんが二人も居るって愛情二倍で茉莉まつりちゃんは育って来たって事だね。」


 そして茉莉まつりは再び、寂しそうな表情になっていた。


「うん、母の愛情二倍だから・・・おじさんの事はきっと忘れられるよ・・・。」


 政幸まさゆき茉莉まつりからその言葉を聞いた時、息苦しくなっていた。

 この歳の差で、しかも花桜梨かおりの娘・・・。

 上手く行くはずはなかった。

 最初は茉莉まつりを突き放していたではないか?

 茉莉まつりとは深い関係にならない様に望んでいたのではないか!?

 だが、この感情はなんなんだ?・・・。


「伯母さん・・・ううん、お母さんはあの家実家からは離れたくないと思うの。」

「思い出が一杯の家だから。」

「お母さんは『私の事は気にせず、あんたの好きなようにしなさい。』と言ってくれたよ?」

「でもそんなお母さんを・・・そんなお母さんだからこそ一人にしちゃいけないと思ったんだ・・・。」


 茉莉まつりは悲しみの表情になっていた。

 涙を必死でこらえているのだろう。


「わたしは、おじさんが大好き・・・世界で一番好き・・・。」

「でも、今日を最後にこの言葉はもう言わないよ・・・。」


 茉莉まつり政幸まさゆきの事を『世界で一番好き』と言ってくれた。

 だが『愛してる』とは言ってくれなかった。

 政幸まさゆき花桜梨かおりに対して抱いていた感情は『愛してる』だった。

『好き』と『愛』では重みが違う。

 やはり茉莉まつり政幸まさゆきの事は『好き』だけど、『愛してる』訳ではない様だ。

 やはり、只の『おじさん』のままの方が、お互いの為だろう。

 茉莉まつりが『愛してる』と感じられる異性がきっとその内現れる事だろう。

 願わくはその異性と茉莉まつりが結ばれてくれたら・・・。

 それが一番いい事なんだと。


「おじさん・・・そろそろ行くね・・・。」


 茉莉まつりの乗る新幹線の発車時刻が近づいているのだろう。


「うん、ホームまで見送るよ。」


「ありがとう、おじさん・・・。」


 茉莉まつり政幸まさゆきのその言葉を望んでいたかの様に表情が少し柔らかくなっていた。

 そして、二人は黙ったまま改札を抜け、ホームへ向かった。





 ホームに到着すると茉莉まつりの乗る新幹線は、既に待機していた。

 発車まで直前になるまで二人には会話が無かった。



 無言で横並びになっていた二人だったが、そろそろ出発の時間が迫っているのだろう、茉莉まつりは落ち込んだ表情になっていた。


「おじさん、そろそろ行くね・・・見送りありがとうね・・・。」


 茉莉まつりは新幹線のデッキに入って行った。

 茉莉まつりはそこで政幸まさゆきの居る方向に振り向いた。


「おじさん!」


 茉莉まつりに呼ばれた為、茉莉まつりに近づく。

 茉莉まつりに近づくと、茉莉まつり政幸まさゆきの首に両手をまわし、抱きしめていた。


「おじさん・・・あのね・・・あのね・・・。」

「わたし、おじさんに言いたかった事があるの・・・。」

「おじさんの言葉を借りちゃうのだけど・・・。」


 新幹線の発車のベルが、けたたましく鳴りはじめた。


 茉莉まつりは、政幸まさゆきを更に強く抱きしめた。


「生涯貴方を愛し続けます・・・。」


 茉莉まつりはそう言うと、抱きしめた両手を少し緩め、政幸まさゆきの唇に軽くキスをした。


 そして茉莉まつり政幸まさゆきの肩を両手で軽く押し距離を取らせた。

 表情は笑みを浮かべている。


 新幹線のドアが閉まった。


 ドア越しの、茉莉まつりは先程と同じ表情をしている。

 だが少しだけ違っていた。

 その眼には大量に涙が溢れていた。


 発車した新幹線はあっという間に茉莉まつりの姿を確認できなくなる速度で加速して行った。


茉莉まつりちゃん・・・ダメだ・・・。)

(その言葉を使って自分を縛っては・・・。)

茉莉まつりちゃんは、俺の事なんか忘れてもっといい男と幸せにならないと・・・。)


『生涯貴女を愛し続けます』


 その言葉で今までずっと縛られてきた政幸まさゆきは、茉莉まつりがそうならない事を願う。


 そして自分の事など忘れて、他に良い人と幸せになってほしい・・・。


『私のことはわすれてしあわせに』


 花桜梨かおりの最後に残したメッセージを書いた気持ちが、今はっきりと政幸まさゆきには理解できた。


 そしてしばらくの間ホームで立ちすくんでいた。

 茉莉まつりの最後の涙顔がどうしても頭から離れなかったのだ。


 茉莉まつりが去り際に残した、初めての『愛』が含まれた言葉は、政幸まさゆきの今後の行動に深く影響する事となる。








 − 数年後 −


 政幸まさゆき達のプロジェクトの結果は大成功となっていた。

 社員を犠牲にしない、夢の様な会社改革を見事に達成していたのだ。

 プロジェクトチームは解散となったが、そのリーダーである沢渡さわたり 美春みはるの役員としての任期は終わっており既に会社を去っていた。

 様々な功績を残した為、社としても美春みはるを再度雇用したかったらしいが本人にきっぱりと断られたらしい。


「私は、残りの人生教育者として生きて行きます。」


 その言葉を残して。


 美春みはるの事だ、生徒に寄り添った理想の教師になっている事だろう。

 まったく、美春みはるを師にする生徒達が羨ましい。



 政幸まさゆきの亡き親友であった下野しもの 真司しんじの未亡人であり茉莉まつりの伯母であり養母の蛍子けいこは徐々に回復している。

 今は普通の生活を営んでいる。


 昔の行動的な蛍子けいこを知っている身としては嬉しい限りである。



 そして・・・。




小山田おやまだ君、私は帰宅するから、後は宜しく。」

「あまり無理をしない様に、帰れる時にはとっとと帰るんだよ?」


 課業終了時間となった瞬間、足早に家路につく男が居た。

 男の姿が見えなくなると一人の男性社員が、小山田に話しかけた。


「課長っていつも残業もせず、すぐに帰宅しますよね?」


 小山田は眉をひそめている。


「コラ! うちの会社では、上長でも名字に『さん』付けで呼ぶのが決まりだぞ!」


 男性社員は気が悪そうにしている。


「すみません・・・俺中途採用なので、前の会社の癖が・・・。」


矢野やのさんが早く帰るのは良い事だよ、俺達にとってね。」

「上司がいつまでも帰宅しないと、部下は帰りづらいだろ?」

「それに矢野やのさんは、時間内にやるべきことは全てやりきって帰っているんだ。」

「うちの会社は、社員の残業は推奨してないしな。」

「残業代は出るけど、時間内に仕事を終わらせられないのは、能力に疑問を持たれるぞ?」


 小山田おやまだは男性社員をからかっている様だ。


「でも矢野やのさんって、毎日、足早に帰りますよね?」


「ああっ、若い奥さんもらってその奥さんが身重だそうだからな。」


「えーっ! そうなんですか?!」

「ちなみに。歳の差はおいくつぐらいなんです?」


「相当離れているらしいって話だけど、夫婦で並んでいると親子に見えるとかなんとかって話だ。」


「えーっ、それはすごい! 矢野やのさんって初婚でしょ? 一世一代のチャンスに恵まれたって訳だ!」


 小山田おやまだは懐かしいものを思い出したかのように遠い目をしていた。


「いや、矢野やのさんは以前にも、二十歳以上も離れた女性社員に情熱的にアプローチされて居たからな・・・。」


「えーっ! マジですか?!」

「でも、若いだけの男に縁のない、矢野やのさんの地位目的の女って落ちじゃないでしょうね!?」


 小山田おやまだはムッとした表情になった。


「とんでもない! その娘は仕事の評判も良くおまけに、ものすごい美人だったんだぞ!」

「まあ、退社してその後は縁は切れたみたいだけどな・・・。」


「マジですか?! 矢野さんすごいですね!」

「あれ? 小山田おやまだ係長・・・なんで寂しそうな表情しているのですか?」


「うるさい!余計なお世話だ!」

「それに、俺の事は『係長』ではなく『小山田おやまださん』と呼べ!」


「あっ・・・すみません・・・。」










 一方、政幸まさゆきは自宅へたどり着いていた。


「ただいま!」


 政幸まさゆきの妻が、政幸まさゆきを出迎えてくれた。


「おかえりなさい。」


 妻は身重の様で、腹部がかなり大きくなっている。


 政幸まさゆき達は奥の部屋に向かって行った。


「今日、帰り際にしげさんに会ってさ、最近付き合い悪いって言われちゃったよ・・・。」

「まあ、今の事情は理解してくれているみたいだけど、子供生まれたら絶対顔を見せてくれと言われたよ。」


「まあ、しげさんったら、この子の事自分の孫のつもりなのかしら・・・。」


 妻は大きくなっている自分のお腹をゆっくりと子供の頭を撫でる様にさすっている。


 奥の部屋に入る政幸まさゆき達、この部屋は仏間の様だ。


 仏壇には三つの位牌が見受けられた。


 政幸まさゆきは仏前で手を合わせている。

 帰宅したらすぐに仏壇前で手を合わせる、これが政幸まさゆきの日課となっている。


「あっ、そういえばお義母さんは?」


 妻は静かに笑っていた。


「もう、ったら・・・また言われちゃうわよ? 『私より年上の息子にお義母さんって呼ばれたくない!』って・・・。」


 妻は笑いが止まらずクスクス笑いながら、


「お母さんはこっちに来てから通っているスポーツジムで知り合った奥様方と、今日は飲み会ですって。」


「相変わらず元気だな・・・。」


「そうね・・・。」


 二人の表情は呆れているかのようだった。



 妻は話を切り替えた。

 この話題を政幸まさゆきに話したくて政幸まさゆきの帰りを待ちわびていた様である。


、今日ね赤ちゃんがお腹を蹴ったのよ。」


「本当か?! 随分元気な子みたいだな!」

「早く生まれてこないかな・・・楽しみでしょうがないよ・・・。」


「それはわたしだって同じ気持ちよ?」


「でもこの子、可哀そうだな・・・。」


「どうして?」


「だって、父親がこんな年齢だし・・・参観日とかに俺が行ったら、俺の事見たクラスメイト達に『お父さんというよりみたい』っていじめられないだろうか・・・。」


「もう、ったら考えすぎよ。」


「でも、君が参観日に行けば逆に鼻が高いだろうな。」


「どーしてよ?」


「だって、こんなに綺麗で素敵なお母さんって、みんなに羨ましがられるだろ?!」


「はいはい、もー褒めすぎ、解ったから、夕食にしましょう。」


「あーそうだね、今日はおかずは何かな?」

「君の作るご飯は、何でも美味いからな・・・。」


 二人は仲睦まじく仏間を後にし、キッチンへと向かった。



 二人が去った仏間の壁には三つの遺影があり、仏壇の前の経机には、花桜梨かおりの日記帳が大切に置かれていた。



 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生涯貴女を愛し続けます! 杉田浩治 @cameo111

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ