第41話 エピローグ:もうひとりじゃない

 翌日、目を覚ましたジョゼは、自分のしでかしたことを思い出して寝台の中で悶絶した。

 なんてことをしてしまったのだろう。

 昨日の身体の疼きはすっかり消え、後に残ったのは顔から火が出そうなほどの恥ずかしさだけ。


 もう、アンリに会わせる顔がない……!


 幸いまだ夜も明けきらぬ早朝だ。

 今や着慣れた東方風の衣装を脱いで、バルディア風の地味なワンピースに着替えた。


 誰にも出くわさないようにそっと屋敷を抜け出すと、転移陣に向かう。 

 すでに転移陣の使用許可はクローヴィスから出してもらっている。

 アンリにも、メイメイにも、ファビオにも、まともにお礼も挨拶も言うことができなかった。

 もう、彼らと会うこともないだろう。


(せめてさよならくらいきちんと言いたかったけど……)


 でも無理だ。

 不意に、熱っぽく自分をじっと見つめるアンリの金色の瞳が生々しく思い出される。 


(な、なし……! 昨日のあれは、なし! 思い出したら、駄目……!)


 けれど回想は止まらない。

 ジョゼは自分の身体を抱きしめてみる。

 アンリの腕は細いのに力強くて、自分の腕と全然違う。


(好きって言った……? わたしのこと、好きって……)


 すぐにずきんと胸が傷んだ。

 アンリのことを考えるだけで胸が苦しくなる。


 昨日、迂闊に自分の気持ちを伝えなくてよかった。

 種族や身分が違うのは厳然たる事実だ。

 想いを伝えたところで困らせるだけに違いないのだから。


(も、もう止め! とにかく行かなくちゃ….…)


 不義理な自分を責めつつ、逃げるようにしてジョゼは浮遊島を後にした。





 天翔族との守護条約のないバルディアには、転移陣はあまり多く設置されていない。

 転移陣を置くにはそれなりの技術や時間もかかるためだ。


 それでもマイア村から馬で一日ほどの場所にある中規模の街にジョゼは降り立った。

 慌てて出てきたためほとんど着の身着のままだったが、多少の路銀はある。

 マイア村に向かう乗合馬車を運よく見つけられたため、次の日には迷いの森に帰り着くことができた。




 暗い森に足を踏み入れると、緑の濃い香りがジョゼを包む。


 帰ってきたという安堵感をかみしめながら隠れ家があった場所まで来ると、ノクトゥルが木陰から出てきた。

 いつものにやにや笑いを顔に張り付けて、優雅に礼をしてみせる。


「やあ、お帰り。もう浮遊島に残って兄さんと結婚するのかと思ってたよぉ」

「な……そんなわけないでしょ!」


 そう言いながらもアンリのことを思い出して、ジョゼの顔はまたもやボンッと赤くなった。


「あれぇ、どうして赤くなるのかなぁ? ドゥラスの酒を知らずに飲んじゃって、発情して兄さんに迫ったけど抱いてもらえなくて、恥ずかしくなって逃げ出してきた〜なんてわけじゃないでしょぉ?」

「なっ……な、ななんであんたが知って……!?」

「馬鹿だねぇ、ジョゼ。ドゥラスの実には妖魔の発情を促す作用があるって知らなかったのかい?」

「そんなこと知るわけないでしょ!!」

「くくく。ナディーヌはやっぱりお嬢様だったのかなぁ。性教育ってやつが遅れてるねぇ。君だってもう年頃でしょぉ? 子供の頃と違うんだから、軽々しく兄さんの前で紅い実を食べたり、ましてやドゥラス酒を飲んだりしちゃあ駄目だよ。ホント、生殺しで可哀想すぎ……」

「ど、どーいう意味よ」


 ノクトゥルはそんなこともわからないのかと呆れ顔になると、森の奥を指差す。


「とにかくナディーヌの墓に行ってごらん。面白いものがあるよぉ」

 

 わけがわからない。

 なぜ自分の醜態が筒抜けになっているのだろう。  


 母の墓の場所まで急いで行ってみると、そこには信じられないものが出現していた。

 

 迷いの森で唯一、陽当たりのいい開けた場所。

 そこに建てられていたのは、三角屋根の大きな丸太小屋だった。

 

「なっ、何これ!?」

 

 ジョゼがあ然としていると、扉が開いてアンリが中から出てくる。


「お、やっとのお着きですか」

「アンリ!? どうやってここに!?」

「浮遊島を三月も不在にして、妖魔と交渉ばっかりしてたわけじゃありません。どうせあなたは引き止めても春になったらさっさと行ってしまうだろうとわかっていたんで、浮遊島と迷いの森を転移陣で繋いでおいたんです」

「う、嘘ぉ……。浮遊島と迷いの森を繋ぐなんて、ここに棲む妖魔が皆逃げちゃうじゃないの!」

「妖魔に手出しする気はありません。それにこの辺りはもうノクトゥルの支配下にあります。向こうからもこちらにちょっかいを出して来ないでしょう。ま、不可侵条約の練習みたいなものですね」


 ジョゼはへなへなとその場に座り込んだ。

 やっとの思いで帰ってきたと思ったのに、先回りされているではないか。

 どうにも手のひらで踊らされたようで釈然としない。

 だがアンリはすこぶる楽しそうだ。


「余計なお世話かと思いましたが、こうして家も用意しました。ちゃんと家具も入ってますよ。森に戻ってきていきなり野宿じゃさすがにきついかと思って」

「ずっと準備してたの……?」


 アンリは得意げに頷いた。


「ナディーヌおばさんのお墓もきれいにしました」


 母の墓は家の裏手だ。

 石ころが置かれていただけの墓には立派な墓石が置かれ、母の名前が美しい字体で刻まれていた。


「本当はロディの城から何か持って来たかったんですけど、さすがに無理でした」

「なんで……。なんでここまでしてくれるの?」

「そんなの決まってるじゃないですか……」


 アンリはがっくりと肩を落とした。


「昨日俺が言ったこと、酔っ払ってて覚えてないんですか? あなたが好きだからですよ」


 かっと頬が熱くなる。

 覚えているに、決まっている。

 真っ赤になったジョゼをアンリがすかさず抱きしめた。


「逃しませんよ、俺の使い魔さん。俺のことを好きになってくれるまで通い詰めますからね。なんなら俺もここに住んで、浮遊島には通いで行こうかな……」

「もう! なに馬鹿なこと言ってるの……」


 アンリが覗き込むと、ジョゼはむくれ顔だった。

 こちらの恋心はまだまだ伝わらないか……と肩を落としかけたその時、不意に襟をつかまれた。


「ジョゼ……? っ!」


 ジョゼの唇が、アンリの頬を素早く啄む。

 恥ずかしさに真っ赤になりつつも、ジョゼは早口で言った。


「使い魔って呼ぶのやめてよね。ついでに幼馴染も返上よ。これからは……」

「つ、妻ですか……?」

「なんでそうなるの! まずは恋人からでしょ!」


 アンリは感激しきりの様子で頬を押さえていたが、やがてジョゼを抱く腕に力を込める。


「いつか妻にしちゃいます」

「…………! 調子に乗らないでよ!」


 結局いつものように言い合いになる二人である。 


 様子を見にきたノクトゥルがやれやれとばかりに手を広げていた。


「お二人さぁん。人目をはばからずいちゃつくのはいいけど、ほかにも待ってる人たちがいるよぉ」


 なんのことかと振り返ったジョゼだったが、今度は小屋の中からどやどやと見知った顔が出てきたので目を剥いた。


「ジョゼ! 一言もなしにいなくなるなんて、ひどいですヨ!!」

「この森は……食材が豊富だな……なかなかいい」

「メイメイ! ファビオまで! なんで……」


 ひっついてくるアンリを無理やり引き剥がすと、ジョゼは小屋に駆け込んだ。

 メイメイはすぐに腰に手を当ててぷりぷり怒り出すし、ファビオは台所を忙しく検分しているではないか。


 アンリもにこにこしながら小屋に入ってきた。


「一緒に行きたいって聞かないんで、連れてきちゃいましたよ。そうそう、陛下も来たいって言ってましたっけ。ナディーヌおばさんのお墓参りをしたいそうです。今後はセランと転移陣を繋ぐのもいいかもしれませんね。そしたらリシャード卿にいつでも会いに行けますよ」

 

 ジョゼは目を白黒させた。

 一体何が起こっているのだろう。


 今生の別れと思って出てきたというのに、浮遊島の面々に囲まれてしまっている。

 あれこれと用意してもらったのはもちろんありがたいのだが、アンリによる囲い込みはとっくに完了していたようにも感じる。


 不意にアンリとばちっと目が合う。

 穏やかに微笑む笑顔に、どきっと鼓動が跳ねた。


 眼鏡の奥の金の瞳に普通でない量の熱が籠もっていることに、今更ながら気がつく。


 もうずっと前からとらわれていたのだ。

 使い魔になった時から、いやそれ以前から……。


 春風が森の木々を揺らす。

 自分一人で孤独に過ごしていた迷いの森の一角は、今や愛しい人と仲間たちの賑やかな声に包まれていた——。




※ ※ ※ ※ ※

これにて完結になります。

これでもかと趣味を詰め込んで、あれこれ自分なりに新しいことに挑戦しながら書いたところ、ちょっとした不思議小説になってしまいました。

大変反省しております…。

それでも最後まで温かく見守ってくださり、心よりお礼を申し上げます。 

もしもほんの少しでも面白かった、または次回作に期待!?などと思ってくださったら、☆☆☆評価をいただけますとこれからの執筆活動の糧になります!!

ぜひぜひ応援よろしくお願いいたします꒰◍ᐡ人ᐡ◍꒱!


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迷いの森の半妖少女、幼馴染の皇子に退治されると思いきや使い魔にされて可愛がられてます ちぴーた @Chipita

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