第6話 研究の方向性をひとまず考えた

 ここ数日、後期の履修について悩んでいる。来年の今頃には論文で書くべき内容が明らかになっていて、あとは作業をするだけ、というのが理想だというが、そんなことはなんというか想像できない。想像はできないのだが、もし理想通りに進むとすると、来年度の後期に勉強する内容は論文の方向性には反映できないわけで、となると今年度の後期が重要ということになる。


 前期は、入門的な講座の中から自分が興味のあるものを自由に選べば良かった。まだ社会学について何もわかっていなかったので、高望みはせず1年向けとある講座をベースに組み立てた。自分としては、程よくバラバラな内容で、授業を受けていて飽きることがなかったし、授業の終わり頃には他の科目との関連も見えてきてぐっと理解が深まった気がした。

 振り返って後悔があるとすれば、必修ではないのだが同級生の多くがとっている科目をひとつ、完全に見過ごしていたことだ。いろいろな場面でその科目を履修していることが当たり前となっているような発言を聞き、不思議に思っていた。どうもこの先生のこの授業が受けたくてこの学校に入ってくる人もいるという、花形となる授業だったようだ。



 前期の失敗を繰り返さないようにと、履修登録前に他の人に話を聞いてみたいと思った。授業で同じグループになったことのある人に何人か、メッセージを送ってみる。

 最初に返事をくれたのは、前期の振り返りでもコメントをくれた人だった。


「後期ももうすぐ始まりますね。またどこかの授業でご一緒できるといいですね! とはいえ、どの授業を履修するか他の人に合わせるような決め方はどうなのかなと思います。研究につながる授業を、しっかりご自分で選んでください!」


 その人に選択を被せにいこうと思ったわけではないのだが、どうもどれを履修するかを聞いて同じものを選ぼうとしているように見えたらしい。一応こちらからは、改めて自分が候補にしている授業を一通り書いて送り、迷っているが何か参考になる意見が聞ければと思った、と言い訳をしておく。


 また、誰かと話題になったのか、こちらからメッセージを送っていない人から連絡もきた。


「前期はありがとうございました! 土曜1限の授業って取りますよね? また一緒の授業が受けられたらと思って自分も履修しようと思っています。」


 実はこの人には、少し苦手意識を持っている。悪い人ではないのだが、自分のペースで物事を進めようとしすぎるのだ。グループワークで一緒にプレゼンを作ったのだが、「そんなに頑張らなくてもこれくらいで十分では?」と言って先へ先へと進めようとする。発表が終わって他のグループの発表を見た上でも自分たちの発表内容に満足していた様子だったので、本当にそう思っていたのだろう。自分としては、もっと話し合いたかったことや作りこみたかったところがいろいろあった。

 少し後ろめたさを感じつつ、本当は取りたい科目だが他の授業との兼ね合いで今年度はとらない方向だと返信する。この科目は来年度に、論文の気分転換のつもりで取ることにしよう。


 土曜1限の授業は、自分が研究で取り扱いたいと思っている題材とかなり関連のある内容だった。しかし、それがメインかというとそうではない。理論の面では避けて通れないが、自分の考えたいところは応用に近い部分なので、おそらくこの先生のゼミではなく別のゼミの方が良いと思う。理論の勉強もしておいた方がいいかと思ったのだが、限られた授業の中で人間関係で余計な苦労をするのはできれば避けたい。研究の方向次第でもしかして理論で取り組む可能性も、と思っていたのだが、この段階でその可能性は捨てることにする。

 おそらく、理論の研究はもっとしっかりと研究に取り組みたい人がやるべき内容だとも思う。自分がその分野でオリジナリティを出せるとも思えないので、この選択は問題ないはずだ。



 翌日の午前中の会議に必要な本があって、久しぶりに仕事帰りに書店に寄った。

 エスカレーターを降りたすぐのところには、来年の手帳のコーナーが展開されている。2022年はまた数字の2が並ぶからと、ネコの柄の手帳を集めた一角があった。そんな語呂合わせのようなことをしなくてもネコが好きな人はネコの手帳を選ぶのではないかと思ったが、これを見てネコ好きな友人を思い出したので、それくらいのきっかけにはなっている。

 美術、人文、社会と普段あまり立ち入らないエリアを探す。うまく本を見つけられる自信はないので、先に検索機で場所を調べておいた。棚までたどり着いて、そこから本を探すのにさらにじっくりタイトルをチェックしなければならなかった。普段よく行く本屋の普段よく読むジャンルなら、何も調べずにしかも棚全体を眺めたくらいで目的の本にパッと手が伸びるのにな、などと思った。


 社会学の棚でそれまでと少し違ったのは、タイトルに挙げられている用語や筆者の名前に見覚えがあるものがたくさんあったことだ。授業の参考図書として挙げられていた時は聞き流していたが、こうしてみると興味をひかれるものがたくさんある。

 それから、理系の本に比べて、同じ内容がタイトルになっている本が多くないように感じた。プログラミングの本などでは、同じ言語を扱っている本がたくさんあり、どれか1冊を選んでそれなりの全体像を知る、という本の読み方ができるように思う。目的によって本の選択は変わるにしても、全部の本を読まなくても実際にプログラムを書くことができるだろう。でも、社会学は扱う内容が少しずつ違う本がたくさんある。言語の種類が違い、その言語の中で作りたいプログラムの種類によっても違い、さらにゲームのフィールドの広さによってプログラムの書き方が違ってそれぞれで本が出ている感じだ。知識を身につけるにはこれらの本を全部読まなければいけないのか、と少し絶望しそうになった。

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