第4話 オンライン講演会に申し込んだ
お盆休みの期間には、自分なりにテーマを決めて勉強をしなければならないと思っていたところ、かなり興味をひかれるオンライン講演会を見つけることができた。研究の第一人者や、海外の本を翻訳した人、最近話題の若手などいろんな人の話を毎日のように聞くことができる。もともと会員向けのイベントのようで、非会員はかなり割高だ。学生向けの割引チケットもありはするのだが、そちらはアーカイブは対応していないらしい。迷ったが、数か月分の会費を払うことを考えたら、この機会に会員になってしまうのが得なことは間違いない。自分にとってメリットがないと思えば、すぐに辞める方法もあるわけだし。
会員向けに提供されるのは、入会した月以降の講演会の録画視聴と、論文のサマリーのような研究情報の共有が週に一回程度と、それから交流用のシステムだ。会員登録をすると、さっそく、「自己紹介を投稿してください」というメッセージが届いた。書き込みを見ると、自分のアイデアを共有して議論したり、研究や講演会を手伝ってくれる人を募ったり、飲み会含めイベントを企画したり、といった使い方がされているらしい。悩んでいる間にもいくつかメッセージが書き込まれ、どうも積極的に交流を深めている人が多い様子だ。
「コミュニティ」というものについて、授業を受けて考えていることがある。学問をする上ではコミュニティに所属しないとスタートラインにも立てないようだが、それは学問にとって正しいことなのだろうか。
学会というものの存在はもちろん知っている。自分が学部生の頃は研究室のメンバーと一緒に、学会の運営の手伝いをしたこともある。大学院には進まなかったが、院進したときにはその学会に所属するものだと思っていたし、その学会で認められる研究上の成果が科学技術を形作ると思っていた。
ひとつの学会の中に、計算からのアプローチが得意なグループと実験に重きをおくグループといったように、いくつか流派というか派閥というかがあるのもわかっている。理系の学問の場合、複数で研究をするのは実験の設備や機材の問題が大きい。数学や理論系の研究者の中には、ほぼ一人で研究して発表している人もいる。超難問に一人で取り組みすぎた結果、成果を発表してから周りの理解が追い付くまでに何年もかかった、というニュースも見たことがある。それでも、その研究が学問的に重要かどうかというのは、それを有名なグループが研究したか無名の個人が研究したかによって扱いが変わるものではないはずだ。
一方で、今自分に見えている世界は、大学のサークル活動に似ている。同じスポーツを名前に冠したサークルがいくつもあって、運動が得意な人だと複数のスポーツのサークルで重宝されていて、興味を持つ人数が少ない領域のサークルはなんとなく肩身の狭い思いをして、個人では活動場所を与えてもらうことすらできない、といった感じだ。個人で筋トレをしたい人や絵を描きたい人は勝手に個人でやっていればよくて、みんなで筋トレをしてコンテストの上位を目指したり、みんなで大きな作品をつくるところに重きを置かれているということだろうか。その線引きは理解できないわけではないが、新しくサークルを作ってコンテストを作って、とすれば研究の成果と認められる、というのは、学問的能力ではなく仲間を作る能力が重視されている気がしてしまう。
授業で連絡があったわけではないが、自分の大学の教授が中心となって新しい学会ができたらしい。今ならレベルが低くても発表のチャンスがあるのではないか、などという情報が流れてきた。講評をする側はそれなりの人が揃っているため、いい研究ができればその人たちの目に留まる機会であることは間違いない。その上で、その人たちがもともと所属している学会への足掛かりをつくることが重要なのだそうだ。
いい研究とはどういうものなのだろうか。世の中の
では、他の人の研究成果について、これはさらにこういう問題を解決する可能性があります、と提示するのは、研究といえるのだろうか。もとの研究が違う言語で行われていて、それを日本語にして紹介するのはどうだろうか。
他の研究者の研究内容を複数調べたうえで、類似点や相違点について指摘するのは研究といえるような気もする。しかし、何か新しいものを生み出しているかというと微妙な気もする。
自分も研究をしなければいけないという焦りはあるが、そもそも題材をどう定めたらこの世界で受け入れられるのかがわからない。ずっと研究者を続けるのであれば、小さな成果を出し続けることを考える必要もあるのだろうが、卒業のための研究をある程度時間をかけてやるとなると、結局何をやっても他の人が同じようなことに取り組んでいる気もする。だからといって今の段階で発表をできる内容にまで漕ぎつけられる自信はない。考えても何も進捗が生まれないまま、時間だけが過ぎてしまった。
オンライン講演会の内容は、自分にとって役に立つものが多かった。著名な人の話を聞いて、改めて、同じような内容で講演をしている人があちこちにいることもわかった。二番煎じに意味がないかというと、そうでもないようだ。少なくとも、その人の講演でないと届かない相手に情報を届けているという意味はある。有名な人だから話を聞く気になるというのも、知り合いだから話を聞く気になるというのも、どちらも責められることではないだろう。
しかしこれは時代の問題でもあるのだけれど、偉い人の話を聞く機会が限られていた時代と違って、今はオンライン講演会であれば実質人数は無制限だし、録画や映像教材として残せば好きな時間に話を聞くこともできる。都会に行かないと聞けない話を、聞いてきた人が地方で再現する、といったような講演会は意味が薄れていくだろう。そうなるとここでも、人の繋がりの意味の重要性が高まってくるのだろうか。
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