エピローグ

「……」

 イレーネ・ジョゼットは、苛々いらいらと煙草をんでいた。

 ちっ、という彼女の舌打ちを咎める者はいない。

 喫煙所にいる誰しもが、彼女を気遣わしげな目で見ていた。


 シャッテが燃えた。

 彼女の部下であるカスミ・カッツェが音信不通となってから数日。

 週刊誌『フックス』編集部に飛び込んできたのは、そんな情報だった。

 かつては城塞都市として栄えた辺境の街で、大規模な火災が発生した。

  火災が発生したのは深夜のことであり、多数の住民が逃げ遅れたと考えられている。炎の勢いの激しさから、かつての街並みは跡形もなく燃え果てており、多数の行方不明者に反して、そう遺体とわかる形で燃え残った遺体はそう多くはなかった。

 正確な生存者や、犠牲者の総数は──不明。

 記者の行方も、ようとして知れなかった。


「ふー……」

 周囲の同情的な視線も意に介さず、イレーネはゆっくりと煙を吐いて、懐から取り出したものを眺めた。

 それは、とある写真だった。

 かつての城塞都市の面影を色濃く残す、しかし今はもう焼失したシャッテの街並み。

 夜霧に覆われた、日中のそれとは異なる趣の街。

 迂闊に足を踏み入れたら別の世界へと誘い込まれてしまいそうな路地。

 月明かりに照らされ、闇からにじみ出るようにして浮かび上がり佇む、どこかわらっているような雰囲気の、白い少女。

 異質な雰囲気の少女の周囲に点々と居並ぶ、灰色の影。

 シャッテの街が燃えたとの報の後、ほどなくして編集部宛に届けられた、差出人不明の封書。

 この写真は、その封書に入っていたものだ。

「……よく、撮れているな」

 遠巻きに彼女を眺めていた外野が立ち去るのを見届けてから、イレーネは静かに、もういない赤毛の記者へと語りかけた。

「言っただろう? 退き時を間違えるなと」

 崖っぷちのへっぽこ記者。

 それがカスミ・カッツェという男の評価だった。

 ゆえに社内では、赤毛の記者の失踪を、本人の意思による計画的な逃亡──夜逃げや高飛びのたぐいであるとする見方が強かった。

 しかし、彼をよく知る──イレーネを筆頭に直接関わりのあった職員の多くは、意見を異にしていた。

 良くも悪くも愚直で、そしてどんくさいことに定評があった彼は、悪知恵が働く性質たちであるとは言いがたかった。

 かねてから逃亡を企てていてその計画を実行した、というよりも、に巻き込まれていると考えたほうがしっくり来る。

 そう考えていた折に届けられたのが、この差出人不明の封書であった。その中に収められていた写真は、イレーネの憶測を確信に変えるには余りあるものだった。

「お前には悪いが、この写真は──この情報ネタは、使ってやれそうにない」

 この出版社、この編集部において、この封書の中身を知っているのはイレーネただひとりだった。

 彼女は、この写真と情報を、封印することに決めていた。

 それを決めた彼女の胸中を知る者は、どこにもいない。

「……」

 イレーネは静かに目を閉じた。

 彼女がうなれ、涙を流すことはない。

 生憎、そのような性質たちの女ではない。

 それでも。

「あぁ、本当に──」

 漏れ出したのは、悔悟の混じった声だった。

「……お前を、行かせるんじゃなかったよ」


 細く吐き出された煙は、風と消えた。

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白い少女と灰色の男 宮代魔祇梨 @AmaneMiyashiro

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