アフターストーリー

 ――どれほどの時間が経っただろうか。


「……紅羽! 大丈夫か?」

「あ、純姫ちゃん! ねーねー聞いて聞いて!」

 純姫の声に、寝転がっていた紅羽は勢いよく立ち上がった。背中の傷が激しく痛んだらしく、かばうように背を丸めながら口を開く。傷だらけで血に塗れた姿が、即座に駆け寄る純姫に話しかけた。

「例の誰だっけ……山本くん? がねー、なんか襲ってきて、バトって怪我して、なんか制御できるようになって!」

「無駄に喋るな。傷が開くぞ。……一旦建物の中に戻ろう。話は治療が終わってからだ」

「えー……はぁい」

 不満そうに唇を尖らせる紅羽。その傷の様子を一通り検分すると、純姫は彼女をそっと抱き上げた。紫色の瞳が辺りに視線を走らせ、誰もいないことを確認する。そのまま即座に身を翻し、皇会拠点の建物内部へと向かってゆく。


 ◇◇◇


 白い光が紅羽の全身を伝う。もともと血の気のない肌を彩っていた幾つもの傷が、光に撫でられては塞がり、消えていった。瞬きの間に全ての傷が塞がったことを確認すると、純姫は自分の羽織を紅羽の肩にかける。

「……紅羽、もう問題ないか?」

「うん、ぜんっぜん痛くないよ! さんきゅー霧矢!」

「さんきゅーじゃねェんだよ!」

 雛鳥のように両手をパタパタと振り回す紅羽を、霧矢は苛立ちを隠そうともせず怒鳴りつけた。嫌いな天賦ギフトを使う羽目になったせいか、ただでさえ悪い目つきが余計に険しくなっている。

「ったくよぉ、手間かけさせやがってこの社員……」

「そう怒るな、霧矢。……まぁ、回復しなくても案外元気そうだったがな」

「あははぁ」

「笑ってんじゃねェよ。こっちの身にもなりやがれや……」

 吐き捨て、ぶすくれたまま頬杖をつく霧矢。軽く肩をすくめ、純姫は紅羽に向き直る。


「さて……天賦ギフトの制御に成功した、というところまでは聞いたな。ひとまず、お前たちの目的も達成できたようで何よりだ」

 微笑みながらそう告げる純姫に、霧矢は反射的に紅羽に視線を投げた。三白眼を見開き、信じられないとでも言いたげに紅羽を凝視する。

「……マジでできたのかよ。お前本当に紅羽か?」

「あたしはあたしだよ、しつれーな! ってか、純姫ちゃん。ってことは、抗争本編の方もおーるおっけー?」

「ああ。白河組の方は無事に撃退できた。のちに報復に向かわなければならないが、そのことは気にするな。あまりお前たちを頼りすぎるのもよくないしな」

 そう呟く純姫に、霧矢は三白眼をすっと細める。面子とかそういうものにかかわるのだろう。暴力団はそういったものに敏感だから尚更だ――などと考えていると、唐突に紅羽が声を上げた。


「ってか、話まだ終わってないよ! それでなんか、山本くん倒したら、なんか青い眼鏡くん? が来て、仇なんだっけ……あだ……仇バトル?」

「仇バトル……永久心臓アダムズ・ハートか!?」

 曖昧な記憶を語る紅羽に、純姫の視線が突き刺さった。血相を変えて詰め寄る彼女に、紅羽は未だに両手を彷徨わせながら語る。

「そう、それ! ってか何で急にそんな反応するの?」

「……っ」

 あどけなく首を傾げる紅羽に、純姫は凍りついたように動きを止めた。その首筋を冷や汗が伝い、口元が動揺を制するように引き結ばれる。彼女は一度目を瞑り……何事もなかったかのように、改めて口を開いた。

「……すまん、取り乱した。気にするな。しかし紅羽、確認だが……その永久心臓アダムズ・ハートという単語に聞き覚えはあるか?」

「……ないよ?」

「そうか……もう一つ、確認だ。その『青い眼鏡』の見た目の特徴は?」

「んっと……髪の毛が青くて、軍服みたいなのを着てて、眼鏡くんで……」

「……目の下に、あの獣使いと同じ刺青またはフェイスペイントはあったか?」

「あった!」

 両手の人差し指を伸ばして答える紅羽に、純姫はふっと視線を伏せた。……やはり紅羽を単独で向かわせたのは正解だったようだ。そう結論づけ、純姫は紅羽と、先程から押し黙っている霧矢を見回した。

「二人とも……永久心臓アダムズ・ハートには深入りするな。あれは常人が深入りしてはならない領域だ」

「何言ってんのさ。あたしたち、とっくに常人じゃないよ?」

「そういうことじゃない。とにかく、永久心臓アダムズ・ハートには関わるな。いいな?」

「むー……はぁい」

「……」

「……霧矢?」

 純姫の声にすら反応せず、霧矢は視線を伏せたまま押し黙っていた。紅羽が膝立ちで彼ににじり寄り、覗き込んだり手を振ったりしてみるが、反応はない。流石におかしいと直感したのか、紅羽は堂々と片手を掲げ――彼の頭上に掌底打ちを叩きこんだ。

「づっ!? ……急に何しやがる!」

「急じゃないよー! 霧矢がさっきからずっとぼやけてたんじゃん!」

「本当だぞ。急に押し黙って、どうしたんだ?」

「……いや、なんかどっかで聞き覚えある気がしたんだが……まぁ気のせいだろ。気にすんな」

 雑に手を払い、何事もなかったように二人に視線を投げる霧矢。軽く首をかしげ、紅羽は光のない瞳をぱちぱちと瞬かせた。


 ◇◇◇


『はい。MDC社長、高天原唯です』

「……もしもし。私だ」

 霧矢と紅羽を返したのち、純姫はスマートフォンを耳に当てていた。朝日が真っ直ぐな黒髪を眩く照らし、涼しい風に改造羽織の裾がなびく。

「先んじて共有しておきたい情報がある」

『……あいつらが動き出したの?』

「ああ。やはり奴らが絡んでいた……今回はただの小手調べだったようだがな。だが、紅羽が向こうの幹部と接触したようだ。おそらく『武器庫』だろう」

『……それで?』

「その際、紅羽が永久心臓アダムズ・ハートという単語を聞いたそうだ」

『ッ!』

 息を呑む音が電話口から響く。純姫の紫色の瞳が苦々しげな光を宿す。電話の向こうの唯は数度、逡巡するように呼吸音を響かせ……やがて、小さく息を吐いた。

『……わかったわ。それが何なのかは、二人ともまだ知らないわよね?』

「ああ。少なくとも、紅羽には心当たりはないようだった」

『……紅羽? 霧矢は何か知っているっていうの?』

「わからない。本人は『聞き覚えがある』としか言わなかった。気のせいかもしれないようだが……念のため、伝えておく」

『…………そう。まぁ回復系の天賦ギフトは珍しいし、永久心臓アダムズ・ハートの可能性を疑われても仕方ないかもしれないけど……注視するに越したことはないわね。報告ありがとう』

 落ち着き払った声に、純姫は一つ頷いた。彼女には信頼を置いている。が余程狡猾な手を打ってこない限り、唯なら大丈夫だろう。

「こちらこそ。では、失礼する」

 そう言い残し、通話を切る。何気なく見上げた空は高く澄み渡っているけれど……遥か遠方から、禍々しい黒雲が近づいている気がした

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スカーレット・ロジック 東美桜 @Aspel-Girl

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