第10話 決着、そして

「――おいで! レッドカードくんっ!」

 発生に応じ、アスファルト上に漆黒の獣が顕現する。それは狼に似た耳を微かに動か、周囲を警戒するように赤い瞳をじわりと輝かせた。硬い毛皮に包まれた身を震わせるそれを目にし……痛々しい少年は、その唇から嘲笑を漏らした。


「くっ……ふっ。ははははっ!」

「……なんで、笑ってるのさ」

「今更にも程がある……どうせ使などという浅ましき想像により、今まで使用を避けてきたのであろうっ!? なんと愚劣、なんと愚昧、なんという愚かしさっ! いかにして制御するかも知らずして、そのようなことをほざくとは――」

「うるさいよっ!!」

 痛覚信号を無理やりかき消し、勢いよく斧をぶん回す。両側の獣に雑に手傷を入れると、彼女は少年に向かって踏み込んだ。その両腕は細かく痙攣し、両脚は地面に縫い付けられたように動かない。

(抵抗できないなら――殺っちゃえば、天賦ギフト製の獣もいなくなる、はずッ!)

 背後で二体の豹と、紅羽の狼が睨み合う気配。そちらには一切意識を向けぬまま、少年の脳天を貫こうと駆け出して――

「……それでいいのか?」

「っ!」

 気配。慌てて横に跳び退ると、彼女が先程までいた場所を獣の爪が引き裂いた。空中でバランスを崩しかけて、無理やりアスファルトに着地する。先程受けた背中の傷が、ずきりと鋭い痛みを発する。後方で漆黒と濁った黄色が相争い、爪と牙が互いを引き裂いてゆく。

「……、らぁッ!」

 獣が邪魔で仕方ない。その爪を弾き、牙を避け、急所を狙って攻撃を叩きこんで、それでも足りない。振るわれる爪を折らんと斧を叩きつけると、豹の片方の前足がぱっくりと二つに割れた。……幾度も攻撃を叩きつけて、ようやく。そのまま回り込み、脇腹を狙って斧を突き刺しながら――彼女にしては珍しく、考えていた。

(このままじゃジリ貧だよね……向こうのにもよるけど、こいつを倒したところで、こいつがを出してきたらそれこそ終わりじゃんッ! ……あーもー、あたしのバカな頭じゃこれ以上は考えられないんだけど! とにかく、レッドカードくんをもっとうまく使えれば……こいつはどうやって制御してたっけ……?)

 ない頭をフル回転させつつ、獣の脇腹に突き入れた斧を引き抜く。鮮やかな紅色が傷口から噴きだし、紅羽の血の気がない頬をびしゃりと汚す。……それでも、獣の動きは止まらない。片方の前足を引きずりながらも、まだ紅羽を殺すことを諦めていないきらめていない。上がってきた息を無理やり吐き出し、半ば苛立ったように叫びをあげる。

「あぁもう、しぶといなぁ!」

 ――同時に、彼女の視界の片隅で血飛沫が上がる。黒い狼が苦悶に似た咆哮を上げた。その首筋から紅色がどくどくと流れ出し、それでもその紅い瞳は獣を睨みつけていて。再び豹に襲い掛かり、また傷を受けても、愚直に。


 再び上がった咆哮を耳にして……瞬間、紅羽の心臓が握り潰されるように痛んだ。思わず声を上げ、膝をつく。鉄の味がする液体が喉をせり上がって、思わず咳き込むと、口元を押さえた片手を紅色がべっとりと濡らした。更に数度咳き込んでも、口の中を満たす鉄の味は消えない。味そのものはけっして嫌いではないが、……この高揚感は、絶対にそれに起因するものではない。

「……あは、はっ」

「……む? なんだ、急に笑いだすなどしおって。いよいよ狂ったか?」

「残念無念、あたしはとうのとっくに狂いきってます、っと……!」

 血で汚れた口元をぬぐい、紅羽はよろけながらも立ち上がった。光のない瞳で少年を一瞥し、薄く笑う。後方で豹が警戒するように唸り声を上げ、眼前の狼から一歩後ずさった。

「あたしバカだけどさ、バカでもわかったよ。けほっ……君があっさり晒してくれたおかげでさ! ――おいで、レッドカードくん!」

 紅羽の声に、黒い狼が弾丸のようにこちらに突っこんできた。ギリギリで生存していた豹の喉笛を音を立てて食い千切る。豹の姿がノイズとなって消えてしまうのを眺め、紅羽は少しだけ笑みを深めた。その隣に付き従うように黒い狼が並ぶ。

天賦ギフトを制御するために、操り手も何か悪影響を受けなきゃいけない。君の場合、それは手足がなんかわかんないけど動かなくなることみたいだね。……あたしの場合は、シンプルに身体にダメージが入ることみたい。あははっ。……全くもって楽しくない」

「は……?」

 光のない瞳が少年を眺める。何の感情も宿っていない視線が彼を雑に撫でる。飽きたのか、彼女は不意に彼から視線を外した。親指で後方をさすと、狼がもう一体の豹に狙いを定めて駆け出した。当の紅羽は無造作に斧を拾うと、それを引きずりながら少年に歩み寄った。刃とアスファルトが触れ合う耳障りな音が響く。

「まぁそれはいいや。どうでもいいし。……一応、ありがとうとは言っとくよ。君のおかげでレッドカードくんとなれたわけだし。でも君のことはどうでもいいや。とりあえず肉塊になってもらいまぁす!」

「は!? 待て、なんだこいつ!? 明らかにおかしいって!」

 眼帯に隠れていない片目が大きく見開かれ、少年は逃げ道を探そうと周囲を見回した。あれほど大仰だった仕草の面影など欠片もない姿に、紅羽は光のない瞳をすっと細めた。無言で斧を振り上げ、その脳天を狙って――


「――させないッ!」

 その刃の先に短剣が割り込んだ。刀身の背のくぼみが紅羽の斧を受け止める。夜の風に淡い水色の長髪がなびく。軍服姿の青年が、眼鏡の奥の琥珀色の瞳で紅羽を睨みつける。反動をつけて斧を引き抜きつつ、紅羽は青年を見下ろして首をかしげる。

「誰?」

「こいつの上役だ。回収しに来た」

 立ち上がり、青年は手元のソードブレイカーを虚空に投げ捨てた。虚空に消えていく短剣をものともせず、痛々しい少年の首根っこを掴んで無理やり体を起こす。その口内に白いカプセルを放り込むと、痛々しい姿を担ぎ上げた。紅羽を見下ろす瞳の下には、少年のそれと同じ――閉じた瞼の意匠。

「今日はここで撤退する。これ以上、お前とやり合っても得はないからな。こいつにも、組織にも」

「あ、ちょ、待ってよ! ソイツあたしの獲物なんですけどー!?」

「知るか。……あぁ、そうそう」

「なにさ。食べるよ?」

「なんだこいつ……」

 呆れたように目を細める青年。その首筋を冷や汗が流れる。情報通りの狂人だ、と肩をすくめ、話をぶった切る。

「付き合ってられるか。ともかく、少なくともお前が『永久心臓アダムズ・ハート』ではないことが判明してよかった。的が絞られれば、こちらの目的も果たしやすい」

「あだ……?」

「細かいことはお前のところの社長に聞け」

 琥珀色の目を細め、青年は紅羽を一瞥する。痛々しい少年を一度担ぎ直し、彼女に背を向けて去っていった。

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