第51話
「ん~おいしい……はあ……幸せ……」
そして亜湖がお待ちかねのデザートタイム。プリンを食べながら「口の中でとろける……」と言う亜湖の顔の方が蕩けていた。俺のつくったものは別腹だとでもいうように、デザートに関しては俺よりたくさん食べていたように思う。
「はー、お腹いっぱいで幸せだ」
片付けも終わって一息ついた頃、お腹をポンとたたいて分かりやすく満腹を表現する。女の子らしいとは言えない仕草だけど、それすら可愛らしく見えるのはまさに“恋は盲目”。
そのまま亜湖はレジャーシートの上に大の字になって寝転んだ。
「……食べてすぐ寝たら牛になっちゃうよ」
「やだ……けど、生理的欲求には勝てないよ……」
もうすでにウトウトし始めている彼女に薄めの上着を掛けてあげる。お腹も気持ちも満たされて、この暖かさでは眠気が襲ってくるのも仕方がないだろう。ポカポカと温かい日差しには到底敵いそうにない。
「……ちょっとだけね」
目が半分ほど閉じかけている亜湖にそう言うと、小さく頷いた。
「……うたくんも、いっしょに寝る?」
寝ころんだ自分の隣をぽんぽんとたたく。そんな彼女に誘われて、俺も横になった。
「……あーこれ、ダメだね」
「うん。この誘惑にはかてないよ」
温かい太陽の光。爽やかな風。辺りは静かで俺たちが黙ってしまえばこの葉が擦れる音しか聞こえない。隣には大好きな人がいて、おいしい料理でお腹もいっぱいだ。そんな幸せが詰まったこの状況で、眠ってしまうのもよく分かる。
「……」
しばらくして眠い目をこじ開け、隣を見るともう亜湖はすやすやと眠っていた。俺の思い込みだろうか。子どものような寝顔は入院中に何度も見たそれとは全く違っている。あの時と同じように、そっと頬を撫でる。目を覚まさなかったあの時とは違って――亜湖は俺の手に寄り添って擦り付けるように身じろぎした。それだけで安心できる。
「……幸せだな」
そう呟くと、眠っているはずの亜湖も頷いた気がした。
一時間ほど経った頃、俺は気持ちよさそうに眠る亜湖を揺り起こす。
「……亜湖、そろそろ風邪ひくから」
寝起きは悪くないのだろう、そう何度も声を掛けないうちに彼女は目を擦りながらゆっくりと体を起こした。
「あれ、ほんとに寝ちゃったんだ」
まるで他人事のように言うから笑ってしまった。
「寝顔みた!?」
今更、顔を両手でかくして恥じらう少女。「入院中飽きるほど見たのに」と言うと、「あ、そうか」とケロッとしたように手を退けていた。
「ねえ、うたくん」
「ん?」
完全に目が覚めた亜湖は畏まったように正座をして、真剣な表情になる。
「――話を、しよう」
「なんの話?」
何か良くない話かと不安が過ったけれど、彼女の表情を見て俺も同じように姿勢を正した。
「いろんな話だよ。うたくんが今まで生きてきて経験してきたこと。今まで見てきた景色のこと。うたくんにとって大切な人。大事なもの。全部」
君について、俺はどれだけ知っているだろう。俺について、君はどれだけ知っているのか。あの店で初めて会ってから、ゆっくりお互いのことを話す時間もなかった。ただその人柄に惹かれた。それだけが全てだったから。
「知っていこうよ。お互いのこと、何にも知らないでしょ?」
賑やかな場所が好きそうな君がここを選んだのは理由があったのか。二人でゆっくり話せるように、この落ち着いた空間を見つけてくれたのだ。
それから俺たちはいろんな話をした。俺の人生全てを話し尽くしたんじゃないかってくらい。彼女からもたくさんの話を聞けた。その大半は病気によって制限されたものであったけれど、笑い話にしてしまう亜湖は凄いと思った。俺が同じ立場なら、こんなに強くなれないだろう。
君のことを知っても、俺の君への気持ちや見えるものは変わらない。君だって俺のことを知っても何も変わらないはずだ。それならばお互いのことを“知る”ということにどんな意味がある?価値観や感じ方は人の数ほどあって、どれだけ話し合っても全てを理解することなんてきっとできない。できないかもしれないけれど――「それでもいい」と思える相手なら。価値観を並べ比べてみて、俺と君とでは全く違っていたとしても「違ったね」って笑い合える君となら。きっとこの先同じ道を歩いても楽しいだろうと思える。
真っ青な空がオレンジ色へと変わった頃。亜湖と手を繋いで歩道を歩く。電車に乗って彼女の家の最寄駅のずっと手前の駅で降りた。そこは亜湖の通う高校の最寄駅。退院してからこの街へ戻ってきた彼女は学校へも復学した。〈Ree〉へ来る度、友だちの話も楽しげにしてくれる。そんな彼女が毎日過ごす場所を見たいと亜湖にお願いして連れてきてもらったのだ。
「……ここが、わたしの学校」
新しくも古くもない、どこにでもある平凡な学校。きっとこの道を通っても目に留めないだろう。だけどここで亜湖が過ごしていると考えたらなんだかとても感慨深く感じた。彼女が送る高校生活がこれからも楽しいものでありますようにと願いながら、その場を後にした。
それから亜湖がよく行く公園、ショッピングモール、カフェ……通学路を辿りながら、様々な場所に案内してもらった。これも彼女をよく知ろうとした恋愛経験豊富でない男の提案だった。亜湖の案内を聞きながら、また思い出話を振り返って笑う。
そんな時間が、あまりにも楽しかった。
――そして、最後に辿り着いたのは。
赤い屋根のお店。甘い香りが辺りに漂う……俺たちが出会った場所。〈Ree〉だった。
「……ここから、幸せははじまったんだね」
しみじみと亜湖がお店を見上げるから、俺も隣で赤い屋根を見上げた。
「うたくん」
「……うん」
いい香りを体の中に取り込むように大きく息を吸った。
「ケーキたべたい」
「……まだ食べるの?」
おかしくて吹き出したら、横目で俺を睨む。
「ケーキは幸せの味だもん」
言い訳のように聞こえるけれど――それはあながち間違いじゃないと思う。
「幸せを感じたら食べるの。幸せになりたい時もね」
知らなかったでしょ、と自慢げな顔をするからまた声を出して笑った。どんな理論だよ、と心の中でツッコんだ。
「……年中食べてるのは、そのせい?」
「あたり。これからは毎日毎秒食べなきゃだね」
「うん。毎日だって毎秒だってつくるよ」
穏やかな春の日。君のことを知った。自分のことを知ってもらった。もっともっと、君を大切にしようと決めた。
これからもきっと幸せだけの人生じゃない。たくさんの感情が渦巻いて、苦しいことも大変なことも、疲れて心折れてしまう日もあるかもしれない。だけど人生はそういうもの。楽あれば苦あり。山あり谷あり。そんな風に、一生懸命生きていくだろう。
辛いときは二人で愚痴を言い合いながら、幸せな時は笑い合って――一緒にケーキを食べようか。そうすれば、きっと。
――今日という日を、思い出せるだろう。
うたくん、くださいっ! 向日ぽど @crowny
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます