最終話
いい匂いのするミスト、真っ白なスニーカー、おニューのスカート。今日も完璧な格好で、駅の改札を抜けた。駅からの道はもう目を瞑っていてもへっちゃらなくらい体が覚えている。赤い屋根が見えて、それだけで私の胸はドキドキと高鳴った。カランカランとお店のドアの音が耳に響いて、店内を覗きこめば視線がかち合う、私の世界で一番大好きな人。
「――うたくん、くださいっ!」
そう言えば、小さくため息をつく羽汰くん。それが照れ隠しだってもうとっくに分かっているから、思わずふふっと笑う。
「俺は商品じゃないんだけど」
そんなやりとりだって、幸せ。もう羽汰くんは私の旦那様(予定)だからこのセリフももう必要のないものかもしれないけれど、合言葉のようで私は気に入っている。羽汰くんはいまだに照れくさそうだけど。
「今日もだいすきだよっ!」
「……や、だから……」
眉を下げた困ったような顔も、愛おしい。
「ああ、もう!どうしてそんなにかわいいの?」
「やめてもらえる?恥ずかしい」
照れたような仕草も、大好きだ。
「照れてるの?かわいい!」
「……かわいくないから」
拗ねたような声も、私には胸を射抜かれる要素にしかならないの。
レジから身を乗り出して、ぐっと顔を近付けられる。その真っ直ぐな目を見上げれば、羽汰くんの瞳の中で顔を真っ赤にする私が鮮明に見えた。
「……どっちが、可愛いんだって」
やめてやめて!私を殺す気!?
慌てふためく私にふって意地悪く笑う。やっぱり羽汰くんには敵わないや。
「あ、あこちゃんいらっしゃい」
お店の奥からりっちゃんが顔を覗かせる。そのイケメン加減はいつも通りだ。
「りっちゃん、ひさしぶり!」
「うん、おかえり」
「ただいま!」
花が咲いたような笑顔で出迎えてくれるから、きっとりっちゃんが店主になったらこのお店はさらに繁盛するんだろうな。たくさんの人にこのお店の魅力を知ってもらえるのは嬉しいけれど、私の特等席は確保しておいて、と頼んでおこう。
「なんで二人ともちょっと顔が赤いの?」
私と羽汰くんの顔を交互に見比べて首を傾げた。私は羽汰くんと顔を見合わせてごまかすように笑う。
「恋する乙女だからだよっ!」
そう答えれば、ますます不思議そうな顔をしたりっちゃん。
「あこちゃんってやっぱりちょっとおバカだよね」
「しつれいな!」
屈託のない笑顔で悪口を言われて口を尖らせる。そんな私を見て「あははっ」と無邪気な笑い声をあげた。
「お馬鹿は手術では治らなかったみたいだね」
「うたくんまでっ!?」
便乗した羽汰くんにひどいよ!と泣き真似をすれば二人とも呆れたように、でも楽しそうに笑っていた。
りっちゃんが店の奥に消えた後、いつものケーキと紅茶を注文する。羽汰くんからおつりを受け取ろうと手を伸ばしたら、その手を掴まれて――
「……俺も、ちゃんと好きだから」
私の耳元でささやく確信犯。
「……うたくんといると、世界がキラキラしてる」
「……ばか。俺も一緒」
そう、あなたのそばにいるとき。私の世界は誰よりも輝く。
「──あ、そうだ。これ、退院祝い」
羽汰くんから差し出されたのは花束。その中に4本の真っ赤な薔薇を見つけて微笑んだ。いつだったか私が羽汰くんへ贈るはずだった25本の薔薇を思い出す。あれは手紙の中のイラストだったけれど、薔薇にはその本数によって意味が込められている。私があの薔薇のイラストに込めた25本の薔薇の意味は“あなたの幸せを祈っています”。
じゃあこの4本の意味は──?
「──まあ、いいか」
どんな意味だって、羽汰くんの思いも私の気持ちも変わりはしない。それに羽汰くんは本数によって違った意味があるなんて、きっと知らないだろう。
「ありがとう!」と満面の笑みで花束を受け取って、私の特等席へと足を進めた。
──君は知らないだろう。
俺が君のくれた花言葉を知っているってこと。薔薇の花は本数によって込められた意味が違うんだって、花が好きな母さんが言っていたのを覚えていた。25本の意味を調べたらすぐに分かったよ。
――“あなたの幸せを祈っています”
そんなことだろうと思ったけどね。
だから今度は俺から君に贈るよ。俺が込めた4本の薔薇の意味。
“死ぬまで愛の気持ちは変わらない”
その意味を、君は気付くかな。気付くまで薔薇の花束を贈り続けるっていうのも悪くない。毎回本数を増やしていこう。最後は108本。ここまできたらきっと、鈍感な君でもわかるでしょ。
――誰よりも、何よりも。大切なものを見つけた。
君のためならなんだってしてあげよう。今までたくさんの苦労を抱えてわがままを封じ込めて笑ってきた君だから、俺が全部叶えてあげる。
ほら、躓いたなら支えてあげる。待っていてあげる。だから一緒に歩こうよ。未来のことは誰にも分からないし、先なんて見えやしないけれど、隣に君がいたら怖くない。周りを見渡せば、一人で見てきたものよりずっと、綺麗な景色が見えるから。
甘い匂い。赤い屋根。お洒落な外装に色とりどりのケーキが並ぶショーケース。エプロンをつけ、帽子を被って店内へ続く扉を開ける。軽やかなベルの音と「いらっしゃいませ」という声が穏やかな店内に響き渡った。窓際の特等席には今日も温かな陽の光が煌めいて──。
「──うたくん、くださいっ!」
ほら、あの扉を開いて、今日も君がやってくる。
〈完〉
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