第38話


 手を繋いで並んで歩く。それがどれだけありがたく幸せなことか。喜びを噛み締めて、今はもう最悪の未来は考えないようにしたい。


「そういえばさ、さっきのセリフ、プロポーズみたいだったね」

 麻生先生の言葉に胸を張って答えた羽汰くんは、まるで結婚の挨拶をする彼氏のような雰囲気で、結婚前の女の子の気持ちを錯覚してしまった。

「……欲張りに、なってきちゃうなあ」

 私が呟いた声をしっかり拾って「なにが?」と聞く。想像なんてしたくなかった、私のいないこの世界。それでもいいと諦めた世界。だけど小さな願いが一つ叶っていく度に、人間というものは欲深いもので。次の願いを抱いてしまう。


「……この前までうたくんと恋がしたいっておもってたのに、次は結婚したかったなあ……っておもっちゃう」

 女の子なら誰だって夢見るでしょ?ただ、他の人にとってはいつかは叶うであろうものだけど私にとっては叶わない夢。ウエディングドレスを着て、ヴァージンロードを歩くことも私には難しいかもしれないの。



「……え。しないの?」

 心底不思議そうに私の顔を覗き込んだ羽汰くんの言葉に、私は声も出ず唖然とした。そんな私の顔を見て「ぶさいく」と表現した羽汰くんが笑う。


「結婚。高校卒業したらしよっか」

「……え?」


 “高校を卒業したら”?


 それは手術なんてとっくに終わっている、私が生きているかどうかも分からない未来。羽汰くんはその時、私が生きているって思ってくれているってこと?


 私と“生きる”未来を考えてくれているってこと?

 信じられないという私の表情も、羽汰くんの言葉ですぐに涙に変わった。


「……俺だって、亜湖と死ぬまで恋していたいよ。俺が死ぬまでには亜湖と結婚して、子どもができて、一生笑い合って、バカみたいなことで喧嘩して、飽きるくらい一緒にいて……。死ぬまで、亜湖の隣でいたいって思う。あんたがいなくなったらできないじゃん」


 今まで苦味を噛み潰すように吐き出してきた「死ぬまでには」って言葉。私が言うと絶望ばかりが生まれてくるのに、羽汰くんが言うと希望が満ち溢れたものになるから不思議だ。信じてみたいと思える。そんな未来が来ることを。

「だから生きて?」って羽汰くんが首を傾げるから、ただ頷くことしかできなかった。


「──亜湖」

 流れる涙を袖でぐしぐしと拭う。「まぶた腫れるよ」と言いながら私を優しい眼差しで見つめてくれる羽汰くん。


「生きよう。俺と一生、一緒に」

 その胸に私を閉じ込めて、ぎゅうっと力を込める。


 ……そうやって、離さないでいて。たとえ死んでしまう日が来ても、そうやって抱いていてほしい。それがあなたと結ばれたあの日から私が願い続けてきたこと。だけど今は、死ぬことよりもあなたと生きることだけを考えていたい。



「……っ、死んでも、生きなきゃ……っ」

「……ふふ。言ってる意味、分かってる?」


「意味不明だよ」って笑う羽汰くんが愛おしい。


 彼の背中に手を回して負けないくらいの力を込める。まるで奇跡のようなあなたとの日々を、いつか“当たり前”だと言えるように願いながら。



 キラキラと輝く日差しの中で、あなたが笑う。爽やかな風が二人を包んで一瞬一瞬の大切な記憶を彩っていく。真っ暗で先が見えず迷子のようだった私を見つけ出して照らしてくれた陽の光のような人。最初は眩しくてまっすぐに向き合えないくらいだったけれど、


 いつしか目が慣れて真っ暗だった辺りも鮮明になっていく。見渡せば大切な人たちがいつだって笑顔でそばにいてくれていた。他の人よりも不幸だと決め付けていたけれど、その分たくさんの人の縁に恵まれていた。手を伸ばせば届く“幸せ”も、私にはあまりにも遠く感じていた。だけどあなたが照らしてくれたら、思ったよりも遠くなかったと思えたよ。



 やっと手に入れた“普通の幸せ”。やっと手を伸ばすことができたそれはすぐそこにあるっていうのに、運命は──神様はどこまで意地悪なんだろう。

 願いを叶えてくれたのは、私に残された時間が少ないからですか?最後の願いを叶えてくれたってこと?


 私がなにか悪いことをしましたか?どうして私ばっかりこんなにも苦しまなきゃいけないんですか?羽汰くんとの未来をやっと描けると思ったのに。私にも希望が見えたっていうのに。



 私の身体を巣食う病魔は何の前触れもなくやってきて、私から“幸せ”を奪っていく。

 ──その日の夜、私の様態が悪化した。

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