第37話
「――おまたせ、うたくん」
検診を終えて、羽汰くんのもとへ小走りで駆け寄る。彼は私について来てくれて、診察の間は病院の待合室で待っていてくれた。
「……どうだったの?」
少しばかり不安そうに問われるから、安心させるように笑ってみせる。
「……よくも悪くもなってないよ?このままいけば、予定どおり手術できるって」
「……成功する、確率は……?」
手術を受けるのは私だっていうのに、羽汰くんのほうが心配しているようだ。すうちゃんからどんな風に話を聞いたのかは分からないけれど。
「わかんない。運だね」
ケラケラと声を上げて笑えば、彼は理解できないとばかりに眉を顰めた。どんな病気だって、最後は運な気がするのだ。これは私の勝手な持論だけど。手術だけじゃない。人生なんて結局は運ばかりだと思う。それは“運命”かもしれないし“奇跡”かもしれない。ただの“偶然”かも。だけどそれらは全て、“運”でできているんじゃないかな。
「……不安じゃないの?怖く、ないの……」
「……こわかったよ。うたくんと逢うまでは」
羽汰くんは私のことを強い女だと思ったかな?だけどそうじゃない。平気なフリ、何も考えてないフリ、強いフリが人より上手いだけ。でももうこの人の前では“フリ”なんてやめようと思う。
羽汰くんが自然と私の手を取って繋いでくれるから、少しは恋人らしくなったんだと思うと嬉しくなった。
「だけどね、今はもうこわくない。うたくんが隣でいてくれるもん。こうやって、手をつないでいてくれるでしょ?」
指と指を絡めなおして、彼の目線まで持ち上げる。照れたように目を細めた羽汰くんは、繋いだ方とは反対の手で私の頭を撫でてくれた。その手に寄り添いながら、不安よりも恐怖よりも、幸せを噛み締めた。
「――亜湖ちゃんっ」
病院の自動ドアをくぐったら、後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえて二人で立ち止まる。振り返ったら白衣を着た男の人が視界に入った。
「……あ。せんせ」
麻生先生が、小走りでこちらに駆け寄ってくる。私たちの目の前で立ち止まって、乱れた息を整えていた。
「せんせ、いけないんだ。走ったら看護士さんに怒られるよ?」
そうからかえば慌ててあたりを見渡すかわいい先生。いくつなんだろうって思うくらい。
「……これ、渡し忘れてた」
そう言って手渡してくれた小さな箱。それがなんなのか私にはすぐに分かって満面の笑みを先生に向けた。「走ってきちゃったけど大丈夫かな?」と心配するけれど「へいきだよ」と返す。
「ありがとうございます!」
私の頭をさっき羽汰くんがしたように、するりと撫でて、私の隣に目線を移す。じっと羽汰くんを見つめて、すぐにまたふわりと微笑んだ。
「……君が、“うたくん”?」
首を傾げてそう尋ねると、羽汰くんはこくりと頷く。それを見て、まるで自分のことのように幸せそうにする先生。先生から漂ってきたのは薬品の独特な香りではなく、優しいお日様の匂いだった。
「……亜湖ちゃんを、よろしくね」
まるでお父さんのように、温かい言葉を贈ってくれるから、また泣いちゃいそうになる。
「……はい。ずっと、一緒に生きていきます」
隣に立つ彼の横顔を見上げれば、とても凛々しくて大人っぽくて……頼もしかった。握った手に思わずぎゅっと力を込めると、羽汰くんも握り返してくれる。
そんな私たちの様子を見てまた嬉しそうに口元を緩めると、麻生先生は手を振って院内へ戻っていった。
「……なに、もらったの?」
麻生先生が撫でた頭の部分を、何かを払うようにもう一度触れた羽汰くん。私の手の中にある箱を覗き込む。
「ケーキ!検診の時は用意してくれてるんだっ」
そう言うと、握った手をぱっと放して今度は私の頬を抓った。まさかの行動に「ひゃんれ!」と間抜けな声しか出ない。
「……なんで、他の店のケーキ食べてんの」
その唇を尖らせた不機嫌そうな顔は、あまりにも可愛い理由だった。
「え、や、」
うまく喋れなくて言い訳もできない。誰のせいで〈Ree〉のケーキが食べれなかったと思ってるの、とはきっと彼が気にするから言わないでおいた。
「……浮気者」
「う、うわきっ!?」
小さな小さな嫉妬。それも私には苦しいくらい幸せだった。羽汰くんって以外にもヤキモチやきなんだねって言えば「悪い?」と挑戦的な顔をされた。勝てないな、この人には。
「俺のケーキじゃないと満足できない体にしてあげよっか」
「……聞いたことあるセリフ……な気がするけど……。喜んで?」
どこかの漫画で見たようなセリフなのに、何かが違う。ぷっと笑ったら、羽汰くんは顔を真っ赤にして拗ねた。恥ずかしいのに、言っちゃうんだね。
……ああ、もう!かわいいなあ。
「……どっちが可愛いと思ってんの?」
考えていたことがやっぱり声に出ちゃっていたらしい、私の言葉に返したその口調はぶっきらぼうなのに、セリフは甘い。糖度が高すぎて糖尿病になっちゃいそうだよ。
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