第33話
5分だったか10分だったか。私にはそれくらい長い時間みたいに思えた。ずっと絶えまなく続く口付けに体の中の酸素が薄くなっていく。舌も痺れて息つぎもままならなくて、きっと私のキスはへたくそだったと思う。
やっと……って言ったら語弊があるけど、終わった口付けの余韻に浸る間もなくぴったりくっつくように抱きしめられた。
「……うた、く……」
息も絶え絶えな私の声に、一層強く力を込めて抱きしめる羽汰くんは、ぽつりぽつりと喋り始めた。
「……勝手に現れて、勝手に一目惚れして、勝手に告白しといて……。勝手に好きにさせといて、勝手に諦めて、勝手にいなくなって、勝手に死ぬ?……ふざけるのもいい加減にしてよ」
怒ったような声色。でもちっとも怖くはなくて、心臓がぎゅっと縮まったような感覚に陥る。羽汰くんがどんな表情をしているのかは分からなかった。
「――俺は?もしも仮にあんたが死んだとしたら、何も知らなかった俺はどうしたらいい?俺は何も知らないまま、あんたのことを想い続けてかなきゃいかないわけ?そんでいつか、あんたが死んだって聞かされて……。どんだけ傷つくか、あんたは考えもしなかった?」
……私が死んだら、あなたは傷ついてくれるの?苦しんでくれるっていうの?
心なしか震える声に、すごく切なくなって、じわりと涙の膜が私の瞳を覆う。いろいろと混乱した頭では、羽汰くんの言葉全てを受け止めて理解することは難しくて、端々を拾い上げて都合のいいように解釈してしまっているのではないだろうか。
「……亜湖に好きだって言えなかったこと、一生後悔して生きていかなきゃいけないわけ?亜湖に触れられないまま、亜湖と恋人みたいなことできないまま、俺も死ななきゃいけないわけ?……そんなの、嫌なんだけど」
ああ……やっぱり夢かもしれない。誰が誰を、好きだって、言ったの……?
喜ぶ前に、誤解なら解いてほしい。これ以上は、病気じゃなくても心臓が持たないよ。
「うたくん……?」
顔を上げてみようとしたけれど、羽汰くんが私の肩に顔を埋めているからその表情を窺うことすらできない。
「……ごめん、は俺のほう」
消えてしまいそうな、羽汰くんの言葉。しっかりと耳を傾けて、その意味を探る。もうこの大好きな声を、一つだって逃したくない。
「いっぱい傷つけてごめん」
傷ついたって、大好きだったよ。だって本当にあなたが私を突き放したのは、最後の瞬間だけだったでしょ?
「いっぱい泣かせてごめん」
泣くのくらい、平気だよ。慣れてるもの。そう言ったら、また困らせちゃうかな。
「あの日、追いかけられなくてごめん」
先に背を向けたのは私でしょ?そんなことまで気にしてくれて、私は嬉しいけど。
「約束破ってごめん」
マフィンのこと?……それは、ちょっと許せないかもね。
羽汰くんが紡いでいく「ごめん」は、私が彼と出会ってからの記憶をひとつひとつ思い出させていくようで。どうしようもなく、あの日に戻りたくなった。
羽汰くんと初めて会ったあの日。もしもあの日に戻れたとしたら、私はどんな選択をするだろう。また羽汰くんを好きになるだろうか。また想いを告白するだろうか。また、毎日のように通いつめて、彼を困らせるだろうか。
――何度戻ったとしても、私はきっと同じ選択をするんだろうな。
「……ごめん……好きだよ」
あなたのそんな愛の言葉を聞けるのなら。叶わないと思っていた願いが、叶えてもらえるのなら。
――神様、ありがとう。
「……うた、くん……っ」
「……もっと呼んで。一か月、聞けなかった分も」
鼻と鼻がくっつきそうなくらいの距離で優しく微笑んでくれる。涙でぐちゃぐちゃの顔はきっと不細工だろう。
……でもね、羽汰くんの目元や頬だって濡れているから、愛おしくて笑ってしまった。
「うたくんっ、うたくん……」
「……亜湖」
何度も名前を呼びあってはその存在を確認する。ああ、私は生きているんだなって実感する。
何度呼んでも足りない気がして、私は背伸びをすると羽汰くんの唇にそっと自分のを合わせた。
「……ちょ」
さっきはもっとたくさんしたくせに、慌てたような羽汰くんが可愛い。
「……ふふ、かわい」
思った事をそのまま口に出せば、少しむっとした顔になった。そういえば、羽汰くんは「可愛い」って言われるのが好きじゃないんだっけ。その理由は絶対に教えてくれなかったけど。
「……そんなこと、言うんだ」
羽汰くんの目がきらりと光ったような気がして、慌てて彼から離れようとするとガッシリと腕を掴まれた。さっきまでの雰囲気が、ガラリと変わる。
「……覚悟、しなよ?」
首を傾げる羽汰くんはどこか妖艶で、色っぽい。こんな魅力を今になって新たに出してくるってどうなってるの?
「え?ちょっと、うたく……っ」
私の制止の声なんて聞く耳も持たず、ぐいぐいと腕を引かれて連れ去られていく。触れ合った場所が嬉しくて、あまり緩むことのなくなっていた表情筋が久しぶりに動いた気がした。
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