第27話
「――あこちゃんの気持ちに答える気、ないの?」
律のお母さん……オーナーから頼まれて、二人で窓拭きをしようと店の外へ出た時。律から切り出した話題は俺にとって傷を抉るものでしかなかった。一週間以上、あの子が店に来ないなんて今までになくて。ああ、これで諦められる。そう思うと同時に、もう会えないのかと勝手に寂しさを覚える。あの子がここへ足を運ばない限り、会うことはない。気持ちの整理をつけるには好都合なはずなのに。
律はあいつにまだ想いを伝えていないらしい。だけど日に日に二人が良い感じになっていくのは分かってる。それを見る度、「よかったな」って思おうとした。「幸せになれよ」って思うように頑張った。
その度に、泣きそうになりながら。
「……あんなの、冗談だろ。本気なわけ……」
……はやく、付き合ってくれよ。そしたら俺も諦めがつくだろ?他の子を好きになれるかもしれないだろ?
「あんなに毎日来てくれてたのに?羽汰のことしか見えてないのに?」
律の声に怒りが見え隠れする。だけど、俺だって腹が立つよ。応援してる俺の身にもなって。……って、自己中心的にもほどがある。
苛立って舌打ちした俺を、睨む律。俺も負けじと睨み返すけどその目力には勝てない。綺麗な顔が凄むと迫力があるって、本当だ。なんてこの場にそぐわないことを思った。
「……もし、あこちゃんが羽汰に愛想尽かして……他に好きな人ができたらどーすんの?」
「……べつに。むしろそのほうが清々する」
思ってもないことを言うのって、こんなに疲れるんだ。こんなに苦しいんだな。嘘だって建前だってこの世でうまく生きていくには必要なもの。こんなに下手じゃなかったはずなのに。それこそ、律や亜湖みたいに思ったことを言ってしまうような、素直な性格じゃないんだから。
目の前の律の目が見開かれたと思ったら、その視線の先は俺が背を向けている方向だった。
「……あこ、ちゃん……」
「え……」
さっと血の気が引いた気分だった。だけどすぐに、これで良かったと思う。ゆっくりと振り返れば、久しぶりに見たあの子。胸をぎゅっと掴まれたようだった。なんだか顔色が悪い気がするのは。きっと――また、俺が傷つけてるからだ。
「あのね、これは……」
いいんだよ、律。俺を庇うんじゃなくて、あいつを慰めてやって。
「……いーよ、りっちゃん。大丈夫!」
俺はあいつに嫌われたいんだ。
「……うたくん」
久しぶりに呼ばれた気がする。彼女に名前を呼ばれるのが好きだった。俺が返事をしたら、嬉しそうに笑うから。でも、ごめん。今は返事なんてできそうにない。
「……ごめんね」
「……なにが」
言葉多くは話せなかった。声が震えてしまいそうだったから。どうしてあんたが謝るの?悪いのはいつだって俺じゃないか。俺を責めてよ。罵ってよ。もう笑顔なんて見せないで、殴ってくれても構わないから。君が傷ついた何倍も、俺を傷つけて痛めつけてほしい。じゃないと、あんたが好きで、好きで――泣いてしまいそうだ。
「すきに、なって……ごめんね……っ」
そう言われた瞬間、ズシンと何かが圧し掛かったような胸の痛みが襲ってくる。
ああ……俺も、好きならなきゃよかったよ。こんなに苦しいなんて思わなかった。こんなに辛い思いをするなんて思わなかった。こんなにも、あんたを好きになって――
――人を好きになることが、こんなに幸せだって思わなかった。
きっとこの先「好きだ」って言って、抱きしめるのは俺じゃない。「愛してる」って言って、口付けるもの俺じゃない。お前が幸せそうな笑顔を向ける相手も……俺じゃないんだ。
律、今すごい後悔してる。最初から正々堂々勝負すればよかった?あいつの「だいすき」って言葉を信じて、立ち向かえばよかった?
それすらできない臆病者だから。
だから、震える声で去っていく彼女を追いかける勇気もなかった。それが俺の最大の過ちだったと今でも思うよ。
「ばいばいっ」
切なく笑った君はもう、俺の好きな笑顔じゃなかった。他でもない、俺がそうさせたんだから。
――その日を境に、彼女は俺の前から姿を消した。
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