第25話


「羽汰、これお願いね?」

「ああ、うん」

 そっけない俺を見て首を傾げる律。……律って、ほんと凄い。


 俺はまだ律と自然に会話できるほどの心の余裕はない。でもこいつは、いつでも俺に不自然な態度なんて取ってこなかった。今になって律の痛みがひしひしと伝わってくる。


「羽汰っ」

 ドアが開いたと思ったら、鈴が鳴るような可愛らしい声が聞こえてくる。

「……愛理。いらっしゃい」

 ここ最近、愛理がよく〈Ree〉に来るようになった。それはあいつよりもずっと多い頻度で。


 愛理の気持ちに気付かないフリをするのもそろそろ限界になってきた。これは俺にとっては都合のいい展開、のはず。だけどそこから踏み込めないのは、まだあいつへの想いに希望を持っているからなのかもしれない。


 その証拠に、あいつの幸せそうな顔が見たくて、昨夜も俺は懲りもせずキッチンに向かっていた。

 ……これも、必要ないっていうのに。


 ちらりと律を見れば整った横顔が真剣な顔でケーキの並びを確認して、それから箒を持って外へ出て行った。


 ……もうそろそろ区切り付けなきゃ。

「……これ、あげる」

 レジ下から取り出して愛理に手渡した包み。これはあいつにあげるはずだったもの。我ながらよくできたチョコレートマフィンを愛理に手渡せば、嬉しそうな顔をする。……だけどそれはもちろん、俺が待ち望んでいたものじゃない。


 口いっぱいに頬張って幸せそうに笑うあいつの顔が見たくてこのマフィンを作ったはずなのに、なにやってんだろう。


 ……いや、これでいいだろ?あいつは律が幸せにしてくれるから。


 ……でも。

 一度くらい、名前を呼んでやればよかったかな。抱きしめてやればよかったかな。一度くらい……「好きだ」って言ってやれば、こんな風にすれ違わずにすんだのかな。


 それももう、敵わないよ。


 愛理には悪いけど、ほとんど耳に入って来ない会話。相槌だけを返していれば、店の入り口付近でイチャつくカップルが目の端に映る。そこへ視線を向けたら、その瞬間身体が勝手に動いていた。


「……っ、また、」

 なんの躊躇もなく律に抱きつく彼女。ぐりぐりと律の胸に顔を押し付けて、力いっぱい抱きしめているのが見て取れた。

 俺の思わず出た声に、愛理が反応する。

「……わ、律くんたち、やっぱり……?」

 その言葉に苛立った。この状況は俺が望んでいたものなはずなのに。こんなにも胸を切り刻まれたみたいに、痛い。

「……違うって言ったよね?」

「あこちゃんは大事な友だち。それに、あこちゃん好きな人いるし」

 律は悔しそうな顔をして、反論する。ちらりと俺を見た律から目を逸らしてしまった。

「え?そうなの?誰?」


 聞きたくない。聞いてしまったら、本気の彼女の気持ちを聞いてしまったら……。もしも彼女が律を選んだら、俺はここから走って逃げ出してしまいそうだった。もしも彼女が本気で俺を好きだと言ったら、律の目の前だろうが何だろうが、抱きしめて、自分のものにしてしまいそうだったから。


「……わたしが、すきなのは……」

「……別にいいじゃん、そんなこと」

 俺は答えを聞きたくなくて、彼女の言葉を遮った。俺にとって大事なのは、彼女が好きな人じゃなく、誰があいつを幸せにしてくれるか、だから。

「うた、くん……」


 だからそんな顔しないで。


「……わたしがすきなのは、うたくんだって、知らなかった……?」

 そんなに純粋に、「好き」って言わないで。もう全部、どうでも良くなっちゃうだろ。


 だけど突然、何かに気付いた彼女が

「……おじゃま、しました……っ」

 早口でそう言うと走り去っていく。

 ……ああ、そうだ。きっと、彼女が見たのは、愛理が手にしているものだろう。

 ――『つぎは、チョコがいいな』

 ――『仕方ないから、また作ってあげる』


 そう約束したはずなのに。

 俺は最低なんだよ。だからもう、嫌いになって。引っぱたいてくれても構わないから。俺はあんたに何もしてやれない。傷つけてばっかりの、馬鹿な男なんだよ。


 あんたの隣には、誰よりもあんたを愛してくれる、笑わせてくれる、幸せにしてくれる……守ってくれる男が、いるんだから。

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