第24話
俺が毎日のようにお店に来るのは変わっていないのに、毎日のように来ていたあいつがいない。
全く来ないわけじゃなくて、少しだけ来る日が減っただけ。あいつも忙しいんだと自分に言い聞かせてみるけどやっぱり不満なのは変わりなくて。
カランカランと鳴り響く音にあいつを探して、彼女は現れないまま一日が終わってしまうなんてこともザラにあった。
「……なんで」
やっと、頑張ろうって思えたのに。律にも伝えて、あいつにだって……。そう決心したのに。
肝心のあいつが来ないんじゃ、意味がないじゃんか。
律はあいつが来ないことを特に気にしていない。ってことは、多分……あいつとここ以外で会ってる。律に聞いてみたいけど、仮にもライバルなんだから……なんて俺のちっぽけなプライドが邪魔をして聞けなかった。
今日もあいつが来ないまま、時間が過ぎて俺のシフトが終わる。
「……おつかれさまでした」
「元気がない」と律のお母さんに言われたけど、曖昧な笑みで返して誤魔化す。
……今日も、あいつに会えなかった。明日、俺は休みだから……。もちろんあいつには会えない。
こんな時、律だったら……。いや、連絡先ぐらい知っていたら、どうして来ないのかも本人に聞けたのに。
結局、あいつとは〈Ree〉以外での接点なんて持ち合わせていないわけだから、俺にはどうすることもできない。そんな自分が情けなかった。
「お先に~」
俺とすれ違いざまにそう言って駆けて行った律。ああ……今日は同じシフトだったっけ?
休憩室でロッカーから鞄を出すと、エプロンと帽子を取り払ってその中に詰め込む。俺の手に触れたビニール製の何かがカサッと音を立てた。
「……渡せないじゃん、馬鹿」
取り出したのは、少し形の崩れたマフィンだった。チョコレート味がいいと言ったあいつのために、昨日作っておいたのに。
昨日どころか……。あいつがいつ来てもいいように、暇さえあれば毎日のように作っては持ってきていた。それも空しく、あいつの手に渡せないまま家で妹の夜食になってるんだけど。最近では「飽きた」なんて言われる始末。
今日で最後にする、って毎日言い聞かせてはまた今日もキッチンに立つんだろうな。
「……はやく、来てよ」
またあの笑顔を見せてほしいのに。
大きくため息を吐いて、またそのマフィンを鞄へ雑に突っ込む。今日もどうせ、妹に食べてもらうことになるんだから形なんてどうなってもいい。
裏口のドアを開けると、心地よい風が舞いこんできた。それと同時に、俺が聞きたくて仕方なかった声も。
「ありがとう!りっちゃん!」
俺の名前じゃなくて、他の男の名前を呼ぶ声。
心臓が嫌な音を立てた。
声のする方へ目を向ければ、俺の親友でもありライバルでもある律と、俺がここ最近見れなくなったあいつの笑顔。
「りっちゃん、だいすきだよ」
そう言って笑う君。
……ああ、俺だけじゃなかったんだ。あいつが「だいすき」って言うのも、輝く笑顔で見つめるのも。
……俺だけだったってことか。本気にして一喜一憂してたのも。
照れたように笑う律に苛立ってしまう。律はいつも俺に、こんな気持ちを抱いていたのかな。
俺には「だいすき」って言って喜ばせておいて、俺のいないところでは律に「だいすき」だって?
馬鹿みたいだ。馬鹿らしくて笑えてくる。笑ってるのに泣けてくる。あいつを憎めば楽なのに、あいつを罵ればスッキリするだろうに……。それができないのは、惚れた弱みってことか。裏切られた気持ちでいっぱいなのに、俺はあいつを嫌いになれない。
律があいつの髪に、頭に、触れたかと思うと……そのまま引き寄せた。
「……え」
少し屈んだ律の背中。そのせいであいつの姿はほとんど見えない。だって律に抱きしめられているから。俺の位置からは、律の背中しか見えないんだから。
うそだよね?
律が少し動いて、キスしてるように見えるのは。離れた二人が、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして見つめ合ってるのは。
『――死ぬまでにはうたくんとちゅーしたい!』
そう言っていたのはどこの誰?誰でも良かったってこと?それとも、律の方がよくなった?……そりゃあそうか。こんないい男、選ばない方がおかしいって。
ぎゅっと握った鞄の持ち手。その拍子に鞄の中身までカサリと音を立てる。俺の気持ちと一緒に、マフィンがぐちゃっと潰れた気がした。
……ああ、やっぱり。
俺でも彼女を幸せにできるのかも、なんて淡い期待を抱くんじゃなかった。俺にもチャンスはあるのかもって、手に入れてもいいのかもって――彼女の隣を恋人として歩ける日が来るのかもって。そんな未来を描いてみるんじゃなかった。
「……うそつき……っ」
君は俺を「だいすきだよ」って言ってたじゃん。俺以外ダメだって言ったじゃん。マフィン食べてくれるって……言ったくせに。
俺の決心は鞄の中のマフィンみたいに、崩れてしまったみたいだ。
……これで、よかったんだ。最初に戻っただけじゃないか。あいつを諦めると誓った、あの日に戻っただけ。あいつらの幸せを願うあの頃に戻っただけなんだ。
ほらね?
俺はお前がいないとこんなにも苦しいけれど、お前は俺がいなくても楽しそうに笑えるんだから。
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