第23話


「……おかえり」

 雨に濡れて帰って来た俺を見ると、弾けんばかりの笑顔で迎えてくれる律。


「ちゃんと、話せた?」

 俺の状態を見越していたのか、さっと取り出したタオルを手渡してくれる。

「……ん」

 “ちゃんと”がどの程度なのかわからないけど、とりあえず頷いておく。

「……羽汰」

 まるで俺を諭すように、優しい目をして俺を覗きこんだ律。……まさか、律に諭される日が来るなんてね。


「……もう我慢しなくていいんだよ」

 いつもは無邪気な律だけど、こんなに大人っぽい顔もできるんだ。こいつがモテる理由が分かる。顔だけじゃない、良い男だって男の俺から見てもそう思う。

「言ってよ、あこちゃんが好きだって」

 言ったらどうなる?律はどうするっていうんだよ。

「なんで隠しごとすんの」

 俺の親友は、俺が律に嘘をついたことを根に持っているらしい。むすっと拗ねたような顔をする律はまた幼い雰囲気に戻っている。


 律は正直に俺に向き合ってくれたのに、俺はいつまでも背を向けたままだった。


「……そう、だよ……。俺はあいつが好きなんだと思う。だけど、俺は……多分あいつを幸せにできないから」

 もう、半ばヤケクソだった。律に伝えようと決心してはみたものの、実際伝えるとなると不安で仕方なかった。


 自暴自棄になった俺を、今度は窘めるように律が言い放った言葉に、俺は何も言えなかった。

「幸せになれるかなれないかは、羽汰や俺が決めるんじゃなくって、あこちゃんが決める

 ことでしょ」


 ……律の言い分は尤もで。ああ、ほんと。あいつのことになったらなんでこんなにも負けた気分になるんだ。


 ルックスだって性格だって、感心することはあっても、律を妬んだり羨んだりすることなんてなかった。だけど今は心底お前になりたいよ。


 だってお前はあいつの隣に立つには相応しすぎる条件が揃ってる。俺なんかとは違って、素直で優しくて頼りになる。男らしくて一途に彼女を守り抜くだろう。背が高くて男前で……。


 だめだ、もうやめよう。自分が惨めになるだけなんだから。


「……律だから、そんなこと言えるんだよ」

 だってお前は彼女のことをよく知ってるじゃないか。


 彼女の喜ぶことも悲しむことも傷つくことも、好きなものも嫌いなものも、笑顔にさせる方法だって……俺は何も、知らないんだ。


 ……ルックスだとか性格だとか、そんな劣等感は建前で。本当は、俺よりずっと彼女のことを知っている律が羨ましくて仕方がなかったんだ。

「俺は律が羨ましい」

 大きな瞳が、揺れた気がした。ぎゅっと作った握り拳が震えている。


「……俺は」

 困ったように笑った律に、弱々しく放たれた言葉に、胸が痛んだ。


「……俺は、羽汰が羨ましいよ」


「え……」

「……俺が何年間も手に入れられなかったあこちゃんの気持ちも、聞きたくて仕方なかった言葉も、羽汰はたった一度会っただけで手に入れたじゃんか」

 はっと我に返って、口を噤む。


 ……俺、なんて馬鹿なこと言ったんだろう。

 あいつが俺に告白めいたことを伝える度に、誰よりも傷ついていたのは律だったはずだ。あいつの隣で、俺に眩しい笑顔を向けるのを見て、誰よりも苦しんでいたはず。


 俺が律に嫉妬していたように、律だって……。


 そんなことにも気付かずに、律を責めるみたいな言い方して、結局本当のことも言わないまま、あいつには曖昧な態度を取って。律にとって、俺は許し難い存在だったはず。それなのに、俺にはそんな素振りなんて見せずに笑っていつも通り接してくれていた。


「贅沢だよ、羽汰」

 あいつを選んだところで、律が離れて行くわけもなかったのに。俺は何を不安がってた?

「ごめん……ごめん、律……っ」

 唇を噛みしめて必死で謝った俺に、また優しく微笑んだ律はやっぱりいい男で。


「俺はあこちゃんが好き。……羽汰は?」

 今度こそ、素直に伝えたい。もう一度チャンスをくれた律。

「うん……俺も、好き……」

 律の目をじっと見てそう告げた。

 やっと、伝えられた。胸のつっかえがスッとなくなっていくような感覚がした。


 「頑張ろうね」って無邪気に笑う律を見ていると、今まで自分が悩んでいたのが馬鹿みたいだった。

「……うん」

 俺も、頑張ってもいいのかな。


『――人生は一回なんだからさ、楽しまなきゃね!』

 いつだったか、あいつも言ってたな。後悔してからじゃ、遅いんだ。

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