第21話
一週間のほとんどをここ〈Ree〉で過ごす俺。そして俺のシフトを完全に把握しているあいつ。俺がいない時にも来ることはあるけど、それはごく稀なことらしい。
……今日はやけに遅いな。
時計を見て最初に思ったこと。
もうとっくに来ていてもおかしくない時間。あいつにだって用事はあるんだろうし、来ないことだってそりゃああるに決まってる。だけど俺のシフトの日に来ないことのほうが珍しいし、どうしても来れない時は律を通して聞いてもないのに教えてくれたっけ。その律も、まだ帰って来てはないんだけど。
カランカランと店のドアが開いて「いらっしゃいませ」と声をかける。チラリと向けた視線の先にいたのはあいつじゃなくて、また肩を落とす。
「羽汰」
目を伏せた俺の耳に聞き覚えのある声が聞こえて、顔を上げたらそこにいたのは小さい頃から一緒にいた幼馴染。高校が離れてからはあまり会うこともなかったから、久しぶりに顔を見る。
「……愛理、どうしたの」
「羽汰のお母さんからここでバイトしてるって聞いて。来ちゃった」
あいつ以外で一番気軽に話せる女子で、俺が唯一呼び捨てで呼ぶ相手、そして俺の初恋の人。
久しぶりに会った彼女は以前よりも綺麗になっていて、淡い思い出の中の自分が少し胸をときめかせた。
それでも俺は、あの子と比べてしまうんだけど。あの子はもっと顔をくしゃくしゃにして笑う。「うたくん」って明るく元気な声で俺を呼ぶ。そんな風に考えても、虚しいだけだっていうのに。
……ああ、そっか。俺は俺で幸せを見つけたらいいんだ。愛理となら、きっと上手くやっていける。愛理を好きになれば、あの子を忘れられる。
そうすれば、あいつも律と――。きっとあの子はすごく傷つくだろう。だけど俺のことなんて、きっとすぐに忘れられるよ。律なら上手く慰めてくれるから。あいつを守ってくれる。あの子を……誰よりも愛してくれる。これで、全部丸く収まるだろ?
そんな考えが頭を埋め尽くす。
愛理を好きになることはきっと大変じゃないはずだと思った。一度は好きになった人だから。話をすればするほど懐かしくて、煌めく思い出が俺を夢中にさせた。
どうして、あの子から離れる選択肢しか浮かばなかったのか。俺はこの後もずっと、後悔し続けることになるって言うのに。
これでいいんだと言い聞かせて、頭では理解しようともした。
……だけど、ダメだった。
「……っ」
ふと、視界に入ったのは、泣きそうな顔をしているあいつとその背中を撫でている律の姿。一瞬で意識は二人へと向かう。
「あ、律くん」
愛理も俺の視線の先を追って、振り返った。愛理が律を呼ぶのは何とも思わないくせに、あの子が律の名前を親しげに呼ぶのは好きじゃなかった。それだけで答えはもう出ているっていうのに。
体をビクッと震わせたあいつ。顔を上げて目が合うけど、その辛そうな顔は見てられないくらいだ。
「……久しぶり、飯田さん」
律は俺を睨むようにして、愛理にも冷たく告げる。俺の気持ちを誰よりも知っている律だから、俺の隣に初恋の人がいることが納得いかないらしい。
俺があいつから離れる方が律にとってはいいことだろ?他の女になんて目もくれず、取り巻きにだってそうやって冷たく接してやれよ?そうやって、彼女を守ってやって。彼女だけに目を向けて、彼女だけを愛していってよ。
「彼女さん?可愛い人だね」
その嬉々とした愛理の声にズキンと胸が痛んだ。何も知らない愛理が見てもそう見えるってことは、二人の間に流れる雰囲気はただの親友じゃ収まりきれないってこと。
「……違うよ、あこちゃんは俺の親友」
律、お前があいつを見つめてる表情は“親友”に向けるものじゃないよ。だってきっと、俺と同じ顔してるだろ?
唇を噛んでいるあいつは、何を思ってるんだろう。俺の隣に愛理がいて、傷ついてる?嫉妬してる?それならいいな、と頭の片隅でそう思う俺は随分と性格が悪いらしい。
「そうなんだ。お似合いだったから……ごめんね?」
そうだな、本当に……誰が見たってそう言うよ。俺なんかよりずっと、お似合いな二人。ぎゅっと拳を握りしめたら胸の痛みはいくらか和らいだ気がした。
「じゃあここの常連さん?羽汰も知ってる子?」
俺を振り返ってそう聞く愛理に、ドキッとした。それはときめきだとか、胸の高鳴りなんかじゃなく、何か悪いことをして問いただされたような。胸がざわざわと騒いで緊張感が走った。
「ああ、うん……。顔見知り」
そう言えば、あいつは傷ついたような顔をする。……だって、仕方ないじゃん。
俺は友だちだなんて思ってない。もちろん彼女でもないし。“俺の大切な人”なんて、言えるわけもない。そんな告白めいたこと、言えると思う?俺はあんたを諦めるって決めたんだから。
「……ごめん、りっちゃん。わたし今日だめだ」
律の服の裾を握るあいつ。涙目で律を見つめている。ああ……律が羨ましい。
遠慮しているのか俺に触れるのは躊躇するくせに、律にはなんの抵抗もなく触れるんだ。
「わたしは、これで失礼します……」
頭を軽く下げて、手を振って去っていくあの子。
俺を見つめる瞳も、俺に告白する唇も――いつか、律のものになるのかって思ったら、自分でそう仕向けているはずなのに、どうしようもなく辛かった。
出て行ったあいつの背中を追いかけようと、一歩を踏み出した俺と律。だけど律と目配せをして立ち止まった。
「……羽汰」
律が俺を試すように見る。
なんで、勝手に足が出てるんだろう。諦めるって決めたはず。もう関わらないって決めたはずなんだ。
律の目を見つめ返せば、彼は眉間にしわを寄せている。その表情は「行くな」でも「もう亜湖に関わるな」でもなくて。
――「追いかけろ」
そう言われている気がした。
律、俺はお前に嘘をついた。自分自身の気持ちを、嘘で塗り固めた。
……これで、最後にする。最後にするから……。
「律、ごめん」
最後に彼女の時間を頂戴。
俺の言葉に律は安堵の表情を見せる。
「ちょっと抜ける」
俺は律が頷いたのを確認すると同時に、エプロンと帽子を脱ぎ捨てるようにして店を出た。
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