第20話


 カランカラン

「……いらっしゃいませ」


 顔を上げて挨拶の言葉を告げれば、入ってきたのは大人のカップル……いや、夫婦か?スーツ姿でクールそうな表情の男性と、その少し後ろから控えめにやってきたとても綺麗な女性。大和撫子ってこういう人のことを言うのか、なんて思いながら何気なく二人を見つめる。


「……洸さん、なにがいいですか?」

「……お前に任せる」

「……そうですね、これならあまり甘くないんじゃないですかね?」

「……じゃあそれ」

 女性は男性の好みを熟知しているらしい。そして男性の方も女性の選択に絶対的な信頼を置いているようだ。


「すみません、これとこれ……あと、ホットコーヒーとアイスティーをください。あ、お持ち帰りでお願いします」

 すんなりと決まった注文内容に、俺は慌ててレジを打つ。店員である俺に対してもすごく丁寧に注文した女性は笑顔までもが綺麗だった。



「お待たせしました」

 手際良く用意した商品を手渡そうとする。手を伸ばして受け取ろうとした女性に、男性が横からそれを遮った。


「美緒、お前はこっち」

 結局商品を受け取ったのは男性で、彼は女性に手を差し出す。女性は嬉しそうにその手を取って、指を絡めた。

「……ふふ」


 幸せそうに笑って、繋がれた手を見つめた女性。俺に一礼すると、彼に手を引かれて二人は店から出て行った。



 ……羨ましい。ただ、そう思った。


 二人の左手、薬指につけられたものは永遠の愛を誓ったものだろう。お互いが相手を信用して、言わなくても想いが伝わるような関係。女性は男性を心から愛してるって瞳をしていた。男性は女性を優しく守るような瞳で見つめていた。


 結婚願望が強い方でもないけれど、いつか結婚するならああいう夫婦でいたいと思う。そう思わせるくらい、素敵な夫婦だった。




 俺にもそんな相手は見つかるのかな。


 俺だけを精一杯愛してくれる人。目が合うだけで嬉しくなるような人。手をつなぐだけで幸せを感じられる人。守ってあげたいと、思える人。


 ……ああ、もう。


 ちらりと目を向けた、窓際の席。


 ……君がその相手なら。俺は、いつも笑っていられる気がするのに。



「あー、ほんと……。黙ってたら可愛いのに」


 だけど、俺は「黙って」って言っても黙らない君が好き。俺のことを一生懸命愛してくれる君が好き、だよ。





 勉強していた彼女が、課題を終えたのかノートをパタンと閉じた。そして深いため息をつくと机になだれ込むように倒れた。窓際の彼女の席からは夕日が差し込んであいつを照らす。眩しそうに起き上がって目を細めたと思ったら、ブラインドを下ろしてその光を遮断した。満足そうに頷くと、また席に腰を下ろして伸びをする。そのまま再び机に突っ伏した。


 俺は緩む頬を引き締めて、仕事に取り掛かった。チラチラと彼女のほうを見れば、最初に倒れ込んだままピクリとも動かないからきっと眠ってしまったんだと思う。


 テーブルを拭くと理由づけて、彼女の顔を覗きこめば安らかな寝顔。あまりにも幸せそうに眠っているから、起こすのも気が引けて、気付けば閉店間際。他のお客さんももういなくて、客席には彼女と掃除中の俺だけ。


 そっと彼女に近づいて顔に掛かった髪の毛を避ける。


「……うた、くん……」

 むにゃむにゃと口元を動かしたと思ったら、呟いたのは俺の名前。


 ……やめろよ。もう、決心したってのに。



 変な緊張感が、俺を襲う。もう、店のシャッターも閉めた。入口の鍵も。律はキッチンで片付けをしてる。水を流す音が聞こえてくるから。


 自分の意思とは関係なく、動く身体。ダメだと思っていても、俺の中の何かが弾けてしまっていて止められそうにない。

「……」

 机に突っ伏してぐっすり眠るこいつがどうしようもなく……愛おしくなって。


『――うたくん、だいすき!』


 あいつの声がひどく耳に響いた。


 しゃがみこんだら、あいつの顔はすぐそこ。ゆっくりと近づいて


 ――そっと、その唇に触れた。



『――うたくん、わたしが死ぬまでにはちゅーしてねっ!』


 ゆっくりと離れたら、彼女の頬にぽたりと雫が落ちる。


「……っ」

 なんで俺、泣いてるんだろ……。


「すき、だよ……」

 面と向かって言えなかった気持ち。もう諦めなきゃって、言っちゃいけないって思えば思うほど、止まらなくなってしまう。


 こいつの笑顔が、頭から離れなくて、同時に浮かぶのは律の顔。俺をいつでも元気づけてくれた律だから俺はあいつを傷つけることなんて、できないんだ。


『――すきです……っ』

 あの日、君が現れた瞬間。本当は俺も一目惚れだったのかもしれない。ショーケースの中のケーキを見る笑顔が何より輝いて見えた。


 君が笑ったから、俺の世界が輝いたんだ。


 だからこれからも世界が輝くその時には、君がいてほしい。


 だけど太陽みたいな君。俺には君は眩しすぎて、手に入れられないくらい高い存在で、俺が一人占めするには、大きすぎる人だった。

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