第18話
だけど今日は訳が違った。
「ここがお薦めのお店?」
「そうですよっ、ケーキも紅茶もすっごくおいしいんです!」
入ってきたのは待ち望んでいた彼女だったけれど、その後から入ってきたのは紛れもなく男。第一声は俺の名前ではなく、男との会話だった。胸がザワザワして、胃が気持ち悪い。
「――うたくんっ!」
あいつと目が合って、ぱあっと輝かせる表情。ようやく呼んでくれた名前に少しだけほっとした。
「……いらっしゃい」
レジ前まで駆け足でやってきた彼女と、それについてくる男。ちらりと彼女の背後に目を向けてみればなかなかの男前だった。……もちろん、律には負けるけど。
「今日は、一人じゃないんだ」
本当は面白くないのに、平静を装って話かける。こんな意気地なしの自分にも腹が立つ。すると君はきょとん、として言った。
「え、うん?なんかついてきてた!」
「……は?」
目を見開いた俺に慌てる男。“ついて来た”?
「駅で声かけられたんだけど、カフェにいくって言ったらついてきてた!」
飄々と言ってのけた彼女に、開いた口が塞がらない。どこか抜けているとは思っていたが、ここまで鈍感だったとは。
「……それは、ナンパってこと……?」
眉を顰めて男を睨めば怯んだから、図星なんだと理解する。それでもこの子はいまいちピンと来ていないようで。
「……え?」
後ろを振り返って「そうなんですか?」なんて本人に聞く始末。
ダメだ、これは。
レジカウンターから出て彼女と男の間に立つと、この子の腕を引いて自分の背中で隠れるようにする。
「……お引き取りください」
……本当に目が離せない。一人にしてたら、どんなロクでもない男に引っかかることか。誰かを“守ってあげなきゃ”なんて、思う日がくるなんて。
「うたくん?」
この状況を何にも分かっていないこいつはぽかんと口を開けている。
「……黙ってなよ」
そう窘めたら、むうっと拗ねたような声が聞こえてきた。
「いや、俺はただ……」
男は言い訳じみたことを一生懸命考えていたようだけど、俺がまた一睨みしたらそそくさと帰っていった。ナンパするような奴のくせに、体格がいいわけでもない俺に怯むなんて意外と弱気なんだ、と拍子抜けする。かっこ悪くも、少しビビッていたのに。
「……あのひと、連れてこないほうがよかった?」
俺の背中で隠れていた彼女が、少しだけ顔を出してそう言った。
「……そうだね」
俺が素直にそう答えると、しゅんと落ち込む。
くるくる変わる表情。馬鹿みたいに純粋なところ。
……どんな男に好かれようが、絶対に俺以外に目を向けなかったところ。
俺はあんたのそういうところが好きだったよ。
「……もう、他の男と来ないで」
そう言うと何度も頷く。
……彼女は俺の言葉の本当の意味をわかっているんだろうか。
男と二人でやってきた彼女を見て、心臓が抉られるみたいな痛みが襲ってきた。もうあんな痛みは御免だ。それなら、律と楽しそうに笑うあんたを見ているほうが、安心するよ。
「うたくん、けーき……」
さっきまで良い感じだったのに、すぐにそんな雰囲気もぶち壊す。
「ほんと、あんたって……」
手の甲を口元にあてて笑いを堪えた。そんな俺を見て不思議そうにしたかと思えば、また花が咲いたように笑う。
「うたくんが笑ってくれたら、世界中が幸せになるね!」
そんな大げさな。だけど彼女に言われたら、別に好きでもなかった自分の笑顔も価値ある物みたいに思えてくる。
「そんなこと言うの、あんただけだよ」
「わたし以外、どこの女が言うっていうの!」
頬を膨らませたら居もしない女に嫉妬心むき出しで。
「あんただけで手一杯だよ」
嫌味も含めた言葉だったはずなんだけど、どう解釈したのか嬉しそうな彼女。
「わたしも、うたくんだけでいっぱいいっぱいだよ」
……あんたが笑えば、俺は幸せになれるけど。そんな言葉、臆病な俺に言えるわけもない。
手に入れてしまえば、もう離せないと思った。もう忘れることなんてできないと思った。
だから、怖かったんだ。
君を手に入れるよりも、君が離れてしまうときのことを考えてしまったから。
「……わかったから」
君は知らないんだ。恋っていうのは純粋なものだけじゃない。楽しくて幸せなことばっかりじゃない。苦しくて辛くて泣いてしまいそうなことだってあるんだよ。
決して経験豊富な男じゃないけど、君の能天気な笑顔を見ていたらそう思う。
いつだって俺を「すき」だと言ってくれる君だけど、それがいつまでも続くなんて思えない。いつかは俺から離れて行くんじゃないかって、それだけがただ、怖かったんだ。
「あこちゃん、いらっしゃい」
俺がそんな考えを巡らせていると、キッチンから出てきた律があいつに話しかける。その顔は酷く優しかった。
「あ、りっちゃん!」
また顔を輝かせて律のもとへ駆け寄って、今日は何があったとか、共通の知り合いの話だとかで盛り上がっている。
律とは仲が良いって聞いていた。だけど思っていた以上にそれは親密で、俺が入る隙なんてないくらい。
律が手を広げて彼女を待っていれば、なんの躊躇もなく彼女はその胸に飛び込むだろう。彼女が困っていれば、律はなんの戸惑いもなく危険を冒すだろう。
そんな距離の近い二人。顔を見つめて笑い合うその姿はどこかのドラマのカップルみたいにお似合いだ。あの子は律のこと、本当に親友として接しているみたいだけど――律は?
律目当ての女の子なんていくらでもいて、選びたい放題なはず。だけどそれだけモテる律も、特定の“好きな子”や“彼女”を作ったことはない。女友達は多いけど、それは律が優しいから相手してあげているわけで、恋愛対象として見ている子なんて聞いたことも見たこともなかった。
――そう、律があいつを連れて来るまでは。
俺だって律とは長い付き合いなんだ。見ていたらわかる。
あいつを見る表情もその視線に含まれた感情も、あいつに触れる手先も……今まで見たことないくらい、愛情に満ちているってこと。
あいつが来たら、輝く表情。あいつの言葉に一喜一憂するとこも。全部が、俺と同じで。
律の取り巻きたちとは全く違っているんだって。“親友”って言葉じゃもう納得できない。あいつに特別な感情を持っているってことを律自身は気付いているのかな。
律に抱きしめられているあいつの顔は心底安心しきっている。あいつを抱きしめる律は大切なものを扱うように優しい。目を逸らしたくなるくらい、お似合いな二人。
あいつも黙っていたら可愛いのに、なんて。……本人には絶対に言わないけど。
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