第15話


 すき、きらい、すき、きらい……。何度花弁を千切ってみても、望んだ答えにはならなくて。嫌いになってしまえば楽だったのに。嫌われてしまえば諦めもついたのに。いっそのこと、“秘密”を打ち明けてしまえば……。優しいあなたは私のものになってくれたかな?



「――ねえ、りっちゃん。わたし、うたくんにちゃんと振られてくるよ」


 私は今日、りっちゃんの高校の校門の前で彼を待ち伏せていた。


「……そっか……」

「りっちゃん、いつもありがと」

 いつも応援して慰めてくれた彼だから、事前に言っておくべきだって思ったの。



 りっちゃんは今日もバイトだからと、一緒にお店へ向かう。あの子がきっと羽汰くんの手作りであろうマフィンを持っていた日から、一週間ぶりの〈Ree〉。こんなに長い間行っていないのは羽汰くんと出会ってから初めてで、正直羽汰くん不足。だけど、この現実にも慣れていかなきゃいけないんだよね。



 〈Ree〉に着いても、なかなか店内に入れない私の足。怖気づいてるわけじゃないんだけど、とりあえずりっちゃんについて裏口までお見送りする。

 

 だけどその何気ない行動が、運命の分かれ道になるだなんて思わなかった。

「――あ」

「羽汰っ!」


 開いた裏口の扉。同時に聞こえてきた可愛らしい声と、大好きな人の姿が現れたかと思えば重なった二つの影。


 彼女が羽汰くんに抱きついているその光景は、決して見たくなかったもの。そして彼が彼女の背中に手を回したのを最後に、私の視界は真っ黒になる。


「……見ちゃ、だめだ……っ」

 私の目元を覆う大きな手。それは大切な親友のもので間違いなかった。優しいりっちゃんは、私が傷つかないようにしてくれたんだと思う。ありがとう、って喉がつっかえて言えやしなかったけれど。

「……そっか。そうだね」

 それはまるで独り言のようだった。


「うたくんには、大切なひとがいるもんね……っ」


 私じゃダメだった。世界で一番羽汰くんを好きな自信はあるけれど、羽汰くんが世界で一番好きなのは私じゃない。



「――言えない、よ」

 もう、「すきだよ」って言えないね。「あの子と幸せになってね」とも。そんなにいい女じゃないの、私は。


「あこちゃん……っ」

 泣きじゃくりながら、溢れる想いを言葉にしていく。りっちゃんが制止してくれているけど、その言葉すら耳に入らない。

「りっちゃん、ごめんねっ」

 しゃくりあげてしまう吐息を整えて言葉をスムーズに吐き出すのに精一杯だ。


「もう、ここには来れないや……っ」

 だって、ここに来る意味がなくなってしまったもの。羽汰くんと彼女の親しい関係を見せつけられるくらいなら、大好きな〈Ree〉のケーキだって諦めてしまえる。


「わたし、そんなに強くない……っ」

 何度振られたって、何度スルーされたって、起き上がって来れたのは、あなたが他の人よりも私を特別のように扱ってくれたから。それは彼にとって“特別”だと意識していない行動だったのかもしれないけれど、少なくともただのお客さんとは違う意味を持っているものだと思っていた。


「だいすき、だったのになあ……っ」


 だけど、もうあなたの“特別”は決まってしまったから。


「世界でいちばん……っ、だいすきだったのに……」


 ただ“大好き”って気持ちだけじゃ、どうにもならないんだね。



「あこちゃん……っ、落ち着いて……っ?」

 りっちゃんが視界を解放してくれたけど、どうしてだかまだ目の前は真っ暗。眩暈が一気に襲ってきて、耳鳴りが止まらなくなった。

「あこちゃん……!?」


 泣いてるっていっても、尋常じゃない息切れにりっちゃんの慌てる声が遠くで聞こえる。


 力の入らない足が地面に崩れ落ちる。支えてくれるりっちゃんに申し訳なくて。でもそれを伝えるための口も動かせない。終いには意識すら保つことができなくなって、もう駄目だ……って思った瞬間


「……亜湖っ!!」

 ただ一人、私を救ってくれる声が聞こえたのを最後に、私は意識を手放した。








 目を覚ませばそこは見慣れた場所。白くて清潔感があるその場所には、微かに医薬品特有の匂いが漂っている。

「……すうちゃん」

 ベッドから身体を起こして、彼の特等席でもあるデスクへ目を向けた。


 ……ここは私の通う学校の保健室だ。


「……起きたか」

 デスクに向かって仕事でもしていたのか、立ち上がったすうちゃんはメガネを外してこちらへ近づいてくる。

「……ごめんなさい……」

 怒られる、そう思って目をギュッと瞑り、叱咤の声を待つ。だけど私の俯いた頭に振ってきたのは怒声ではなく、震える手のひら。ぎこちなく撫でてくれる。

「……この、馬鹿……」

 弱々しく発された、本来罵声であるはずの言葉は、彼がどれだけ心配してくれたのかを容易に汲み取ることができた。


「……りっちゃん、心配してた?」

「ああ……、泣きそうな顔してた」

 意識を手放す直前までそばにいてくれた親友を思う。“泣きそうな顔”が容易に想像できて、思わず笑ってしまった。


「……うまく、言っといたから大丈夫だろ」

 もう隠すこともままならないのか。私の“秘密”は確実に悪い方向へと向かっているらしい。


「……明日、だろ……?」

 もう詳しく言葉にしなくても伝わる。コクリと頷くと、はあっとため息をついたすうちゃん。


「……俺も行く」

 私が拒否する間もなく、強制的に告げられた待ち合わせ時間とその場所。


 ……参ったなあ。待ち合わせ場所まで行くには、〈Ree〉を通るのが一番楽なのに。わざとなのか偶然なのか……。すうちゃんはやっぱり意地悪だ。

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