第9話


「……あんた、犬みたいだよね」

 そっぽを向いたまま、そう呟いた羽汰くん。私にはその意図がよく汲み取れなかったけど。

「誰にでも懐くし、尻尾振るし」

 これは褒められているのか貶されているのか……。言葉の端々に棘があるのは気のせいかな?


「……ちゃんと帰ってくるか、不安になるときがある」


 羽汰くんは犬を飼っているのかな?羽汰くんに飼われるワンちゃん……羨ましすぎるよこの野郎……。


 ……いけない、いけない。すうちゃんの暴言がうつってしまってる。


「帰ってくるよ、きっと!忠犬ハチ公みたいに、ご主人さまのこと忘れないよ」

 なんだか不安がっている羽汰くんに、そう励ましの言葉をかけるとクスッと笑ってくれた。


「……そ。なら、いいんだけど」

 そうやって笑っていると、あなたの方がワンちゃんみたいですけど!


「……ねえ、ハチ公」

「はっ、ハチ公!?」

 いくら犬みたいだからって……。でも、腹立たしいなんて感情は一切なくて。


「はじめてうたくんが、『あんた』以外で呼んでくれた……っ」


「貶してるつもりなんだけど伝わらないんだ」


 羽汰くんがつけてくれたあだ名ってことは、他の誰もその名前で呼ばないってことで、特別だってことで……。


「そのうち“ハニー”って呼んでくれたらなんでもいいよ」

「馬鹿なの?」


「あ、“べいびー”でも可」

「発音へたくそ過ぎ」


 それもそうかって笑えば、羽汰くんもつられて笑った。


 ……ああ、幸せだなあって思う。こんな時間がずっと続くなら、それこそ――どんな罰だって受けるのに。



 キッチンから、羽汰くんを呼ぶ声がして、目の前の席から立ち上がった彼。

「……ありがと、食べてくれて」

「お礼を言うのはこっちのほうだよ!」

 目を細めて、いつになく優しい顔をしてくれた。


「……おいしかった?」

 羽汰くんの耳が痛くなるくらい、感想は告げたつもりだったけど、もう一度聞かれたら応えるしかないよね?


「世界でいちばん、おいしかった!」


 へへって笑った私の、頭……髪の毛を梳くように撫でて、


「仕方ないから、また作ってあげる」

 なんて。どうしたの羽汰くん。今日は甘すぎるよ?マフィンを作った時に間違えて羽汰くんにも砂糖混ぜこんじゃったんじゃないかってくらいに、甘い。


「わたし、うたくんのお客さん第一号だもんねっ」

 羽汰くんの作ったものならたとえ失敗作でも食べるよ、と冗談を言ってみせれば肩を竦める彼。


「つぎは、チョコがいいな」

 次回作の注文をしたら、「調子いいね」と軽くデコピンされた。


「あんたが太らない程度に作るよ」

 にやりと笑って、そう言うから私は唇を尖らせた。



 “次は”“また”――そんな魔法の言葉がいつか叶わなくなる時が来るってことも、私は頭の奥底にしまい込んだ。


「ねえ、うたくん」

 最後にどうしても、聞いておこうと思ったことを口にする。


「うたくんは、わたしのこと……きらい?」


 「すき?」って聞けないのは弱虫な私のせい。


「――嫌いな子とは喋らないよ」

 羽汰くんは優しいから、私を傷つけない言葉を選ぶのを知っている。


「じゃあわたしにもチャンスはあるってことだよね?」


「……もううるさいから黙って」


 首を傾げて冗談ぽく言ってみたら、耳を赤くした羽汰くんがプイと余所を向く。


「うたくんがすきって言ってくれるまで黙らないもん!」

 言ってくれるわけないって、わかってるけど。


「……すき」

「……え」

 今、すきって言った……?羽汰くんが好きって言ったの?


「……なーんてね」

 照れくさそうに首を摩って目を逸らす羽汰くん。冗談だって、私を静かにさせるためだって分かってるけど……。涙が出るくらい嬉しいのは仕方がないよ。


「なにその不意打ちやめて……しんじゃう」


「黙るんじゃなかったの?二度と言わないよ」


「ごめんなさい」

 ねえ、羽汰くん。だいすきだよ。


「わたしが死ぬまでに、うたくん、彼氏になってね?」

 そう言えば、くすっと笑って


「じゃあ俺らおじいちゃんとおばあちゃんかも」

 そう冗談ぽく返した。

「それはいつか、なってくれるってこと?」


「……さあね」

 はっきり断らない羽汰くん。ずるいなあ……。


 これじゃあ、諦めるものも諦めきれないじゃん。期待を持ってしまうよ。……最初から、諦める気なんてなかったけど。


「……だいすき」


 もうなんでもいいよ、あなたが笑って私を見てくれているから。

「うん、知ってる」


 私の思いを知ってくれているから。拒否しないでいてくれるから。

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