測定機械

紫鳥コウ

測定機械

 だる夏の日のことである。風鈴のチリンという涼しげな音が、待ち遠しい。今日は一言もいわない。


 ラップのかかった冷やし中華を冷蔵庫から出そうとした、丁度そのとき、わたしの携帯電話が鳴った。


 机の上にお皿を運んでから、鳴り続ける電話に応じた。それは、古里勇大ふるさとゆうだいからのものだった。


 わたしが帰郷していることを知って、どこかへ誘う気でいるのだろう。そして、案の定、その通りだった。が、古里ふるさとは、どこへ行くのかということを、はっきりと言わない。ただ、「俺の友人がおもしろいものを持っているらしいんだ」と、もったいぶるだけだった。


 午後からは、年末までに仕上げなければならない論文の作業をする気でいた。しかしいまは八月だから、この誘いはわずらわしいものではない。


 わたしは古里の誘いを承諾した。そして、昼を食べてから古里の家に行くということを約束した。


 蝉の羽音に辟易へきえきしながら、冷やし中華を食べはじめた。が、ここ最近のある考え事のせいで、めっきりと食欲が落ちていたわたしは、すぐにそれを食べきることができなかった。


 わたしは今年の春から、小説を書きはじめていた。最初は趣味の範疇はんちゅうであったが、いまでは、もっと大きな野心が芽生えていた。


 つまり、研究と創作の両方に対して、並ならぬ姿勢で取り組んでいるわけだが、それは、一筋縄ではいかないことだと、まざまざと分かってきた。


 どちらかが、重い負担として両肩にのしかかっている、というわけではない。ただ両方に取り組んでいるいま、研究と創作のどちらともを中途半端に形になっているのではないかという疑心を、抱きはじめたのである。


 ようは、研究に専心している同世代の研究者や、創作をとことん突きつめている物書き仲間たちの背中が、どんどん遠くへ消えていくような気がしているのだ。


 ならば、どちらかを切り捨てるという選択が合理的に思えなくもないが、わたしにとってこのふたつは、すでに両の肺になってしまっている。だからこそ、このふたつの営みを両立しながらも、中途半端な作業にしてしまわないためにはどうしたらいいのか、その問いに悩み苦しんでいるのだ。




 ようやく、麺が皿から消えた。麦茶を一杯飲んでしまうと、わたしは、古里の家にゆくための準備を始めた。今日はもう、風鈴は、鳴りそうにない。すだれの影は、どんどん深い黒色になってきている。外に出る前に、もう一度、コップ一杯の麦茶を飲んだ。


 古里勇大ふるさとゆうだいは、隣町にある工場に勤めており、わたしとは、小学生のときからの同級生である。高校進学を機に離ればなれになってしまったが、長期休暇で郷里に帰ったおりには、ふたりでどこかへ食事に行くことがきまりになっていた。


 わたしは古里の車の助手席に座りながら、彼の友人である志摩田耕平しまだこうへいという人物について、あれこれを聞いていた。


 なんでも、志摩田しまだは、海外旅行が趣味らしく、各国の珍物を収集することが生きがいらしい。そして、今日はその珍物のひとつを、わたしたちに見せてくれるというのだ。


 なるほど、志摩田の家は、玄関からして異国情緒にあふれている。どこの国のなんという地域で買ったのか想像もできないカラフルな仮面が、いくつも壁にかけられている。下駄箱のうえには、大小様々な、彩りゆたかな人形の数々が並んでいる。


 わたしたちは、志摩田の部屋に案内された。そこには、両手でようやく抱えきれるくらいの大きさの、黒色の箱のようなものが置いてあった。


 志摩田によると、この機械は、熱量を測るものだという。


 説明を聞いてもなお、どういうことか分からず、怪訝けげんな気持ちでいたわたしに、「試せばわかります」と言って、志摩田は、この機械のうえに手を置くように指示してきた。そして、ニヤリと笑ってから、「あなたは、天国を信じますか」といてきた。


 その問いからほんの数秒のうちに、この機械は、どんどん冷たくなっていった。


「どうですか」

「痛いほど冷たくなってきました」

「そうでしょう。しかし、もしあなたが、天国の存在を熱烈に信じていたとしたら、この測定機械は、みるみる温かくなってくるはずなんです」


 その説明を聞いた古里ふるさとは、「おもしろい!」と感嘆かんたんして、「俺にもなにかたずねてくれ」と、機械に手を置いて、はずんだ声をだした。


「真実の愛があると思うかい」

「おい、そんな恥ずかしい質問をするんじゃない」

「いや、この測定機械は、当初、情熱を測る目的で作られたんだよ」


 情熱?――それを聞いたわたしは、もし、「あなたは研究を愛していますか」「それでは創作は」などと尋ねられたときの妄想をしてみた。もちろん、手には熱さを感じることだろう。


 では、「研究と創作を両立するのは?」とかれたら、どうだろうか。


 わいわいと盛り上がっているふたりの後ろで、わたしは、ずっと右手をもんでいた。

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