第16話 瀬田道場

道場の場所はすぐにわかった。


  事前に聞いていたから、というのも勿論だが、近付くに連れて木刀のぶつかり合う音が聞こえてくるようになったからだ。



  カーン… カーン…



  門下生の多い道場とは聞いていたが、その割にはあまり打ち合う音は聴こえない。


  しかしながらたまに聴こえるその音は、どれも高く大きく響き、その撃ち込みの強さ、鋭さを表すかのようであった。



  道場兼、道場主の屋敷の玄関は開け放たれ、既に門下生とおぼしき若者が、人待ちを命ぜられているかのように待機していた。


「御免。私は神代東馬と申しますが、北見様からの…」


「あぁ、神代様!お待ちもうしておりました!はい、御家老様よりの御知らせは頂戴しております。ささ、どうぞこちらへ!」


  通されたのは道場ではなく、その屋敷の客間であった。

出された茶を飲みながら少し待つと、「お待たせいたした」そう言いながら、総髪の男が入ってきた。

体格は東馬とほぼ変わらない。

背丈は常人よりもやや高く、肉付きも良い。

眼光鋭く、への字に結んだ口周りには髭を蓄えている。

いかにも武人といった風体の中年の男だ。


「瀬田正三郎宗晴と申す。此度は当家の家老の危うき所、助太刀頂いたお陰で難を逃れたと聞き及んでおる。誠にかたじけない。」


「神代東馬と申します。護衛の方々の働きあればこその撃退でありました。聞けばこちらの門下生だというではありませんか?迅速な判断力に息のあった連携、実に見事でございました。」



 …………



 ……



 …



  それ以降、互いに目を合わせつつも何も語らず、沈黙の中、時折木刀の打ち合う音のみが響き渡った。



 カーン… カーン… カッ…



  瀬田が口を開く。


「今のをどう聞く?」


「おそらく二合目はうち下ろしを捌いた音、その後、刀の下がった所を床に押さえ付けて動きを封じたのではないかと?」


 と、東馬。

  三度目の音の後、かすかに木刀同士ではない、小さな木の鈍い音を聞き逃さなかった。


  フッ…と、小さく笑うと、瀬田は立ち上がった。


「道場を案内しよう。」


  東馬は静かに立ち上がると、瀬田の後を追った。


「好きな物を選んでくれ。」


 と、瀬田は道場に入るなり壁の一角に綺麗に並べられた様々な長さ太さの木刀を見つめながら東馬に促した。


  道場の戸が開き、瀬田と若い男が入って来るのを見るや、門下生達は示し合わせたかのように稽古をやめ、壁際に下がり並んで座った。

  北見の護衛に加わっていた者が三人、その内一人はあの片腕に重症を負った者だ。

  更には女剣士が一人混ざっているのが印象的だった。


  瀬田道場では道場破りや他流試合にも寛大で、しかも道場主の瀬田自らが相手をするのが常であり、門下生も師と他流との技比べを見逃すまいと、自然とこのような習慣が染み付いた。


「これは…」

と、若干面食らう東馬であったが、瀬田の答えはなんとも武人らしい簡潔なものだった。


「これが一番分かりやすかろう?」


  瀬田は殺意こそ込めておらずとも、その目は鋭く、また、門下生達の目も一様に真剣その物である。

  東馬は苦笑しつつ、一番手近な木刀を取ると、道場中央で仁王立ちする瀬田の正面に立った。


「ワシはこれを使う。見るかね?」


  瀬田は己の木刀を差し出した。

  作りは先程刀剣商の所で見た刀と同様、反りが浅く長めで、先端の方がやや太い。


「いえ、実はここに来る途中、瀬田様の御刀を拝見いたしました。無断で御無礼を…」


「いや、構わん…そうか…ならばなおのこと遠慮はいらんな?」


  瀬田は木刀を中段に構える。

 腕はやや引き気味、腰を深く落とし、重心は前へ。


「いざ…」


  瀬田が口を開き、東馬は木刀を下段に構えると微かに頷いた。


  次の瞬間、「フッ!」と短く小さな気合いと共に、鋭い突きが東馬の胸に襲いかかる。

  東馬はそれを半身になって右にかわすと、瀬田の木刀は瞬時に向きを変え、そのままの勢いで凪ぎ払いに転じた。

  それを後方に飛び紙一重でかわす東馬に、なおも瀬田の木刀は追いかける。剣先が小さな円を描きつつ、勢いを殺す事なく下からの切り上げ。

  が、東馬は瀬田のすぐ右側をすり抜け瀬田の背後を取った。


「まだまだ!」


  瀬田は前方に小さく飛びながら、半回転し東馬の右肩目掛けて木刀を振る。

  東馬はそれを水平に構えた剣先で受けると、右手を軸に柄頭で瀬田の顔面を狙った。

  瀬田の放った攻撃の勢いを利用し、更に左手を柄に当て上半身の捻りと共に押し出された柄頭の動きは速く、さすがの瀬田もかわしきれなかった。


  瀬田の右顎に軽く当てられる柄頭。


「参った。完敗だ。まさか今頃になってこれ程の使い手と出逢おうとはな。今少し若くお役目も賜っておらねば、是が非でも弟子入りしたであろうものを…」


  瀬田は先程までとはうって代わり、小さく目を細めて残念そうに微笑んだ。


「こちらこそ良い勉強をさせていただきました。あの小さな動きからの鋭い攻めは見事と言う他ない。その動きにあの刀だ。下手に受ければ軸を崩されてしまう。かわそうにもあの速さでは容易ではない。」


「あっさりかわした上に上手いこと受けた者が言う事か?」


  二人は笑った。


  互いに技量を完全に出しきったわけではないであろう事は察してはいたが、少なくとも尊敬に値する達人である事は間違いなく、武芸者であるがゆえに、より強い者との出会いは喜びであり、また、互いに気の合いそうな者である事が何より嬉しかった。


  門下生達は驚いていた。

  東馬が実力者である事は北見護衛班の者から聞いてはいたが、師匠がこうも簡単に敗れてしまうとは夢にも思わなかったからだ。

  更には、いつも堅苦しい表情を崩さない師匠が、敗れたにも関わらず心から楽しそうに笑っている。そんな顔を初めて目にする者も少なくなかった。

  そして、言わずもがな先程のあの戦い。短いながらもなんと充実した内容であったか。



  驚きを露にする門下生と、そして楽しそうに笑う二人の達人を憎々しげに見つめる者が一人。


  この道場唯一の女剣士だった。



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