第113話:オレというつまらないもの
開始早々、回転蹴りで近づく先生。技の終わりを狙った連続蹴りで迎えると、先生はまた回転蹴りを放った。
着地の瞬間があったはずなのに、オレの目に映らなかったし、画面の中華女子も蹴りを外した。
おかげで無防備に蹴りを放ち続けるオレの後頭部へ、先生の蹴りが入る。しかも気絶させられた。
ヒヨコの駆け回る中、殴って殴って、足払いからの必殺技。アッパーと膝蹴りが同時に入り、中華女子は埠頭に倒れる。
二十二秒。得意キャラでないのに、容赦のなさが変わらない。
これが少しでも鬱憤晴らしになるのなら、いくらでも相手になろう。勝つつもりではいるけど、どうしようもない実力差だし。
「お前、その女ばかりだな」
「え。いや、まあ。使ったことあるのが、これだけなんで」
「さっきのはノーカウントか」
デジャヴのような二本めも取られ、中華女子が泣きじゃくる。
空手着の真面目な顔とかぶる七瀬先生は、軍人さんを使わせたいらしい。どうせ負けるからなんでも同じだが、一応の本気を見せたつもりだった。
二試合め。要望通りに軍人さんを選び、開始いきなりの回転蹴り。あちらの水平方向に対し、こっちは縦。
お互いに微妙なダメージで痛み分け、軍人さんはダウンせずにファイティングポーズを取る。
——あれ、サンドバッグにならなかった。
そう思うのは早い。しかし今までは、五秒くらいで棒立ちにさせられた。今回は十秒を過ぎて、まだ戦える。
「知ってたか」
二匹めのどじょうを当てに、軍人さんを座らせた。回転蹴りの準備姿勢だ。
するとボソッと、七瀬先生は呟く。「なんですか?」と聞いても、答えはない。
途端、無造作にも見えた先生の攻勢が止まる。射程の長い蹴りで様子見をするばかり。
と偉そうに言っても、釣られて立ち上がりそうになった。むやみに技を出せば、かわされて反撃を食らう。
油断大敵と思った瞬間、主人公の凛々しい声で必殺技が叫ばれた。
やはり回転蹴りで近づこうというらしい。すぐさま、軍人さんに迎撃の操作を。縦と横、二つの回転蹴りが見事に——外れただと?
いや正確には、軍人さんは盛大な空振り。空手着は空中で小さく蹴りを出し、必殺技を途中で止めた。
ぐるっと回って着地した軍人さんに、もはやなす術はない。めった打ちで敗北した。
「……先生、オレ弱いのに楽しいですか?」
うまい人がヘタクソを相手にしなければいけない時、どう感じるか。オレには経験のないことで、不安になる。
ただ、今さらに過ぎる問いだ。いつも聞きたくても聞かなかったのを、どうして今。
発言したのが自分の口と信じられず、手で押さえた。
「あん?」
「いや、ええと……勝負にならないと、つまらないかなって」
二本めの開始が叫ばれる中、軍人さんも空手着も動かない。
肩を窄ませて俯くオレに、先生の鋭い視線が突き刺さっていたから。
「お前は真面目だな」
呆れたような鼻息と共に言われ、先生は視線を画面へ戻す。
攻撃の音がして、オレも見た。空手着の単純なパンチが三発、軍人さんの胸を打つ。
「一つのことに囚われすぎ、でしたっけ」
前にも同じことを言われた気がした。なんだっけと振り返ると、すぐに思い出す。
相手に合わせたり、流されたりしてばかりではいけない。せめて取り繕うくらいはしろと言われたはずだ。
「ああ、そんなことを言ったか。しかし違う。よくもそんなに真面目でいられると、今は褒めた」
「はあ」
大振りの蹴りが入る。もちろん画面内の話だ。オレが操作しないから、先生は間合いの確認でもするように基本の攻撃を繰り出す。
「こうしたら、相手はどう思うか。こうしなかったら、相手の機嫌を損ねないか。これくらいできなければ、失礼に当たらないか。そういう配慮は人間関係に不可欠だが、私にはできん」
「そんなことは」
ない。即座に否定したが、負けない速度で「いや」と、先生もかぶりを振る。
「察するのは得意だろう、と褒めてくれるか? たしかにそうだ、たとえば今、お前がなにに身を竦めているか。おそらく私は理解している」
空手着の主人公が、代名詞とも言える飛び技を放った。それをなぜか「
二本めも取られ、軍人さんの顔面がボコボコに腫れた。
でも、それどころでない。自分がなにを考えているか、知られているとなれば。
ほかの誰でもなく七瀬先生が言うと、信憑性が国宝級だ。さあっと首すじが寒くなり、反対にかあっと頬が熱くなる。
「なにって、え? そんな、全然」
「お前がミミシマと、私は気づいていた。そうと言わなかったのは、嫌われているからでは。質問をして、その通り確定させるのが怖い」
そういうことだろ、と瞳だけが向いて問う。
まったくの正解で、ごまかすほうが恥ずかしかった。観念して「そうです」と頷いた。
「そこまでは分かる。だが私から解決してやろうとは考えない。解決できるとも思わんしな。私がなんと言おうが、どう考えていようが、お前の態度はお前の決めることだ」
どこが褒めてる。やっぱりシャキッとしろって言ってるんじゃないか。
でも仰る通り、だ。反発しようとも思えない。
「やっぱりオレ、ずっと」
ずっと、できないのかも。
誰かと分かり合うこと。たとえば親友、たとえば彼女、たとえば——先生と生徒はなんだろう。
そういう存在を得ることは、これからも。
胸の奥が凍え、ぼっちの水門の閉じようとする気配があった。ジメジメした泥沼に閉じ篭もるのは慣れたものだ。
と思うのに、いつもの感覚とどこか違った。
「褒めたと言ったはずだ。お前は真面目で、優しい。自分が傷つくのも考えず、バカみたいにな。それは私に真似のできんことだ」
手が伸びた。それはオレの心象でなく、現実に。首もとの襟を鷲づかみにしたかと思うと、力強く引き寄せた。
鼻と鼻がぶつかりそうなほど、目の前に七瀬先生がいる。
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