第108話:そういうとこ

 また、先輩と明椿さんを見る。ふたりとも、顔色が良くなかった。


 きっと理由はオレと同じ。クズとまで言われるような、いつまでも自分の非を認めないような、そんな奴らを見ていたくはない。

 こんな時間を早く終わらせたい。


「津守先生。田村と、環境委員の先輩。俵、それに恵美須さんたちにも。お願いがある」


 椅子を立ち、ひとりずつを見つめた。

 が、茶髪女子以外は目を合わせてくれなかった。まあそれも、キモッと言いそうな顔だったけど。


「今日、ここで見たこと、聞いたこと。ここだけの話にしたい」


 勝手を言っている。ポニー先輩と明椿さんの意見を先に聞くべきだ。

 でもたぶん、これがいちばんいいと思った。あとで聞いても、いいよと言ってもらえる気がした。


「ここだけの話って、全部? あたしの髪、チクッたのがあんたじゃないって」

「うん。言わないでほしい」


 津守先生や田村たちには望むところだからか、なにを言う気配もなかった。

 代わりに。というか、そうでなくとも先んじるのが難しいくらい、素早く声を上げたのは茶髪女子。


「キモッ」


 なんでだよ。

 お付きのふたりと顔を合わせ、「信じらんない」みたいなことを。おかしな頼みと自覚してるが、キモくはないだろ。


「なに? これだけやって、まだこいつらにビビッてんの? それなら逆効果よ」

「うん、分かる。でもそれはないと思ってる。証拠があるし」


 表向きにしないなら、なかったことになる。オレの、それからポニー先輩のクラスメイトは、意識を変えない。

 田村なんかも、これまで通りの立ち位置を周りが求めるだろう。


 だけど、それでいい。

 そんなことより、元通りの。文集を作り始めたころの時間を取り戻したかった。

 なんだあいつ。とヒソヒソ、クスクス言われるくらいならどうでもいい。


「誰かが罵るとか、罵られるとか。陥れるとか、陥れられるとか。もう見たくないんだよ。ビビってるとしたら、そこ」


 世の中、誰かをからかって楽しむという人種もいるらしい。オレにはまったく理解不能で、ましてや本物の悪意なんか目に映したくない。


 という感覚を理解できないのか。茶髪女子はカクッと首を曲げ、しばらく無言で視線を上下させた。


「……ふーん。それってさ、オレたちはオレたちで好きにやってれば楽しいから、放っとけってこと?」

「そんなことは言って——るのかな」


 気に入らない。もしくは、つまらない。そんな顔でもう一度「ふーん」と、茶髪女子はお付きを促して席を立った。


「あの、恵美須さん?」

「そういうとこよ」


 もう帰る、っぽい雰囲気を察して呼び止める。と、逆手に指さされた。


「え?」

「あんたがぼっちになるの。でもそういう奴ってどこにでもいるし、ホントに楽しいなら好きにすれば? わざわざ邪魔する理由もないし」


 バカにされたような、認められたような。返事に困っている間に、女王さま一行は出口に向かう。


「あ、そうだ。あんたビビりだから、ちゃんと言っといたげる。ここで見たこと、聞いたこと、あたしは言わない」


 ちょっと振り返り、宣言して、茶髪女子は図書室を出ていった。階段を下りていくのも、わいわい話す声で手に取るように。


「だそうだ。津守先生、良顕も、それでいいのか?」


 賑やかな声が微かになり、次は誰がなにを言うべきか。収まりの悪い沈黙が落ちるのを、七瀬先生が阻止する。


 田村と、環境委員の女子ふたり。一味に数えられたものの、離れた俵も。揃っておずおずと頷いた。

 田村は納得してないだろうが、表面上は受け入れるらしい。

 それでいい。どうでもいいって意味で。


「じゃあ帰れ」


 謝罪の言葉を求めもせず、七瀬先生は奴らを帰す。

 オレもそんな言葉は欲しくなかった。こんな短時間で心を入れ替えるとか、分かり合えるとかあるはずがない。

 ただ、人質でもないだろうが。卓哉さんだけは「お前は残れ」と引き留められた。


「津守先生は、どうされます?」


 どうもこうもないと思う。のに、あぐらをかく隣へ、七瀬先生はしゃがみ込む。

 津守先生も迷惑そうに睨み、頭を掻いた。


「結局——七瀬の看板を守りたいだけか」


 低く落ち着いた声だったが、責める感情は練りこまれている。

 どういう意味か、少し考える時間がオレには必要だった。


 そうか、親も呼ばずに内々で済ませれば、土原学園にも得なのか。そう思いつくまでと同じ時間を、七瀬先生も使った。


「校内でまで口止めするつもりは、私にはありませんでした。しかしどう解釈されるのも自由です」


 一分に満たない無言の時間を、津守先生はどう受け止めたのか。お返しとばかり、十数秒ほど黙っていた。


「まあいい。俺も自分の身の振り方を考えるとする」

「ご自由に」


 お互い立ち上がりつつ、ひとり言みたいに。そのまま視線を合わすことなく、津守先生も出ていく。

 ズボンのお尻を払う仕草も、本当になにもなかったようだ。


「で、俺はなんの詰め腹を切らされるのかな?」


 津守先生の姿が見えなくなってすぐ、卓哉さんが問う。緩く腕組みで、持参したお茶を飲みながら。


「用があるのは私じゃない」


 卓哉さんが七瀬先生に聞いたのは、当然だろう。「こいつだ」と指さされたオレに向き直るのも、訝しんだりしなかったが。


「へえ、見嶋くんが?」


 笑ってこそないけど、平然を地で行く。挟んだテーブルの距離、見下ろす角度。鼻の奥にツンとくるものがある。


「田村、卓哉さん。教えてください、なんでさっき、田村の嘘を嘘と言わなかったんですか」


 くすぐったいふりで、鼻の下をこすった。あっさりと、普段通りの声が出た。

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