第106話:共感

「とまあ……」


 背丈に不釣り合いな長い脚を振り上げ、七瀬先生は颯爽と席を立った。

 両手を腰に。これみよがしの空気を醸し、威張って歩く。行き先は映像の映るスクリーン前。


「たまたま撮れた映像で、一つの真実が晒されたわけだ」


 ノックの仕草で、止められたままの映像を叩いて見せた。

 この場の全員に向けた言葉のようでいて、視線は一点を見つめる。それはスクリーンから最も近い席へ座る、津守先生の俯いた頭。


「どうです、よく撮れているでしょう? たまたまにしては」


 反応がなく、もう一度。

 自分にと、津守先生も気づいてはいるらしい。ためらいがちに上向いた目が、さほど高さの変わらない目を睨む。


「……ふざけるな、お前の取り付けた機械だろう。なにがたまたまだ」

「たまたまなんだよ。本来、私の撮りたかった映像とは違うものだ」


 なににか、憤った津守先生の暗い声。

 見下す七瀬先生の、天然ダークボイス。

 どちらが低音かに優劣はつけ難い。ふたりの立場には、白黒ついたようだが。


 わなわなと、津守先生の顎が震える。見るからに呼吸が荒くなり、なぜか突然、オレを睨む。

 いやオレだけでなく、ポニー先輩と明椿さんも。あまり見つめたくない瞳が、所在なくオロオロしていた。


「さて?」


 と、七瀬先生は腕組みで待つ。まさに仁王立ちという感じで。

 ただし表情は、無だ。怒りとか嘲りとか、温かくも冷たくもない。

 オレがサンドバッグにされた時だって、「やれやれ」と小馬鹿にする感情が読み取れたのに。


「津守先生、なにをしたんです?」


 明確に、こう聞こうと考えたわけでなかった。

 ふたりの教師の間にモヤモヤと、気持ちの悪い淀みがあるのはなんだろう。それを声に出すと、この言葉になった。


「えっ、先生もなんかしたの?」


 一番に聞こえたのは、茶髪女子の声。昨日の動画、見なかったの? みたいな、重みとか緊張感とかのない。


 振り向くと、明椿さんと目が合った。

 まさか。察して首を動かせば、やはりポニー先輩もオレを見ていた。ふたりとも、つらそうに細めた目だ。

 なにも知らないのはオレだけ? それはそうか、どちらにも段取りが与えられていた。


「津守先生。答えてください」


 元通りに向き直り、椅子を立つ。

 分かってる、これは八つ当たりだ。でも問わない選択肢はないだろ。どう考えたって、このハゲはやらかしてる。


 誰に、なにに向けたものか。オレの中で怒りが積み上がっていく。

 反対に、声は低くなった。一歩、目の前の津守先生に詰め寄る。


「な、なんだ見嶋。生徒のくせに」

「生徒? なにか関係あるんですか。先生だったら、なにをしてもいいってことですか」

「俺はなにも——」


 なにをした?

 七瀬先生は完全に犯人扱いしている。津守先生自身、否定できないと態度が語っている。


 それは決定的な場面を撮られたから。

 部室で。社会科資料室で。立ち入る必要のない部屋で、なにをしていた?


「なにも? 津守先生は、なにもしてないんですね」

「し、してない……!」


 同じ教師の、七瀬先生でさえバカにしたい人だ。受け持ちの一年生に問い詰められるのは、プライドが許さないらしい。

 座ったまま、見上げる格好で。威嚇の怒声は、もはや不憫にさえ感じる。


 もう理解しちゃったんですよ。

 田村のこと以外で、文芸部の大きな被害は一つしかない。

 そう語りかけても、実際の声にしなければ。どんな風にののしろう。言葉を探すと、胸の奥が冷えていった。


「そうですか。オレは信じますよ」

「見嶋」


 驚くほど、普通の声を出せた。対して津守先生の、呑み込む息。丸くした目。

 信じるわけないだろ。


 こんな人を先生と呼んでたのか。こんな人に文芸部を潰すとか脅されてたのか。

 こんな人に、みんなで作った文集をけがされたのか。


「ええ。でも信憑性を増すためにも、そのビデオを見ましょう。七瀬先生がこれだけ言うんです、なにか映ってるんでしょ。でもそれは勘違いで、津守先生が責められることはない」


 信じてますよ、とハリボテさせた気持ち。どんな顔を作れているか、自分では分からない。

 ただ、津守先生は絶望に唇を噛んだ。


「だな。弥富」


 問題の映像を流せと、七瀬先生が指示を飛ばす。すぐ先輩の「分かりました」も聞こえた。


 見回せば、うなだれた津守先生。

 同じ格好で、顔だけはスクリーンに向けた田村たち。

 その手にポップコーンのないのが不思議な、女王さま一行。

 それに、真剣を装った卓哉さん。


 ああ、そうか。どれだけ目の敵にされても、七瀬先生はこんな奴を許してやってたんだ。

 そう思うと、また言うべき言葉が口を衝いた。


「先輩! 七瀬先生も。待ってください」


 暗転し、再び明度を増しつつあったスクリーン。静止を叫んだ途端、真っ暗になった。


「どうした」

「どう、っていうか。ちょっと話していいですか」

「好きにしろ」


 津守先生への視線が、オレに向くことはなかった。なんだかちょうどいい感じの、ちょっと機嫌の悪い声で七瀬先生は頷く。


「先生。津守先生。すみません、オレ分かっちゃいました」


 小さく、舌打ち。それがなければ、棒立ちでいなかったかも。

 でもイラッとした気持ちは、なかったことにする。


「いくら自分が悪くても、晒し者みたいになるのは嫌でしょ? だからビデオを見るのはやめときましょう」

「……あぁ?」


 威張って、ではないと思う。たぶん「なにを言っているか詳しく頼む」が、こうなるだけだ。


「でもこのままじゃ誰も納得しません。だから先生の口から教えてください。なにをしたのか、どうしてしたのか」


 津守先生の眼に、攻撃の色が宿る。でもこれ以上、譲歩はできない。言える言葉もない。

 睨む目を、黙って見つめる時間がどれくらいか。結果として、たぶん一分もかからなかった。

 その最中には、一秒が一時間に感じたけど。


「俺がやった」

「なにをですか」


 ボソと放り投げられた声に、まだプライドの残り香がする。

 なるべく素直を装い、担任の生徒として問い返す。すると大きな深呼吸があり、吐く息と一緒に罪が告白された。

 

「俺だ。お前たちの文集を切り取ったのは」

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