第102話:取り潰し

「あと、親が来ていないだったか。それもあえてだ。この話し合いが終わった時、きっとここにいる誰もが感謝してくれる。そういう親切心でな」

「ふざけるな。これほど重要な話、親も呼ばずにできるものか」


 テーブルを両手で打ち、津守先生は椅子を蹴立てる。

 今日の話し合いは中止、ということらしい。いちいち床を踏みつけるように、出口へ向かった。


「そうか、では約束しよう。話し合いが終わって、やはり親を呼ばねばならない。そうなったら、私は教師を辞める」

「ほう?」


 ぴたっと、短足の動きが止まった。踏み出した格好から回れ右をして、元の椅子に戻る。


「あー。明椿、今のも書いておけよ」

「はい、書きました」


 喜々とした声に、明椿さんはノートの紙面を見せて答えた。

 たしかに書いてある。保護者の呼び出し責任は七瀬先生にあり、問題が生じた場合は教職を退く。とボールペンで。


「お前たちも構わんな?」


 津守先生からの確認は、当然のようにオレたちに向けられなかった。

 包帯の上に覗く目が慌ただしく、津守先生と七瀬先生とを往復する。ふたり並んだ二年生は顔を見合わせ、やはり「大丈夫かな」などと動揺を漏らした。


 唯一。俵だけはどこ吹く風で、極太の乳酸菌飲料をがぶ飲みしていたが。

 結果、誰も明確には拒否しなかった。津守先生は「フッ」と少しの笑声と共に、卓哉さんへ念押しする。


「田村先生も構いませんね?」

「——いやそれは、構うも構わないも言う立場にないので。しかし七瀬先生、そんなことを言っていいんですか」


 否定しないが、心配はして見せた。卓哉さんの表情と声を、そう感じてしまう。

 これが大人の態度なんだろう。でもオレには、迷いつつ流れに逆らえなかった田村のほうが、幾分か健全に思える。


「お前にそんな口を利かれると、気色が悪い。だがまあ構わんと答えておこう。そもそも私は、無人島で開拓でもして暮らしたい人間だ」


 半笑いで、いかにも冗談めかした七瀬先生。だがオレは背すじを寒くした。

 本気だ。ハッタリかなにかと思っていたけど、この中学生にしか見えない女の子は、本気で辞めるつもりだ。

 叩き潰すというのが玉砕覚悟。津守先生と死なばもろともの作戦なら、黙って見てはいられない。


「七瀬先生、辞めるなんて!」

「やかましい、急にさかるな。心配するな、文芸部は残る」

「いや、そうじゃなくて——」

「やかましい」


 今日最高の。もとへ、最低の低音で凄まれた。これには言葉と唾と、一緒に呑み込むしかない。

 ただし、黙ったままでもいなかった。そうしてはいけなかった。


「先輩。七瀬先生、本気だと思います。あんな約束させたら」


 困った時の人任せは情けない。でも、なにもしないよりはマシなはず。先輩ならいい案があるかも、先輩の言葉なら七瀬先生が聞き入れるかも。

 そう思ったのに、首が動いたのは水平にだ。


「大丈夫。私は先生を信じてるから」


 呟く目は、七瀬先生をまっすぐ見据えた。

 反面。ルの字の眉は、より困った角度に折れていた。震える手がテーブル上を探り、オレの手に重ねられもした。

 じゃあ明椿さんはと見れば、鉄骨入りの背すじは今日も健在だった。


 強いな、と笑うほかにない。

 いや正確には、比較した自分の軟弱さが笑えた。だからせめて先輩の手の震えを、もう一つあるオレの手で止めてあげた。


「……さて。どちらさまも納得したということで、議題の確認といこう。一つは津守先生言うところの暴力事件だが、これにはおそらく誤解がある」


 目を瞑りたい。俯きたい。

 逃げる気持ちを、首の筋肉が攣りそうに力を篭めて引っつかまえた。ポニー先輩と同じ方向をただ見つめて。


「誤解? このミイラ男を前にしてか」


 津守先生が小馬鹿にするくらい、あからさまな怪我人がこの部屋にいる。それを演技とは思わないし、オレが殴ったせいなのも否定しない。

 もし、すっとぼけろと言われたら。それは荷が重い。


「骨折はしたんだろうさ、診断書もあることだし。しかし明確な原因があり、良顕を一方的な被害者めいて扱うのはおかしい」

「原因か。骨折と言えば誰が聞いても重傷だが、匹敵するほどのことがあると?」


 嘲りを越して呆れた風に、津守先生はため息を吐く。

 対して直ちに「もちろん」とダークボイスが響く。


「むしろお釣りが来る。良顕とおバカな仲間たちは、我が文芸部の活動成果を罵倒した。あまつさえ成果物である文集を破壊し、提供した食品を部長に塗りつけ、人間としての尊厳を傷つけた。これは同時に、達成目前だった売上げ目標への妨害行為ともなった」


 指折り数え「こちらが親だ、一万八千」と続いたのは意味が分からなかった。


「ふん、なにかと思えばその程度。耐えられんで、この先満足に生きていけるのか? 骨折とは比較にならん」


 視界の外で、津守先生が座り直す気配がした。全体重を預けられたらしい背もたれが、ギィッと苦情を訴える。


「それに二百部不達の件は、まったく問題が違う。何十部も、交換不能な未完成品が混ざっていては、素より達成不能だったと言わざるを得ない」


 そんなバカな、とは言えない。オレたちのせいでなくとも、約束は約束だということなら。

 骨折も。やった側のオレは、今の現実として無傷だ。津守先生の意見に不平を言えても、反論は思いつかない。


「なるほど。当の良顕はどう考える?」


 直に呼ばれた田村は、ビクッと身を縮ませる。見たくはなかったが、視界の端に映り込んだ。


「俺は……」


 ついでと言うのもおかしいが、仕方なく正面から見る。いつか七瀬先生にビビッていたまま、田村は俯き、声を窄める。


「ヨシ、いつも言ってるだろ。思うままを言えばいいんだ。自分にも悪いところがあると思えば、そう言えばいい。ないのなら、ないと言えばいい」


 えっ?

 耳を疑った。ヘタレのオレでさえ、ふざけたことを言うなと。言った中身もだが、どの口によって発せられたか。

 よりによってタク兄。ではなく、卓哉さんから聞きたくはなかった。


「俺は見嶋をからかった。けど、勢いってやつで。クラスのこともやらなかった奴に、文句を言っただけで。ケンカの原因って言われれば俺かもしれないけど、悪いのは見嶋だよ」


 ほんの数秒が空いて、田村は力強く顔を上げた。話し始めは聞き取りづらかった声も、ひと言ずつ大きくはっきりしていった。


「だそうだ。田村にも反省文程度は必要かもしれないが、見嶋の処分は同じにならんな」


 落ち着かせようとしても、津守先生の声は嬉しそうだ。

 卓哉さんの背中の向こうで、田村とショートカットの女子が手を繋ぐ。「良かったね」なんて。

 また殴ってやろうか。とは思うだけで、実際にそんな勇気はない。


「つまり文芸部は、目標未達による廃部。の前に、部長の暴力行為により取り潰しだ。これは七瀬先生、あなたの責任にかかってくる」


 反り返る津守先生。ボタンを弾けさせそうな腹も、勝ち誇った顔も見たくなかった。

 すみませんでしたと土下座して、オレがいなくなれば。なかったことになるだろうか。

 いやダメだ。それでこの場が収まったとして、七瀬先生が怒る。あの人をオレの殺人者にはさせられない。


 誰かに心を読まれたら、余裕だなと言われるかも。でもオレは、かなり本気で悩んだ。

 悩んだところで答えは見つけられず、代わりに耳へ飛び込んできた。


「言いたいことはそれだけか?」


 と。今日最低を更新した、怒りに震えるダークボイスの形で。

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