第100話:なかったこと
しかしどこまでを?
少し。具体的には「ええと」と言うだけの間、悩んだ。
それでなにもかもを話すと決めた。オレがクラスでぼっちなことも。
信用できると言ってもらって、言ったのは先輩のお母さんで。隠す理由がないと思った。
「……それでオレは謹慎をくらって、今日ここにいるってわけです」
「あはっ。ひどいことする奴って、高校生にもいるもんだね」
お母さんは真剣に。でも時々、苦笑いで言葉を挟んだ。
それは決まって、オレが嫌だった部分で。こういう気遣いもあるんだと思うと、話し終えても全然つらさがなかった。
「です。だから先輩になにもなくて、良かったと思ってます。むしろオレがあんなに我慢しないで、もっと早くやめさせてれば。先輩を怖がらせずに済んだんです」
座ったままながら、「すみません」と頭を下げた。
怒っているとかではないだろうけど、オレと関わりたくない。関われば怖い。そういう気持ちなんだと思う。
「どうかなあ、なにが正解だったかは分からないね。私なんかはそんな奴、どんどんやっちゃえって思うけど」
軽くパンチの素振りをするお母さん。ずっと同じ付近の花を数える娘。
答えに困る。たとえば「強いですね」とお母さんを褒めれば、先輩を弱いとけなしたことにならないか。
弱いのが事実としても、それはまったく責められることじゃない。
「スズはどう思う?」
サクッと、先輩に質問が飛んだ。あくまで今は、オレがお母さんに説明をするだけの流れだったのに。
急に問われて「えっ」と、思わずって感じの素の声も聞こえた。
「その女の子たちと、田村のこと。行雄くんとスズと、ふたりとも一度にからかえて楽しいんだろうね」
構わず、お母さんは話す。オレと先輩を指さし、困ったもんだって感じに腕を組む。
先輩もそこのところに疑問はないようで、おずおずと頷いた。
「うん、じゃあどうしよ。またほとぼりが冷めるまで、アルマジロしてる?」
アルマジロ? ちょっと考えて、なんとなくの姿を思い出せた。
柔らかく微笑むお母さんは、別に笑わせようとしたわけでもなさそうだ。
先輩もそこのところにリアクションはなく、かといって肯定も否定もなく。見慣れたより深く刻まれた困り眉を、お母さんに向ける。
「だってスズ、行雄くんから逃げてきたんでしょ? 心配して、せっかく来てくれたのに」
「いえ、お母さん。それは……」
言ってしまった。お母さんをなんと呼ぶか、迷っていたけど。
これは責任を取って、先輩をいただくしかない。なんて、普段なら大いに考えたはず。今はほんの少しだ。
「逃げたわけじゃ——逃げたけど。見嶋くんが嫌なんじゃないもん」
「うん。じゃあなんで?」
一つ話すごと、先輩はソーダを飲む。だからもうコップが空になり、お母さんはそこへ新しくソーダを注ぐ。
シュワァッと、炭酸による場繋ぎ。あらかたの泡が消えるころ、先輩はやっと答えた。
「私が文芸部に入らなかったら、こんなことにならなかった。あの文集を作らなかったら、見嶋くんが悲しむこともなかった。楽しそうって、私が考えちゃったから」
先輩が楽しむと、オレが悲しむ。そう言ったのか?
なにもかもが先輩のせいで、オレは被害者で。先輩が図書室に隠れ続けてれば、こうはならなかった?
「先輩、勘弁してくださいよ」
腹が立った。
でも涙で、オレの声は震えた。
「先輩までそんなこと言うんですか。オレはその他大勢で、誰とも関わるなって」
「ち、違うよ。それは私、私が見嶋くんや明椿さんに——」
飲んだ分、ソーダが流れているかってくらい。どぼどぼと聞こえないのが不思議なくらい、熱い水が溢れ出る。
食卓に乗せていた腕から力が抜け、だらんと垂れた。結局オレは、そういう存在と思い知って。
「違いませんよ。オレは先輩と話したいのに。また一緒にどこか行きたいのに。そういう気持ちは関係なくて、オレと会ったことが間違いって言うんでしょ?」
分かってる。そこまでは言われていない。オレが勝手に先輩を慕い、先輩はなかったことにしたい。
それは対等で、折り合わなきゃ慕うほうが諦めるしかないことだ。でなければ付き合ってと告白された人は、必ず受け入れろって話になる。
「『きみも図書室なの?』って。話しかけてくれて、どんだけ救われたか分かりますか。変なこと言う人だなって、面白かったし。仲間だなって思っちゃったじゃないですか」
本当に勝手な話だ。オレがどう考えようと、先輩のせいじゃない。
でもきっとオレだけじゃなく、先輩にもなにか積み重なってる。そう信じたものに価値がないと知って、ぶちまけずにいられなかった。
「そんなこと、ないよ。私だって見嶋くんに誘ってもらって、嬉しかったよ。だからうっかり、調子に乗っちゃったんだよ」
先輩も泣き出しそうな顔で。でも泣かないで、そういうおもちゃみたいに首を横へ振り続けた。
「じゃあ! お願いですから! 謝るチャンスをくださいよ。バカなことしてごめんなさいって。聞いてもらって、それでも許さないって言われたら諦めます。いきなり、なかったことって言われても」
先輩を見ているのがつらくなった。言いつつ、首を曲げ、食卓に額をぶつけた。
けど、これじゃあ先輩のことを言えない。気づいて、渾身の力で首を持ち上げる。
「…………だから、許すとかじゃないよ。それは私の言うことだよ。私のせいで見嶋くんを傷つけたのに、そんなことまで言ってもらって。許してくれるのって、聞きたくなっちゃうよ」
「オレは。文芸部は、先輩がいなきゃ嫌です」
先輩の顔が見えなくなった。俯いて、今度はなにを数えているんだろう。「うん、うん」と何度も、自分の頷きをかもしれない。
オレもしばらく声が出なかった。全力で走ったみたいに息が切れて、呆然と先輩を見ていた。
やがて何分か経ったころ、お母さんが濡れたタオルを渡してくれる。
どこかの会社名が入った、手触りのいいタオル。触れても冷たくはなかったが、顔を拭くとひんやり気持ち良かった。
同じく先輩もタオルをもらい、顔全体に押し当ててじっとしたいた。
「正直、私には分かんない話だったけど。仲直りできたみたいね」
「あっ、ええと図書室っていうのは」
「ううん、それはまた後で」
突いた肘に寄りかかって、お母さんは片足を椅子に乗せた。お行儀は悪いかもだけど、なんだか自然で、そういう姿がいいなと感じる。
「後って、先になにか?」
「うん。スズと行雄くんと、もう一つずつ聞かないと」
喉が引っかかって、何度も咳払いをした。お母さんはいかにも気楽に微笑んでくれる。
「ねえスズ、さっきの続きだけど。あんたの嫌がらせ、ほとぼりが冷めると思う?」
表情とはうらはらに、質問はキツい。そんなのオレの感想と同じく、「分からない」と先輩は答えた。
「うん、分からないよね。なんでかっていうと、あんたがどうするかは関係ないから。嫌がらせする側がどう思うかだけだから」
「うん……」
オレが茶髪女子の家へ行ったように。決定的ななにかをしないと、状況は変わらない。
もちろん悪いほうに変わることだってあるが、なにもしなければ解決もしない。
タオル越しなのを差し引いても、先輩の声は低くくぐもった。
「じゃあさ、やめさせようよ。あんただけにやれって言うんじゃない。あんたを助けてくれるエッチな騎士さんもいるんだから」
「あ、はあ」
なぜここで笑わせようとする。いや、空気を重くしすぎないようにだけど。ほかのネタでもいいんじゃないか?
「できるの?」
最後にぎゅっと目の辺りを押しつけ、先輩タオルを離した。困り眉がまずオレを見て、お母さんに質問をぶつける。
「あんたにその気があるならね」
「ある」
ノータイムだ。
即座に頷き、自信なげにぎゅっと目を閉じたりはしたが。やっぱり無理とは言わない。
「じゃあ今度は、行雄くんに」
「オレに?」
お母さんも頷きには、満足と効果音が付いた。ただ、ここでオレになにを問うのか。なんだって構わないが。
「名前、田村良顕って言ったよね」
「そうですけど、知ってるんですか?」
「どうかな。その子、ヨシって呼ばれてる?」
問われて「呼ばれてますね」と答えるまで。お母さんは優しい顔をした。お
しかし答えた後。にやあっ、と意地悪な顔を作って見せた。
それはとても綺麗で、やっぱりお義母さんと呼びたくなった。
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