第96話:隠れた気持ち

「お父さん、優しくて良かった。枝豆食べにきただけになって、ごめん」


 明椿家に十五分くらいもいた。もっとちゃんとした物を食べて帰れ、と言われたけど遠慮した。


「ううん、見嶋くんが来てくれたから。じゃなければ、ダメだったかも」


 道場前の道路は、川の音がさらさらと涼しい。車の気配も遠くにしかなく、見送りに出てくれた明椿さんとヒソヒソ声になる。


「そうなの? いつでも言えって感じだったけど。まあオレが役に立ったんなら良かった」


 お世辞でもなんでも、日曜は明椿さんも参加してくれる。その事実を前に、役に立たなかったと言い張るほどオレは賢くない。


「よく、段取り八分ってね。仕事も人間関係も、剣の上達も、全部そうだって。だから今日みたいな話は嫌いなの」


 家の灯りを背負い、明椿さんの顔は暗く陰になった。そのせいか、表情に緊張が残って見える。


「えっ? じゃあ」

「ううん、大丈夫。お父さんも言ったけど、文芸部の話はよくしてたの。その上で文化祭のことがあったから、段取ったみたいになった——んだと思う」


 いやそれは偶然だろう。話題に部活を選んだこともだし、なにかあった時の保険に話したわけでもないはず。

 でないと聞いてもらえなかったのなら、厳しすぎる。前に聞いた、道場のことが最優先という印象には近いけど。


「それならオレが突然来たのとか、ダメだったんじゃ?」

「ううん、急なトラブルだから仕方ない。そういう時、なりふり構わず走り回る人も好きなの」


 女の子の口から好きなんて言葉が出ると、心臓がビクッと跳ねる。我ながら「思春期か」と突っ込みたい。


「難しいね」

「うん。ものさしがお父さんの主観だから、お母さんもいつも苦労してる」


 教室のオレがぼっちなように、明椿さんは家で? まさかこれは助けを求めてるのか、なんて考えた。

 しかし当人はちょっと振り返り、門灯を眩しそうに、呆れた風で笑う。


「仕方ないね。偉いお年寄りも、小学生の門下生も、みんなお客さんだもの。適当なことしていたら、やっていけない」


 ああ、そっか。

 明椿さんの好きな人を、悪人に仕立ててしまった。心の中で謝り、すっかり忘れていた言葉を知ったかぶりする。


「言ってたよね。お父さんの気持ちを支えたいって」

「覚えてたの? 恥ずかしい……」


 顔を優しく洗うように、明椿さんの両手が覆った。すき間から恨めしそうに、睨む目が覗く。


「え? いや、なんだっけ」


 美人が怒るのは箔が付きすぎる、と言ったのは誰だったか。その通りだ、オレは迫力に負けてバカみたいにとぼけて見せた。


「あははっ。なにそれ」

「ええ? なんだか分かんない、忘れたから」


 思いのほか、変顔がツボに入ったらしい。本気の噴き出し笑いで、明椿さんは「やめて」と顔を背ける。

 二度ほど回り込んで見せつけると、ほっぺたをグッと押さえられた。


「参ったから。やめて」

「すみませんでした」


 怒ったふりの声。細い指が力強い。

 顔がひしゃげたまま、無抵抗で謝る。と、また明椿さんの笑い声が。

 これだけでも来て良かった。オレが得したって意味で。


「そういえば謹慎って、停学とは違うの?」


 そろそろ戻らないと。

 じゃあまた。と言いかけた空気感を、明椿さんの別の言葉が破る。


「らしいよ。病欠みたいなもんかな」

「そう。それも日曜日に決まるの?」

「どうだろ。七瀬先生に言われたのは、明椿さんと先輩を連れて来いってだけだから」


 学校に呼び出すなら、先生から言ったほうが簡単だろうに。そう聞いても、私にはできんと繰り返すだけだった。

 明椿さんは疑問に思わなかったのか、首を傾げて聞いたのはまた別のことだ。


「連れて来いって、弥富先輩もなにか難しいの?」


 あれ、知らないのか。それなら言っていいものか迷うけど、なにも話さないのも悪い。


「うーん……図書室、行ってない?」

「今日、お休みなのは知ってる。でも気分的に疲れただけで、二、三日で平気と聞いてた」


 なるほど明椿さんにはそう言ったのか。完全に嘘ではないけど、事実でもない。

 それをオレの口から言っていいのか、また悩む。けど逆の立場なら、教えてもらえないのは嫌だ。


「気分的に疲れたのは、たぶん。でも実際どうなのか分からない。休むって連絡が事務室にあったきり、七瀬先生が電話しても繋がらないって」


 微笑みの残る口もとが、すうっと引き締まる。「それって」と呟いたのがどういう意味か、明椿さんはポケットからスマホを出した。


「私にもメッセージ来てない。ううん、悪いと思って送ってないけど」


 たった今、偶然にも連絡がなかったか。確認したくなる気持ちは分かる。

 しかしなかったようで、スマホはまたポケットに押し込まれた。


「明日?」

「うん。やっぱり電話、繋がらないし。行ってみる」


 次の言葉を探し、明椿さんの口は何度も開いて閉じた。でも正解が見つからなかったのか、サッとスマホを引き抜く。

 画面は見えないけど、たぶんカレンダーの確認だ。残念だけど明日は金曜日。普通に授業がある。


「明椿さん、無理しないでいいよ。助けが要ると思ったら、すぐに連絡するし」

「本当? 必ず連絡してくれる?」

「約束するって」


 こういう時、指切りでもするものか? 思いついたが、やめておいた。

 ただ、明椿さんのほうから手が伸びた。バッグの肩ひもを握るオレの手が、ぎゅっと包まれる。


「先輩に伝えてもらえる? お買い物、いつ行きましょうかって」

「分かった」


 指に力が入ったり、抜けたり。あれもこれも、伝えたいことが山ほどあるに違いない。それはオレもだ。


「一つ、聞いてもいい?」


 いつまでも立ち話をしてもいられない。そろそろ帰らないと。

 明椿さんの手が離れ、それでもこれだけ。と質問したのは、今度はオレだ。


「うん、なに?」

「怒らないの? 不真面目だ、って」


 眉間に皺を寄せ、明椿さんは首をひねる。突然になんの話かと、悩ませた。

 たった数十秒前。先輩のことを知っていて、オレはふざけた。もしそれで軽蔑されたら嫌だなと思う。


「うーん……」


 たっぷり時間を使い、まだ悩んでいる。

 気づいてないなら、それでいい。なんでもないよ、で終わりだ。

 だが明椿さんは、「怒らない」と答えた。


「えっ、なんで?」


 予想外で、慌てて問い返した。まるで怒られたい奴みたいだ。


「見嶋くんは優しい人って、自惚れてるから?」

「え……いや、まあ。そんなことは」

「ちょっと嘘吐き」


 はっきり否定したでもないのに、決めつけられた。今度はオレが言葉に詰まる番だった。

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