第93話:争う理由
「小さい頃、借りたままなんです」
こんなこと、七瀬先生に言ったって分かるはずがない。現に「んん?」と、短い疑問の声しかなかった。
「引っ越したら二度と会えない、とか思わなくて。親に頼んで探したけど、見つからなくて」
受け取った瞬間から言えば、十一年が経つ。曇りのない真珠色を握り、鼻を啜る。
「諦めたつもりでも、やっぱりなにか。ちょっとしたきっかけで会えないかって、たぶん期待してるんです。だから色を選ぶ時、いつも白を」
文集の表紙も白にした。
見せる機会があるとは思わなかったし、見たって伝わらないと思った。
事実、卓哉さんがなにも言わなかったのはいい。それは当たり前。
しかし破られた時。くしゃくしゃにされた時。オレの心のコマが倒れた。
ずっと、何度倒れても、繰り返し回してきたのに。オレ以外に倒されたのは初めてだ。
白は願掛けみたいなもので、オレ以外は分からない。でもだからって、やっていいことと悪いことはあるだろう。
「それで持ち主が気づく? アホが。分かりにくいってレベルでさえない。そんなもので伝わるなら、人類の皆が親友になれる」
そうだろうけど。また感情の消えた視線と言葉で、真っ先にオレが叩き潰されそうだ。
「あ、ですから願掛け——」
「分かった、黙れ。そういう物が汚されて許せないって話だろう」
あれ、伝わってた。そうかオレが凹みすぎで、励まそうと——する人とも思えないけど。
「そ、そうです。もちろん先輩と明椿さんのことも。腹が立つっていうか、オレに巻き込んだみたいで申しわけなくて」
「つまり、このまま済ませない。だな?」
念を押されて、迷った。これは仕返しになるのか? と。だとしたら腰の引けるのが正直な気持ち。
だがこのまま済ませる、ことはあり得ない。オレが黙っていれば、田村のほうからなにかするはず。
その煽りは先輩と明椿さんにも及ぶかも。そうなったら、もうオレ自身がやったも同然。
だから、勘違いのないように大きく首を動かした。縦に、はっきり「はい」と答えつつ。
「よし。お前にもやってもらうことがある」
「オレに?」
かなりの覚悟で言ったのに、先生はいつもの顔と声に戻った。正座も崩してあぐらをかき、脇に置いた革のバッグを引き寄せる。
「ああ、そうか。私は今、一つ妄言を吐いたな」
「なんです?」
バッグを覗き、中身を出す手が止まった。そのままボソッと、意味の分からないことを言う。
特に変な発言はなかったと思うが、先生は答えずに中身をオレに放った。
「これがなにか?」
お手玉気味に受け取る。紙を重ねた、白い表紙の冊子。一期一会の文字と、明椿さんの版画もくっきり。
「なんでも簡単に伝われば皆が親友、と言ったが無理だな。本当にそうなったら、人類は全員が孤独になるだろう」
「なんですかそれ、怖いですよ」
人類総ぼっち計画か? シャレにもならない。
渡された文集を見ると、一枚だけ付箋が貼られていた。おそらくこの部分を見ろってことだ、素直に開いて読む。
「明椿さんのとこですね。今まで何度も読みましたけど、別になにも」
「お前の目は節穴か。一つ前のページから読め」
「はあ」
整然とした文章。どこをどう取り出しても、意味が通じる。読書に慣れないオレには肩が凝るとも言えるけど、こんな風に書ければいいなと憧れもある。
戻ったところで、それは同じ。
と、思った。だがすぐに、節穴呼ばわりの意味を悟る。
「ページが……」
紙面が三枚。六ページ分の文章がなかった。パラパラと捲り、ほかの部分を確認した。が、おかしいのはそこだけ。
冊子の肩越しに七瀬先生を覗き見る。でも黙って、オレの返答を待っていた。
なんでだ。あれだけチェックをしたのに。
先輩が試しに作ってみた? いやそれなら製本テープが貼ってあるのはおかしいし、先生が持ってきた意味も分からない。
「……これ、誰のですか」
「教頭だ」
やはり。
先輩がハーフサイズで作った料理と一緒に売った文集。それなら絶対に、ページが足らないなんておかしい。
表と裏と、上下左右をひっくり返して調べる。すると原因は、単純なものだった。
「切られてるじゃないですか」
「ああ。そういう状態の物が、今日までに二十部以上も出てきた」
「そんなに。明椿さんの記事ばかりを?」
切れ目は綴じた根元に限りなく近い。褒めたくもないが丁寧なやり口で、ちょっと捲ってみた程度では気づかない。
いつ、誰が、どうやって。何十部もやるには、かなりの時間がかかるはずだ。
それが明椿さんに向けられた悪意なら、犯人のヒントになるかも。でも先生の首は横に振られた。
「いや、切り取る箇所に規則性はない。枚数もな」
「そう、ですか。じゃあオレのやることって犯人を」
見つけろと言うなら、言われなくても。ただし方法は、どうにも思いつきそうになかった。
明椿さんなら、こんなことにもアイデアをくれるか? 無理だろうな。
田村とは違う形で文集を傷つけられた。これもオレのせいなのか、それとも先輩に?
真実がどうであれ、許せない。忙しく、脳みそが回転し始めた。
「犯人を捜す必要はない」
意外な声に、思考が空回りする。咄嗟に出た声も、間抜けに息が抜けた。
「はぇっ?」
「お前の役目は、次の日曜。図書室へ弥富と明椿を連れてくることだ。私にはできない、やれ」
頼む、ではなく。やれ。
オレが悪者にならず、田村を叩き潰す。その流れでの会話だったはず。
すると絶対に必要ということだ。なにがなんだか、首を傾げずにはいられない。
しかしどうにか頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます