第81話:満員御礼
「メニュー、三つだけなの?」
「はい。私たちの見てきた文学の世界を、現実に堪能してもらいたくて」
仮にも接客ってことで、自分を「私」と言うことにした。
最初の三、四回はむず痒かったけど、すぐに慣れた。というか、それどころじゃなかった。
「焼きまんじゅうって、つぶあん? こしあん?」
「両方です。混ぜ合わせて四角くしたものに、薄く生地を着けて焼いています」
「へえ、じゃあそれをお願い。豆腐じゃないのよね?」
ポニー画伯のイラストは、茶色い立方体。あんこ入りでおいしいとは書いてあるが、説明を求める人もいた。
「ねえ。注文決まったんだけど」
「はい、ただいま!」
用意した席は十四人分。開始から十分で満席になり、それからずっと行列が途切れない。
正直、一度でも満席になれば奇跡なんじゃ? と思っていたのに。
「どら焼きと焼きまんじゅうって、どう違うの? 両方ともあんこでしょ」
「そうですね。生地がたっぷりふんわりしてるか、薄くしっとりしてるか。それにどら焼きのあんこには、ホイップクリームが混ぜ込んであります」
「なにそれ、絶対おいしいやつじゃない」
「そりゃもう」
先輩と明椿さん提案の二種類は、現実の和菓子屋さんの作る本物がある。だからどこまで行っても物まねでしかなく、比べられたら敵わない。
だけど試食した感想として、あのふたりの手を触れた物がまずいわけがない。
いやこれはオレ個人の感覚か。そうではなく文化祭の模擬店で出される物として、明らかに高レベルと思う。
大食い——もとへ、某愛食家も「近所で売っていれば、毎日買いに行く」と言っていた。
「ねえねえ。これって海苔せんべい?」
斜向かいの席から聞こえたのは、きっと画伯への評価。
食べ物とは伝わっている、海苔せんべいもうまい。本来描いた物とは違うが、些細な問題だ。
「いえ。三つめに書いてございます、はちみつベーコンでございます」
「はちみつベーコン? パンケーキみたい」
「左様でございますね。ピザ生地にベーコンとマーガリンを載せ、カリカリに焼いた上へはちみつをかけた物です。当文芸部、部長の考案により、獣頭の主人公の食した異世界料理を再現致しました」
調理の合間を縫い、明椿さんも手伝ってくれる。さすが丁寧な接客は、真似ようとしても難しい。
「なんか……高級レストランみたいね」
「ご不快でしたでしょうか。申しわけございません」
「ううん! 違うの、凄い礼儀正しくて、びっくりしただけ!」
唖然とするお客さん。鋭い目を細め、二つに折れ曲がるほど頭を下げる明椿さん。
「お願い、頭上げて! これ! はちみつベーコン、二つね!」
「ご
うん、オレはオレでやろう。
明椿さんのおかげで注文取りが途切れ、飲み物を用意することにした。冷蔵庫から紙パックを取り出し、紙コップに注ぐくらいはできる。
食べ物にこだわった分、飲み物は既製品になった。でも明椿道場の伝手で、かなり安く手に入ったらしい。
Lサイズ、またはグランデサイズの飲み物に、焼きまんじゅうなら二つ。どら焼きか、はちみつベーコンなら一つがセット。
下手に焼きそばとかを食べるより、よほどお腹に溜まる。これで三百ヒジワラ、つまり三百円は破格じゃないか?
原価は二百ヒジワラから、ほんの少しはみ出した。もし売れ行きが悪ければ、売り値を二百に下げるのもアリだ。オレたちは儲けたいわけじゃない。でもこの分なら、このまま行けるかも。
暖簾の透き間から客席を眺める。ちょうどひと組が席を空け、明椿さんがサッと片付けた。
お冷やは出さないことに決めたので、まだ慌てなくていい。
「お客さん、どう?」
問う先輩は、調理の手を休めない。十数秒のタイミングで、すぐに味が変わるそうだ。
卓上コンロを二台。ホットプレートを二台。ほっぺを膨らませ、六本くらいありそうな腕を操る真剣な顔が、こちらに向く気配はなかった。
「ずっと満席ですよ。しばらく休憩できそうにないです」
「休憩は大丈夫。うちの生徒ばかり?」
それは、どういう意味だろう。答えるのは簡単だったが、もう一度客席を確認するふりで暖簾を捲る。
開場から二時間近くが経つ今まで、やって来るほとんどは二年の先輩たち。
なんで? と思ったものの、考えてみれば当然なのかも。我らが顧問の七瀬先生は上級生から、特に二年生から絶大な人気を誇る。
当人がいなくても、食べに行ったよと言いたいんだと思う。
「少し前に、一般の人も来てくれました。ほとんどうちの生徒で、どの学年もまんべんなくですかね。一年はちょっと少ないかな」
先輩を敵視するのは、二年生でもごく一部。でも図書室に来たふたり以外は、オレには分からない。
だからきっと、この答えで合っている。
「そか」
「ええ」
ルの字に困った眉で真剣な顔は、泣き出す寸前と言われればそうも見える。
もちろんそんなはずはなくて、先輩は先輩なりに楽しんでいるはずだ。これって根拠はないが。
「んじゃ、戻ります」
用意した飲み物をトレイいっぱいに載せ、暖簾をくぐろうとした。が、「ねえ」と呼ばれて急停止する。
危うくこぼしそうで、ダンボールの壁も使ってバランスを取った。
「あっ、ごめん」
「いえいえ。なんですか?」
「ううん。ありがとうって言いたかっただけ」
「えっ? なにもしてませんけど」
なんのことやら。首をひねっても、先輩は「大丈夫」と首を横に振るばかり。
しつこく聞く暇もメリットもなく、諦めることにしよう。と、トレイを慎重に持ち直した。その視界に、なにやら白い汚れが映る。
暖簾の内側、ダンボールの壁面。オレの腰より少し高い位置。二、三本の指で引いたような白い線。
触れてみれば、ザラッと粉っぽい。
一瞬もよそ見をしない、ポニー先輩を盗み見る。ホットケーキミクスを溶いた生地が、ホットプレートで綺麗な円形に広がった。
——気になるよな。
なにかあっても、オレがどうにかします。とは、心に思うだけだ。隠れて覗いていたと言い当てられるのは嫌だろう。
なんて気遣いは、杞憂に終わりそうだ。それから初日の閉場時刻、午後四時まで。オレたちのせせらぎは繁盛し続けた。
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