第79話:三本脚と看板
まずは三階へ上がってきた人に見えるよう、部室の前に。
するとその三階まで、上ってもらわなければ。二つめは北校舎一階の階段脇へ。
しかし三年生だけの北校舎より、南校舎のほうが教室数は多い。つまり演目数も多く、南校舎だけ回って満足されては困る。
だから北校舎へ繋がる渡り廊下の入り口にも。
と来場者の動きを考えて位置を決めたが、では最後の一つはどこに?
校門を入ってすぐ、左右どちらかの掲示板に貼るのがいちばんだった。あれはショッピングモールのテナント案内みたいなもので、巨大な案内図付きだから必ず見る。
しかしもう埋まってしまった。
「あそこに代わるようなとこ、ないよね。仕方ないから、体育館の入り口に置く?」
「そうですね。体育館も大掛かりな演目目当ての人が、たくさん行くでしょうし」
先輩と明椿さんは諦めて、次善策で同意した。
オレもそれで構わない。が、諦めきれない気持ちもあった。
「ちょ、ちょっと待ってください。なんか出てきそうなんで、もう少し」
並んで座る女子ふたりを、手の平で制す。いやそんなことをしなくても、「いいよ」とあっさりしたものだが。
やることはまだまだあった。オレが悩む間、先輩たちはメニューのデザインにかかる。
だいたいの用意が整ったら、誰かをお客さんに見立ててリハーサルもしてみないと。
焦るな。一つずつ片付けなければ、結局はなにも終わらない。学校を訪れた時の風景を思い出してみよう。
そう思うと、正面の公道から土原学園を眺める田村の姿が浮かんだ。誰が入学前まで遡れと言った。
ともかく。緩いカーブが校門へ続き、華奢な鉄細工は生徒となったオレを拒まない。
足下に秩序良く並ぶ、薄い赤のコンクリートタイル。見上げた正面に低い植え込み、そしてベージュの校舎が——
ちょいストップ。なんだか引っかかり、映像を巻き戻す。
そう、植え込みだ。そこには真実一路と、校訓の刻まれた石がある。
もしかして?
「思いついたんだけど」
それはダメと言われたら、やめようと思った。だが話してみると意外にも
「どうかな。言われてみると、どこにも禁止とは書いてないね」
先輩は生徒会発行の文化祭参加のしおりを、サッサッと捲る。
「置いて、聞いてみましょう。既成事実を作ってしまえば、元へ戻せとはなかなか言われないそうだし」
「あ、そうなんだ」
誰に聞いたんだか。明椿さんからも強行な意見をもらい、やってみることにした。
問題のない三箇所と、最後の一箇所。校門を入って真正面。真実一路の石の真後ろへ。
石の高さは六十センチほど。三本脚は七十センチくらいあるので、互いの視認性に問題はない。もちろん植木も傷つけない。
ふたりで設置に向かい、明椿さんのスマホで石と看板を写す。周りの人たちがザワついたけど、気づかないふりだ。
すぐその足で、文化祭実行委員会と張り紙のされた生徒会室へ。中にはちょうど会長さんと副会長さんがいた。
写真を見せ、「どうでしょう?」と。さすがに生徒会のふたりは、眉間に皺を寄せる。
うーんと唸ったきり、数分。それでもその場で答えが出され、オレたちは部室へ戻った。
「オッケーでした!」
「えっ、ほんとに?」
たくさんのポスターが集まる掲示板より、たった一つ真正面に見える立て看板のほうが目立つ。
もちろんほかの人たちも真似をするだろうが、それはそれだ。
「これでたくさん来てもらえればいいね」
目を丸くしたまま、先輩は色鉛筆をコピー用紙に向ける。
なぜ唐揚げに大きな目玉が付いているのかと思ったが、どうもオオサンショウウオらしい。
「売れ行きはなるようになる。心配するな」
十数秒前に通った、部室の入り口から声がした。わざわざ目を向けなくても、間違えようのない低音で。
とは言え見ると、廊下に置いた看板を先生は見ていた。なんだか大きなダンボール箱を抱えて。
「なるようになる、って保証にならなくないですか」
「していないからな」
部室へ入るなり箱を置き、どかっと音を立てて椅子に座った。クロスをかけた客席に。
「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる
なんの呪文だ?
日本語で頼む。と首をひねっていると、先生も渋い顔をオレに向けた。
「……お前、本当に高校生か?」
「たぶん」
どうも常識の範疇らしい。しかし知らないものは知らないので、明椿さん頼みの目を向ける。
「方丈記ですね」
「せせらぎの元ネタと思ったんだが、買いかぶったな」
ニヤと笑う先生に、明椿さんは苦笑で返す。
「ソウデスヨ、ホージョーキデスヨ」
いかにもわざとらしく、自虐ネタとして知ったふりをする。でも先生は冷たく睨むだけで、オレにはなにも言わない。
「あれは要するに、人間がなにを足掻いてもどうもならんって話だ。人は死ぬし朝顔は萎む。ならば生きる間にやるだけやれば、それでいい」
「究極を言えば、そうかもしれません」
分からない次元の会話。ためらい気味な明椿さんの頷きに、先生も首肯する。そしてなぜか、テーブルでメニューにかかりきりのポニー先輩を見やる。
「しかしどうだ、この店は。客が来たというのに水がなければ、注文取りもない」
「どこのチンピラですか」
突然。横座りで脚を組んだ先生は、ほぼ寝ころぶように肘も突いた。
苦情を言うと、噛んでもいないガムを噛み始め、ケンカを売る風に挑発的な睨みを利かせる。
「良客の相手なら、お前らは問題ない。想定というのは、悪い予想を元に行うものだ」
「はあ、なるほど?」
そうかもしれないが、高校の文化祭にそこまでひどいのが来るだろうか。
乗っていいものか迷ったが、オレの隣にポニー先輩が駆け込んだ。
「お待たせしました、メニューです!」
「ほう、可愛らしいな」
コピー用紙を受け取り、汚さないよう両端をつまむ。
唐揚げと猫頭の人間が池のある庭で笑う。そんなイラストに優しい眼と言葉を向けるのは、オレとは評価基準に差別がある。
可愛らしいのは事実だが。
「しかし弥富、お前は調理専門だろう。接客担当の訓練にならん」
「あっ、すみません」
「すまなくはない。きちんと金も払う、お前はお前の仕事をやってみろ」
恐縮して肩を窄めた先輩に、先生の親指がダンボール箱を示す。素直に従い、開けた中には卓上コンロが入っていた。
「先生が食べてくれるんですか?」
「食わなきゃ予行練習にならんだろ。お前のお勧めは?」
一瞬の間は、先輩が息を止めたから。窒息するのかってくらい苦しそうに、「はい」とメニューに手を伸ばす。
「どら焼きです」
「そうか。ではウェイター、いや給仕か? どら焼きとカフェオレのセットだ。練習だからな、文集は要らん」
ぎゅっと目を瞑りながら、先輩は厨房スペースに戻っていった。
とても。凄まじくつらそうに見えたが、違う。驕るつもりもないが、オレには分かる。あれは先輩の、心の底から本気の顔と。
それならオレも同じように。給仕専門として、声を張る。
「ご注文です。カフェオレセット、どら焼きでお願いします!」
「承りました」
調理と給仕と兼任の明椿さんも、今回は厨房へ入るようだ。ダンボールの壁を背に、恭しく頭を下げた。
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