第78話:三人で
「あ、そうだ。先輩の文集、オレが持ってるんです」
さっそくポスターを貼りに、行こうとして思い出した。
カバンから出すのに、片手では難しい。かといって先輩の力作を床に置くのもしのびない。
「ついでに先輩の仕事場へ案内しますよ」
「仕事場?」
首を傾けながらも、誘導するまま着いてきてくれる。そびえ立つダンボールの壁を抜け、厨房とは名ばかりの秘密基地へ。
「あっ、ソファー。前に見嶋くんが言ってたのだよね。ここに持ってきたんだ」
「オレが? って、ああ。そんなこと言いましたね」
どうにかポニー先輩を部室へ呼べないか。姑息で陳腐な餌として、たしか使った。
覚えられていたのが、嬉しいようで恥ずかしい。
「このテーブルに卓上コンロを置いて、調理場にするんです。大丈夫そうですか?」
ソファーの話はスルー。カバンから文集を出していると、先輩はソファーに触れた。
何度か座面を撫で、ゆっくりと腰を下ろしていく。と思ったら残り数センチのところで、「えいっ」と一気に。
「座り心地いいね」
「七瀬先生の家のなんで」
トランポリンじゃあるまいし、そう跳ねもしない。でも先輩は「ふふっ」と、困り顔を少し緩めた。
「そっか。ごめんね」
「なにがですか?」
「ううん、なんでもない」
文集を包んだ白いレジ袋を、ガサゴソ剥がす。と、先輩は両手を伸ばして催促した。
胸の奥のほうが、じわっと。なぜか温泉に浸かった心地がする。のは知らないふりで、オレも両手で文集を手渡した。
「あっ、凄い綺麗に持っててくれてる」
「ですか? 良かったです。汚れてたら、交換しても」
確保し忘れてはいけないから。というだけで、今なら新しいのを選び放題。しかし先輩は表紙をオレに向け、「ううん」と。
「これがいいよ」
「ですか。良かったです」
温泉の嵩が増える。ほっと息を吐くのに忙しく、オレはしばらく立ったまま、先輩を眺めた。
視線を気にせず、パラパラとページを捲っていく。最初のその辺りは先輩自身の、次は明椿さんの。すぐに最後尾、オレの記事。
どこかのページで捲るのが止まり、瞳が上下の運動を始めた。
書いた当人の前で読むのはやめてほしい。視線を外し、オレと先輩のカバンとをテーブルの端に並べてごまかした。
「ねえ。せせらぎって、どうして?」
「えっ」
「芦野川のことかなって思うけど、見嶋くんの書いたのには出てこないから」
それを言うなら明椿さんもだ。ただし延景園の池は近くの川を引き込んだもので、その辺りは記事に出てくる。
「うーん、まあ先輩の書いてくれた通りですよ。川って気持ち良くて、散歩とか昼寝してる人も多かったなあって」
せっかく先輩が丸めたポスターを、悪しからず開かせてもらった。
上から三分の一の高さに、せせらぎと大きく涼しげな文字。その下に薄墨っぽい色で、小さな文字の文章がある。
文学は清く流れる川のように。人知れず生まれ、人の間を滑り、見果てぬ世界に溶け込んでいく。
私たちのせせらぎで、足を止めてみませんか。日々の疲れた気持ちを、おいしいお菓子で癒やしてみませんか。
これは後出しジャンケンかもしれないが、おそらくオレもこんなことを考えた。だから川に関する言葉がいいと思い、せせらぎって言葉に辿り着いた。
「そうなんだ。同じこと考えたんだね、嬉しいな」
「嬉しいんですか」
「見嶋くんは嬉しくない?」
「いや嬉しいですよ。嬉しいに決まってます」
さっきの
「ほんとですよ。むしろ先輩がオレなんかにって思っただけです」
「見嶋くんは、なんかじゃないよ」
今度は眉の間に皺が寄り、怒った顔に。わざとらしさが薄れ、ちょっと本気な感じもした。
「えっ、すみません」
「謝らなくても。でも見嶋くんは凄いよ、私も見習わないと」
「いやオレな——オレはなにもできませんって」
そんなことないのに、と先輩は引かない。そんなことある。と言い返すことでもなし、どうしよう。
明椿さんか七瀬先生が来てくれれば、空気も変わるだろうに。
「そうだ、ポスター貼ってきますね」
「あ、うん。ええと、私はここにいてもいいかな」
逃走の口実だが、宣伝の場所は早い者勝ちと聞いた。早く貼ったほうがいいのも間違いない。
だからこんなことで落ちこんでもらうのは申しわけなく、間髪入れず「大丈夫ですよ」と頷く。
案の定。戸惑った感じはあったが、「よろしくね」と。ミッションクリアだ、と満足して部室を出ようとした。
「見嶋くん、どこか行くの?」
先輩に背を向けると、何歩か先に明椿さんがいた。不意をつかれ、心臓が十センチほども跳ね上がる。
そういえば入り口を開けたままだった。
「う、うん。先輩がポスターを作ってきてくれたから」
広げたり、丸めたり。ポスターも大変だ。腰を屈めた明椿さんの「いいですね」に免じていただこう。
「あ、でも」
「でも?」
「もう掲示板が埋まったらしいの。自立しないと置けないって」
「マジで?」
入学式の日に、クラス分けを確認した掲示板。それとは別に文化祭用に作られた物が、校門を入ってすぐ脇にある。
どちらもかなり大きいのに、もう貼れないとか。競争率が激しすぎだろ。
「貼れた人もいるってことだよね」
「そうね。ほとんど三年生みたい」
「弱肉強食かあ……」
情弱って若者言葉があるけど、まさに。前回の文化祭を経験した人で占領されたってことだ。
「自立って言われても、立て看板の材料なんかないし。生徒会に言ったらもらえるのかな」
「かもしれないけど、すぐには無理かもね」
参った。これから準備ってところで、いきなりつまずいた。
部費が使えるなら買ってくればいいし、ばあちゃんの家から持ってきてもいい。が、時間がもったいない。
「まあ仕方ないか。オレ、当てがあるから持ってくるよ」
とは言え悩むより、早く動いたほうがいいだろう。残る作業で最も重要なのは、カフェで出すメニューを作れるのかだ。
そこにオレは関係なく、涙を飲むことにした。
「ねえねえ。あれは?」
いつの間にか、先輩がすぐオレの後ろに立っていた。近い声と、わき腹をつつく指に、ビクッと仰け反る。
「あれ、って」
フッ。と笑いを堪えた明椿さんは置いておいて、先輩の言うほうを見る。そこには元々この部屋にある棚しかなく、棚にあるのはオレの作った本棚の残骸だ。
「いえ先輩。あれは——」
「いや明椿さん、いいよ。棚はまた作るし、今は看板が先だし」
いまや木の棒と板が積み重なるだけ。強がりを言う理由さえなく、本当にそれでいいと思った。
しかし明椿さんの顔が、本当に? と案じてくれる。それを見たポニー先輩も、「良くなかったかな」と声を沈ませる。
「いいんですって、あれで作りましょう。ただオレがやると芸術品になっちゃうんで、それが問題ですけど」
笑い方がわざとらしいのは、演技下手なだけ。それがどうも強がりに見えるな、と我ながら思う。
「分かった、見嶋くん。いい看板を作りましょう」
「お、おう」
なにを察したんだ。察するには事実のほうが存在しない。
明椿さんの顔が、キッと引き締まる。どこかで見たと思ったら、期末試験の時。頼むから、そんな覚悟をしないでくれ。
けれどもそのおかげか、明椿さんがサッと書いた図面の通り、看板が形になっていく。オレの持ち込んだノコギリやドライバーも、手慣れた風に使いこなす。
「これができたら、レシピの確認ですね」
材料を使うのは構わない。しかしオレの不器用さが浮き彫りで、それには強がりが必要だった。
何食わぬ顔を心がけ、次のスケジュールを確認してみたりする。
「うん、でもたぶん大丈夫。ね、明椿さん」
「ええ。先輩のおかげです」
かたやノコギリを動かし、かたや動かないよう木材を押さえる。息の合ったコンビネーションに、ますますオレの立つ瀬がない。
「え、なに。どういうこと」
交互にふたりを見比べるオレが、それほどみじめだったか。明椿さんは手を止め、カバンからスマホを出して見せてくれる。
「これ」
そこには、ポニー先輩とのやりとりが残されていた。細かく数値の書かれた材料と、先輩が手本を見せる動画まで。
そもそも明椿さんも料理上手だ。これならきっと、今から練習なんて必要ないに違いなかった。
「あー……スマホなくて。じゃあ残るはオレだけですね」
準備万端なのはいいことだ。女子同士、仲がいいのも結構だ。
でも率直に、寂しいと思う。昨日、いや数十分前まで感じていたのとは別の。
「あっ——で、でもね。ここで作れるかは、やってみないと。それに見嶋くんにも味見程度してほしいし」
「ですかあ。良かったですー」
先輩の気遣いが身にしみる。それでも再起には、看板を作り終わるまでかかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます