第75話:活動計画

 ばあちゃんの家に帰るのは、夕方になった。敗戦を重ねただけじゃなく、半分くらいの時間は部長っぽい仕事をしていた。

 その件でさっそく電話をかける。ポニー先輩に、と言いたいところだが明椿さんに。


「はい、明椿でございます」


 スマホにかけたんだが。毎度、品の良さに恐れ入る。

 育ちの良さで、こうも違うか。育ちと言っても育てられ方ではなくて、育ち方だと思うけど。


「あ、オレ。見嶋だけど」


 お手本を見せられても、すぐに真似はできない。オレがやったとして、そら寒いだけだし。

 玄関からのすきま風は、むしろ温風になったが。


「今日、夏休み中の活動計画を作ってさ。明日、渡しに行っていい?」

「受け取るだけなら大丈夫。でも活動計画なんて、今さら?」


 きっと明椿さんは首を傾げている。

 製本の日は休み前から確認済みだ。それ以外は成り行きで、基本的な活動はなしと暗黙の了解があった。

 その上で遊びに誘おうとしたオレの計画が潰えたのは、記憶に新しい。


「そう、今さら。部長がだらしないから」

「だらしなくなんか。でも渡すってことは、紙に書いたんでしょう? そこまでする理由ができたのかと思って」

「書いたよ。理由は顧問に叱られたから」


 部活の活動計画は、専用の用紙がある。どんなクラブもそれを最初のページに、毎日の日誌をつける――はず。

 部長になって最初の任務だったが、今日までオレは書いたことがなかった。


「なるほどね」

「そうあっさり理解されると悲しい」


 とはまあ七割方、冗談だ。「ふふっ」と笑ってもらえて、こっそり作ったグーが弾む。


「でさ。文化祭が終わるまで、その通り間違いなくやれって」

「ええ? 活動すると決めた日に必ず活動しなさいということ?」

「だね、むしろ逆だけど。活動しない日が圧倒的に多いから」


 ふうん、と。ほとんど息だけみたいな返事。なにか腑に落ちないのかな、と黙って待つ。するとやはり「ねえ、それって」と問われた。


「今日、突然言われたの? 七瀬先生に呼び出されたとか」

「ええと、この後言おうと思ってたんだけどね。昨日、恵美須さんの家に行ったんだよ」


 部活の計画と茶髪女子。わけの分からない並びのはずだが、明椿さんは疑問を口にしなかった。

 ただ強く、細く、すうっと息を吸う音がした。


「うん、教えてください」

「結論から言うと、弥富先輩は文芸部を辞めなくて良さそうなんだよ」

「……え?」


 あ。

 今度は完全に、意味が分からないって声だ。誰だったか、大事な話は結論を先にと聞いたのに。


「ごめん、順番に話す」

「うん」


 頭が悪い。カッコ悪い。赤面しながら、言葉を繋ぎ合わせていく。

 環境委員のあのふたりが先輩だけでなく、オレと明椿さんにも、なんらかの意図を持っていると感じたこと。


 オレたちが文芸部と知っているのは、田村だけ。だからそれを聞いた茶髪女子が、まとめて嫌がらせをするように仕向けたのでは。

 そう考えたが、外れていたこと。


「オレは悪くない、って言ってくれたんだよね。明椿さん」

「えっ、ええ。でも、むつみちゃ——恵美須さんは『じゃあ好きにすれば』と言ってて。誤解が解けてないと思っていたけど」

「いや、うん。ありがとう」


 おいっ、と突っ込みたい。もう怒っていないことを明椿さんに伝えた、と茶髪女子は言っていたが。

 そんなんで伝わるか!


 まあ何度も口篭もる明椿さんの様子に、本当に言ってくれたんだなと感動もひとしおだ。帳消しということで。


「で、それから言われたんだ。恵美須さんの近所のコンビニにいたってことは、飲み屋街に出入りしてるだろうって」


 言ってまた慌てて、ポニー先輩が脅されていた件を追加する。「大丈夫。分かる」と、明椿さんの声が優しい。


「あのふたりが処分を受ければ、弥富先輩どころじゃないと思うんだよ。でもそれには時間がかかるから、それまでオレたちは知らんぷりしてろって」

「そのために活動計画が必要なの?」

「いや、どうかな。それはついでに言われただけかも」


 ようやく。今日、学校へ行き、活動計画を書けと言われた理由に辿り着いた。危うくオレ自身、なにを話しているんだか忘れるところだ。


「伝わった?」

「ええ、よく分かった。見嶋くんが頑張ってたんだなって」


 ほっと安心したところに、不意打ち。慣れない事態で、言葉がうまく出てこない。


「頑張って、いや。なくはないけど、その」

「頑張ったよ。私が見嶋くんの立場なら、ひとりで恵美須さんと会うなんてできない。怖くて」


 ああ、怖かった。でも昨日は、もっと怖いものがあった。今もなくなったわけじゃないけど、大丈夫な気がしてきている。それだけだ。


「そうも言ってられなくて。ていうか、七瀬先生に言われてだし」

「ううん。自分の嫌なことを誰かのために、誰かの助言でできるって凄いことだよ」

「いやあ……カッコ悪いよ」


 さすがに見え透いたお世辞だ。先輩の件が解決しそうなのは嬉しいが、オレはほとんど役に立っていない。

 返す声に否定が混じるのを避けられなかった。


 続ける言葉がなかった。明椿さんも、少しの間なにも言わなかった。電話の向こう、強烈な気合いの声が時に聞こえる。


「道場に来る人もね、色々いるの」

「え? うん」

「経験者の人、初心者の人。どんどん上手くなる人、いつまでも変わらない人」

「あはは、オレみたいだ」


 急になんの話か、意図が見えない。しかし、なに言ってんだと遮る必要もない。

 明椿さんの挙げたどれとは言わず、自嘲した。


「一を聞いて十を知るっていう人はいる。すぐ上手くなるし、格好いいの。太刀筋がスッと通って、あれは切れるなあって思う」

「そういうの、あるだろうねえ」

「うん」


 そういうの、はオレじゃない。そういうの、を明椿さんもカッコいいと感じる。

 当たり前だ。ちょっと寂しい気はするけど仕方がない。


「でもね。いつまでも変わらない人が、必ず格好良くないってこともないの」

「そうなの?」

「うん。努力は人を裏切らないって、あり得ないもの。やっぱり向き不向きはある。だけどそれでも、好きだから続けるって言える人は格好いい」


 それは慰めているのか。だとしても当てはまらない。

 オレは追い詰められて、ほかに選択肢がなくて、猫を噛みに——許しを乞いに行ったネズミだ。

 猫の興味がオレから離れていて、助かっただけの。


「道場の娘が、こんなこと言っちゃいけないんだけど。お父さんがどれだけ教えても、聞き入れない人っているの。だけど体幹が良かったりして、試合で勝てたりする。でもそれは格好悪い」

「先生の言いなりでも?」


 七瀬先生に言われてでも、やっただけは偉い。たぶんそう言ってくれているんだろう。

 でも答えは「ううん」だった。


「指導を受け入れるのと、言いなりなのは違う気がする。それに見嶋くんは、弥富先輩のために頑張ったんでしょう? 本当に格好いいよ」

「先輩のためって、まあそれはそうなんだけど」


 なぜだろう。その通り先輩のためです、と気持ちよく答えられない。質問したのが明椿さんだから、ではないと思う。


「でしょう? もう先輩と話したの?」

「いや、まだ。ていうか、明椿さんから言ってもらおうと思ってて」

「どうして?」


 褒めてくれるのも、こうやって問われるのも、落ち着いた口調。

 同い年のはずなのに、とんでもない歳の差を感じる。もちろん悪口ではなく。


「知らんぷりだから、活動計画を渡しにも行けないし。明椿さんのスマホで、写真を送れるよね。その時話してよ」

「できるけど、それでいいの?」

「うん、悪いけど頼むよ。今、明椿さんに話して思ったけど。自分で言うのは恥ずかしいから」


 本当にいいのか、何度も確認があった。しかし最後に思いついた、恥ずかしいという言いわけで押し通す。

 明椿さんには、きっと消化不良を起こさせた。でも電話を切った後、オレの胸は軽くなった。これで良かったと。

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