第74話:素知らぬ顔で
次の日。登校時間に部室へ行くと、ゴトゴトと音がした。なにかと思えば、中学生くらいの女の子が暴れている。
いや相撲の特訓かも。当人の何倍もあるソファーに向かい、突っ張り稽古のように見えた。
「なにを見ている。スケベ」
「すっ——」
心外な言葉に顔が熱くなる。憤ったのより、照れるほうが数百倍だけど。
「出歯亀でないなら手伝え」
「なにをですか?」
「これが模様替え以外のなにに見える」
「はあ……分かりました」
少なくとも模様替えには見えなかった。オレが来るまで、一つでも動かしたんだろうか。見回したが、それらしき箇所はない。
「どうして突然?」
「お前ら、ここで模擬店をやるんだろ。いつ動かすのかと考えていたら、落ち着いて昼寝もできん」
「それはすみません」
既に見えているやるべきことを、片付けないのは気持ちが悪い。という七瀬先生らしい言い分でソファーにテーブル、テレビを移動させた。
「なんだか元の秘密基地に戻っちゃいましたね」
部屋の隅へ押しやり、周囲をダンボール箱で囲んだ。部室の中央にあれば、応接の場所にも見えなくはなかったのに。
「アホか。卓上コンロを持ってくれば、立派な厨房だろうが」
「あー、なるほど」
いい調理台のテーブルの周りに、人ひとりが歩く幅は確保した。それでもオレや明椿さんには狭いが、先生やポニー先輩には十分だ。
「じゃあ、あっちはなんですか」
「——空間の有効利用だ」
窓ぎわの、もう一方の隅。残りのダンボール箱を天井につかえるほど重ねた、塔ができた。
デッドスペースをなくすのはもちろん、下手な高さに抑えるよりも倒れにくいのはたしかに。
「お前は文句ばかりだな、なにしに来た。またサンドバッグか」
「文句を言ったつもりはないんですが」
昨日と同じくらい汗だくで、作業が終わったのは正午も目前。
持参したおにぎりをバッグから取り出し、下手で放る。と、食べ物だからか、小さな手に危なげなく収まった。
「ばあちゃんが作ってくれました」
「中身は」
「梅か肉味噌のどっちかです」
「ぐずぐずするな、早く座れ」
二種類が二つずつ。目印がなく、開けてみないと分からない。アルミホイルを剥ぐなり、先生なりの大口で食らいつく。
先に割ってみるとかの小細工はなしだ。じゃあオレも、と食べてみると梅干しだった。
「悪いな、二つめも肉味噌だ」
「おいしいですか? ばあちゃんに言っときます」
「うん、いかにも手作りの濃さが泣かせる」
「良かったです。でも梅干しも自家製で、おいしいですよ」
ごはん粒付きの指をしゃぶりながら、先生は鋭い視線を走らせる。
「早く言え。いや、お前のおばあさんなら当然か。不覚だった」
「また持ってきます」
「楽しみにしておこう」
とか言いつつ、自分のバッグから菓子パンを取り出す。今日も先生は健康らしい。
「環境委員のふたり、飲み屋街で遊んでるみたいです」
「そうか。生徒指導部に伝えておこう」
お茶を飲み、ジョイステ3の設置が指示された。
来てすぐの出鼻を挫かれ、今が頃合いと思って話した。のに、先生の反応はとても軽々しい。
「それだけですか」
「ほかにどうしろと? 呼び出すにせよ現地で補導するにせよ、私が勝手には動けん。担任なら別だが」
自分で考えろと言うから。いやそうでなくても動かなきゃいけなかったけど、ともかく動いた。
「だって先生。あのふたりが処分されれば、嫌がらせどころじゃなくなるでしょ。そうすれば先輩が助かると思って」
成果を伝えているのに、と握った拳が我ながら子どもだと思う。
分かっていながら、言うだけは言わないと気が済まないところも。
「お前なりに動いた結果なのは分かるし、有効だ。しかしものには順序がある。ルールを破っておいて『ルールを守らせろ』とは、誰も聞いてくれん」
ルール?
思わず、手にしたジョイステ3のコントローラーを見つめた。
分かる。それとこれとは別の話。
「——焦るのは分かるが、待て。タダでとは言わん、弥富に伝えろ。文芸部を辞める必要はないと」
「ほ、ほんとですか」
「お前らが素知らぬ顔でいればな。奴らを警戒させたくない。そうすれば然るべき手順を踏むことができる」
お行儀よくしていれば、順序通りに、正しい状況へ持っていく。
およそ七瀬先生に似合わない、そんな言葉を聞けと言うのか。ご褒美を持ち出せば、すぐに納得するとでも思うのか。
「七瀬先生はいつも、
まばたき三回ほど迷い、頷いた。
と言っても、七瀬先生を信じない選択肢はなかった。ほかのどの先生でもなくこの人なら、どの言葉も信じられる。
迷ったのは、結局任せてしまっていいのかってこと。だがオレの名誉より、ポニー先輩の自由のほうが大切だ。
「買いかぶるな、私もズルい大人の一員だ」
「そんなことはないですよ。運転とか力仕事とか、正攻法すぎて痛々しいです」
「……そう言われると心苦しい。本当にくだらん人間だ、私は。昔むかしの出来事をいつまでも根に持つような、な」
持っていた最後のパンを、先生はテーブルに置く。
それほどにひどいことを言ったか? と内心おののいていたら、代わりにコントローラーが握られた。
「今日は使ったことのないキャラでやってやる」
「ハンデですか」
ジャングル育ちの、体内発電男。先生の得意キャラと同じように、変則的な挙動をする。
でもたしかに、今までで一番に動きがにぶい。なにせようやく、初めて一本が取れた。
まあその一本だけで、あとはおなじみの連敗だった。食べ残されたパンも、気づかないうちになくなっていた。
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