第73話:瓢箪から駒

 知らない? そんなバカな。

 予想外の返しに、次の言葉が出なかった。しかしよく考えると、オレのことがどうでもいいというなら当然の答えではある。


「なんでそんなに驚くわけ?」


 完全に勇み足だ。知っていると決めつけていた。知らなかった場合の問答は、予習してこなかった。


「いや……最近よく図書室に行ってたんだけど。その二年生と、よく会ってさ」

「ふーん。で?」

「で、って。ええと、恵美須さんと知り合いかと。ふたりのどっちかでも」


 最悪、茶髪女子が差し向けていると思っていた。だが目の前の顔に、「なに言ってんだこいつ」と書いてある。

 知らないのなら、失礼すぎて本当のことが言えない。


「だからなんであたしが——」


 牙を剥きかけた口が動きを止め、少しの後に「ああ」と。

 それから絵に描いたように鼻で笑われた。


「そのふたりから、なにかされたんだ? それであたしが頼んだとか思った」

「ごめん……そこのコンビニでちょっとあって」

「へえ、でも知らない。あんた、ほんとろくでもないわ」


 たしかにこれは、ろくでもない。今度は九十度に腰を折った。

 だがすぐ、「やめてよ」と冷たい声。


「あたしが偉そうに見えるじゃない」

「ご、ごめん」

「もういい。今さらよ」


 手で扇がれると、ハエにでもなった気分だ。もしくは、おならか。

 オレが悪いんだし、それはいい。問題は、解決の糸口がなくなったこと。


「なに、深刻な顔して。ほんとにあたしじゃないからね」

「うん、恵美須さんはオレなんかどうでもいいっぽいし」

「オレなんか・・・? ヒロインぶってんの? ヒロインって女の子がやるもんよ、知ってる?」


 畳みかける声に、なにか答えたはずだが意識にない。たぶん「ああ」とか「うう」とか呻いたと思う。


「ああもう、イライラする!」

「ごっ、ごめん」

「シャキッとしなさいよ。普通にしてりゃ、あんた普通なんだから。これ以上のことはないって言ってるでしょ」


 捲し立てられ、ビクッと背すじが伸びた。のに、なぜか茶髪女子は背中を丸める。

 自分の口を手で押さえ、辺りを窺ってキョロキョロと。金持ちには金持ちの気苦労があるらしい。


「ほんとごめん。でもオレのことじゃなくて」

「はあ? あんたの話、分かりにくい。きっちりさっぱりと説明できないの」

「……文芸部の先輩が、嫌がらせされてて」


 疑いをかけてしまった以上、なんの説明もなしとはいかないだろう。

 ポニー先輩の名前は出さなかったが、経緯を話した。去年から続く話で、なぜかまた急にちょっかいがかかるようになったと。


「あんた部活なんてやってたの」

「えっ? うん」

「いつもさっさと消えるから、引き篭もってると思ってた」


 オレが文芸部とも知らなかったようだ。引き篭もり認定は、愛想笑いでごまかす。あながち間違ってもないから。


「でもそんな指図するって、あんたの中であたしは何者なの。マフィアの親玉とか?」

「ほんとにごめん、どうにかしたいってばかりで。それに明椿さんのことも」

「ノリ?」


 綺麗に整えられた眉が、ぎゅうっと吊り上がる。また後出しと怒られそうだ。


「オレと明椿さんも環境委員なんだよ。でもあのふたりは、オレたちのこと知らないっぽくて。今月の委員会でも、たぶん気づかれてない」

「だからなに?」

「先輩に当てつけるなら、オレにだけ構いそうなもんだと思った。でもあのふたりは最初から、明椿さんも対象にしてた」


 明椿さんもそこにいたから、たまたまかも。確信はなかった。

 だけど先輩が標的なら、ほかの切り口もあるように思う。なのにあの二年生たちは、オレと明椿さんも必ず交ぜこんだ。


「だからあたし、か。なるほどね」

「ごめん」

「うるさい」


 オレの推測は、なにもかも外れていた。だから謝ったのに、叱られて睨まれた。

 じゃあどう言えばいいか悩むオレを放置して、茶髪女子はしばらく黙った。きっと視線は、病院に隠れて見えないコンビニのほうを向いて。


「そのふたり、この近所なの?」

「違うらしい」

「ふーん。じゃあ、そういう奴らよ。放っときなさい、関わらないほうがいい」

「ええと?」


 どういう奴らか、さっぱりだ。汗で蒸れた頭を掻くと、痒みがむしろ増す。

 茶髪女子の視線は、温度が下がった。


「あんたバカ? 近所でもない奴がそこのコンビニまで、わざわざなにしに来るの」

「買い物」

「だーかーらー。買い物したのを持って、どこへ行くのかって」

「どこってそんなの」


 分かるわけない、と言おうとしたら舌打ちが聞こえた。恐怖で口を閉じ、考える。

 しかし茶髪女子はこの周囲をよく知っているだろうが、オレはあんまりだ。昔からこの辺りは、子どもに縁のある場所じゃなかった。


「あ——」


 なぜ、子どもに縁がないのか。

 土原学園のあるこの町に、遊び場と言えば二つ。一つは明椿道場の先から伸びる、商店街。もう一つが恵美須病院よりもっと下流の、歓楽街。


 どちらにもカラオケボックスや、ファストフードの店なんかはある。

 だが雰囲気はまるで違う。中学生や高校生がいるのを見つかれば、すぐに補導されると聞いた。


「そうよ。飲み屋街に決まってるでしょ」

「不良、か」

「不良ね。まあそうだけど、あんたほんとはいくつ?」


 冷たい目を通り越し、不憫な感じで見られた。明椿さんの言葉を借りたんだが、黙っておこう。


「関わるなって意味が分かったよ。でも放っとくわけにもいかなくて、どうしたらいいか考えてみる。ありがとう」

「やめてよ気持ち悪い」


 これがツンデレなら見直すところだ。が、茶髪女子の表情は、心の底から言葉通りに見える。

 さすがにこれをご褒美と感じる強者にはなれなかった。精神の折れる前に立ち去るため、「じゃあ」と手を上げる。


「あ、そうだ」


 茶髪女子も玄関に何歩か進んだ。なにか思いついたように止まり、首だけ振り返る。


「ん?」

「ヨシは最近、誘っても来ないから」

「ヨシって、田村?」

「ほかにいないでしょ」


 田村良顕だから、ヨシ。それは分かるが、なぜ今その話を。

 問う前に、茶髪女子は歩み去る。もう振り向くことはなく、玄関の鍵がしっかりと二、三ヶ所もかけられた。

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