第71話:猫の手はいらない

「それは弥富のみぞ知る、だ。私には推測しかできん」


 視界を覆う、オレ自身の手。その暗闇の向こうから、先生の言葉は聞こえる。

 でもきっと、テレビ画面に跳ね返った声。


「推測でいいです」


 それでいい。この人に見え透いた慰めや、慈しむ眼差しなんて期待しない。

 どう見たってオレより歳下だから、ではなく。そういう人と知ったから。


「一つ、お前に知らせても改善の期待がない。二つ、お前に知らせても悲しますだけで意味がない。三つ、お前に知らせると悪化のおそれがある。といったところか」


 ほら、情けや気遣いなんてない。普通はこんな時、心配をかけたくなかったんだとか言うものだろう。

 でも知りたいのは、本当のことだ。


「オレが役に立たないからですね」

「弥富は違うと言うだろうが、私は否定せんよ」


 その通りだ。どの推測も。ポニー先輩を悲しませずに済む方法は、オレの手にない。オレがどんなに頼んでも、土下座したって、嫌がらせが止むことはない。


 オレにとっての一年A組と同じだ。誰がなにを言おうが、茶髪女子や田村たちが納得しない限り、事態は収まらない。

 そしてそもそもがあいつらの思い込みなんだから、納得するはずもない。


 ない、ない、ないない。

 間違いなく役立たずだ。ついでに面白くもない。オレって奴が先輩にしてあげられることは、なにもなかった。

 オレ自身には、なにも。


「先生。七瀬先生。先輩を助けられませんか。そんな高校生活、あっていいはずないでしょ。根本的な解決じゃなくていい、せめて先輩が図書室にいられるように」


 先生なら、なんとかなる。

 初めて会った日、トラブルを抱えたオレに言った。表面上は収められるが、相手の感情はどうもならないと。

 表面上。結構じゃないか、表立っての悪意がなければおよそ元通りだ。先輩だって、今さら好かれようとまで思わない。


「無理だ」

「そんな。簡単に言わないでくださいよ。先生ならなんとかできるはずですよ、だってここは七瀬学園のっ——」


 目を。視界を閉ざしたまま喚いた。

 けれど最後まで言葉は続けられない。襟首をつかまれ、喉の締まるのも構わず引き上げられたから。


「ぐぅ……」


 襟もとへ指を伸ばした。が、その前に先生の手は離れた。急に解放された喉が、慌てて息を吸う。

 と今度は前から、胸の辺りを鷲づかみにされた。ソファーの背へ仰け反る格好で、ぐいぐいと押し付けられる。


「よく聞け。無理なんだよ」


 半身を捻り、襲いかかる先生。耳の傍でゆっくりとふた言を告げ、手を離す。

 失われた圧迫感に、オレはむせた。抑えられない咳を、しばらく繰り返した。


「弥富は自分で交渉した。調子に乗って悪かった。しかし文芸部の面々に迷惑がかかるから、文化祭だけは計画通りにさせてほしいと」

「オレたちに?」


 声を発すると、またつられて咳が出る。構わず話すオレに先生も構わず、腕組みで目を瞑る。あとは頷くだけで解説がなかった。


 だがおそらく、こういうことだろう。

 先輩は文芸部の存続条件を満たすまで、邪魔しないでくれと頼んだ。それなのに先生が出しゃばれば、契約は破棄されたことになる。


「黙って先輩の望む通りにするしかない。勝手に動いても、それはまた先輩を悲しませるだけ、ですか」


 七瀬先生は答えなかった。違っていれば、アホかと言われたはずだが。

 実際、間違っていないと思う。先輩の意向に背けば文芸部は存続できず、そのことを先輩は自分の責任と背負い込む。

 そうなれば、もし別の機会にオレが話しかけても、二度と返事はない。


「……文芸部なんか、どうでもいいのに」


 背を丸め、俯いたオレの口が勝手に言った。先輩と先生を天秤にかけたみたいで、後悔した。

 本当に言いたかったのは、文芸部という体裁なんかどうでもいい、だ。七瀬先生と弥富先輩と明椿さんと、みんなで集まれる場所があれば。


 おそるおそる、窺い見る。

 眠ったように、先生は動かなかった。弁明しなきゃいけないのに、勇気が出ない。

 ひどく疲れた心地がして、オレも目を閉じる。格闘ゲームのデモ動作だけが、音を発し続けた。


「……また、放置か」

「えっ?」


 また、なんて心当たりが多すぎる。この部室にも、崩れたままの本棚が胸に痛い。

 意図を探ろうと薄目を開けても、先生は彫像のようだった。


「残れるのなら文芸部に残りたい、とも弥富は言っていた。だから私は、その方法を考えている」


 先のひと言はなかったみたいに、話が戻った。見開かれた眼が、ぎろっとオレを睨みつけて。


「あの、オレもそれを」

「要らん。いくつか素案はあるが、どれも猫の手を借りては失敗する」

「失敗って……」


 手伝いの申し出が、ぶった切られた。素案とか失敗とか、どうも正攻法っぽくない言い方だが。


「自分の頭で考えてみろ。タダで果実を拾う方法でなく、育て方や病害からの守り方を」

「いやそれは」


 オレだって考えた。でも思いつかなかった。強いて浮かんだといえば、例のふたりがいなければいいとか、実行できない方法だけ。

 結果としてここへ来たんだ、とは口にできなかった。それが先生の言う、果実を拾うことだろうから。


「いえ、そうですね。人任せすぎました」


 邪魔だと言われた。ショックだったが、もっともと思う。

 先輩のため、に。先生を使おうとした、だけと悟った。先生自身が動くつもりなら、オレが指図する意味はない。


 考えよう。オレだからこそ思いつくこともあるはずだ。

 社会科資料室をあとに、靴を履き替え、バス停へ向かう。ちょうど姿の見えたバスに合わせようと足を早め、「おい」と自分に突っ込む。


 帰ってどうする。

 だからって、行く当てもないだろ。

 オレの中で意見交換が行われ、落ち着き先を模索した。高校生がひとり、ブツブツ言いながら歩き回るのはきっと怪しい。


 すぐに思いついたのは、明椿道場。都合が合えばだが、ここから近い。

 しかし人任せをしないと言って、すぐにそれはどうなんだ。

 でも明椿さんなら、オレなんかじゃ思いつかない答えを出してくれそうなのもたしか。


「——いや」


 やはり頼りきりは良くない。

 ふと、一つの疑問が浮かんだ。燻りとも言えない、小さな小さな火種。しかし意識を向けてみると、無視してはいけない気がした。

 川辺に至る道をゆっくり、ゆっくりと進んだ。

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