第69話:壊れた夏休み

 特別と言えば。高校生に最たるものは、夏休みと言っていいはず。

 文化祭が九月最初の週末に行われるのだって、その膨大な時間を存分に使えってことらしい。


 ゴールデンウィークみたいに、みんなで出かけられたら。肝だめしや花火なんてベタなイベントを、オレも体験したい。なんて願っても、きっとバチは当たらない。

 環境委員のふたりだって、さすがに夏休みまでは。


 と、あれこれ考えたオレは甘かった。

 敗因は二つ。考えただけで、予定を立てなかったこと。文芸部員がオレと同じに、暇だと思っていたこと。


「夏休みに入ったし、どこかで集まらない? またネタ探しというか、気分転換というか」


 七月二十六日。夏休み最初の土日と、その後始末で忙しいらしい月曜を外して電話した。明椿さんにだ。


「楽しそうだけど、暑中稽古とかあって。都合のつく日があまりないかもしれない」

「そ、そうなんだ。いつなら?」

「流動的で、はっきり言えないの。弥富先輩のご都合は?」


 先にこっちの予定を決めれば、合わせられるか考えると言われた。忙しいのは聞いていたが、夏休みもそれほどとは思わなかった。

 けれど嫌だとか無理とか言われたわけじゃない。


 もしもポニー先輩が、いつでもいいよと言ったら。それはどうにかなるってこと。

 神頼みならぬポニー頼みの心持ちで、先輩に電話をかける。


「夏休みに入ったし、どこかで集まりませんか? またネタ探しというか。気分転換というか」


 判で押したような問いに、先輩の遠慮がちな「うーん」が返る。

 きっとスケジュール調整中を知らせるブザーとかだ。前向きに捉え、嫌な予感に無視を決め込む。


「ごめんね。毎年夏休みは、田舎に帰省するの。だから旅行めいたことは無理かな」


 受話器から聞こえた「先に聞いてれば調整できたんだけど」という死の呪文は聞かないふり。

 まだだ、まだ終わらんよ。遠出がダメなら、次善策が残っている。


「あ、じゃあ。明椿さんの家でも」


 でも、って失礼だろ。失言に気づかれないよう祈りつつ、口早に「どうですかね」と重ねる。

 我ながら、必死だなと引いた。


「明椿さんの家……?」


 半疑問形で、やはり時間がないって続くのかと思った。しかし先輩は、なんとなく拒む雰囲気だけで押し通す。


「あれ。まずかったですか」

「ううん。ええと、その。あ、そうそう。原稿の修正ができたら言ってね、印刷しておくから」

「それはまあ」


 あからさまに、なにかごまかした。

 教えてと言っても簡単に言う人でなく、気を遣わせたと気に病む人だ。おいそれと聞けないが。


「それからええと、製本は明椿さんと見嶋くんに任せていい?」

「えっ。いや、いいですけど」


 おかしい、どう考えたって。オレの知る先輩は、やるなと言ってもやらせろと言う。

 胸に湧き立った真っ黒な雲を、知らないふりはできなかった。


「先輩」

「な、なに?」

「なに、はオレのセリフです。なにかありましたよね」


 受話器の向こう。少し、吐息の荒い気がした。

 迷っているなら急かさない。澄ました耳に何度も、声を発しようと息を吸うのが聞こえる。


「……ないよ。なにも」

「先輩?」

「必要な備品の依頼は、私が出しておくね。部長の名前で」

「いやそれは」


 極めてレアな、早口の先輩。言うべき言葉の出てこないオレは、いつも通りのへたれ。


「文学カフェ、じゃないのか。名前、考えておいてね」

「あのっ——」


 苦しまぎれの呼びかけは、聞こえたはずだ。それでも電話はブツッと切れた。

 これきり、先輩とは会えないんじゃ?

 縁も切れたように思えて、手が震える。

 どうしよう。もう一度かけてみるか。

 明椿さんも連絡を待っているはず。


 どちらへ電話したって、先輩の拒絶と向き合わなきゃいけなかった。

 いや、向き合いたい。でもまともに返事をしてもらえなければ、どうしようもないじゃないか。


「くそ……」


 妙な下心で、電話なんかしなければ良かった。こんな状態で、まともにカフェなんかできるわけない。

 それもこれも全部、あいつらのせいだ。


 思い浮かぶのは、環境委員の二年生。ポニー先輩と同じクラスという、あのふたり。

 先輩の態度に関わっているか分からないけど、腹を立てる相手も不明ではオレの気が収まらなかった。


「ユキちゃん、なにかあった?」


 呼ばれて、いつの間にか台所へいることに気づいた。手には冷蔵庫から出した麦茶のポットが。

 開け放しを知らせる電子音が耳障りだ。「なんでもないよ」と、ばあちゃんに嘘を吐く自分が嫌だ。


「ちょっと学校に行ってくる」


 これから部屋でじっとしているのも、いたたまれない。安心できるばあちゃんの家から、この世でいちばん嫌な場所のある学校へ逃げるとは、皮肉な話だ。


「ユキちゃん、気をつけてね」


 さっさと制服に着替え、文集用のノートだけをカバンに入れた。玄関に座ると、やっと終わった梅雨の残り香がすき間から臭う。


「うん、大丈夫」

「誰でもいいから。言いたいことがあったら、聞いてもらうといいよ。おばあちゃんも、ご飯作って待ってるから」


 疲れたような、ばあちゃんの声。背を向けたまま、ぎゅうっと歯を食いしばる。


「行ってくるね」


 自分が怒っているのか、悲しんでいるのかもあやふやだ。さっきの震えが残ったみたいに、地に足の着く感覚が薄い。

 ガラガラのバス。途中で見える神社の森ブロッコリーに祈った。


「助けてよタク兄」


 小学生のタク兄が、うっかり姿を見せないか。探す自分をバカにしながら、やめられない。

 しかし、タク兄はいない。今のオレにあるのは、この世でいちばん嫌な学校の、唯一の息吐く場所。

 聞いたことに必ず答えてくれる、七瀬先生だけだ。

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