第68話:そのままで
「どうするの?」
放課後の部室。明椿さんは、挿し絵用の新しい版画を彫る。質問はソファーへ寝転ぶ先生にでなく、オレに。
昼休憩には顔を合わせなかった。美術部員としても文化祭に作品を用意するそうで、図書室では作業ができないからと。
「どうって、どうもしないよ。どうにかしたら、嫌がられるでしょ」
広いテーブルの対面に座っていると、彫り進めた具合いは見えない。でも答えて、手が止まったのは分かる。ゆっくりとだが、絶えず動き続けていたのに。
ふうっ。と吐き出したのは木屑を飛ばしたのか、ため息か、どっちだろう。銀縁メガネを押し上げ、鋭い目がこちらを向く。
「まあ——私も販売には関わるなってことだと思うけど」
「なにか言われた?」
「いいえ。でも買い出し係と看板作りに他薦って、ね」
一年A組の演目は、クレープ店と決まった。教室を店舗にして、飲み物も出すカフェ形式だ。
茶髪女子が提案し、田村も含めた大勢が賛成した。というか対案も出なかった。
目立つ店員にもやはり茶髪女子と、仲のいい女子たちが収まった。可愛いエプロンにしようとか、わいわいやっていた。
ほかに交代も、調理の係も要る。それなのに当人の言う通り、明椿さんの名前がすぐ挙げられた。
「オレのせいだよね、ごめん」
「ううん、それは関係ない」
柔らかく、首が横へ動く。それからスッと視線が下へ向き、彫刻が再開された。
関係ないわけないだろ。と思っても、言える言葉がない。
買い出しも看板作りも、オレも一緒にと言えば明椿さんの立場を余計に悪くする。
どうすれば? 助言を求めて目を向けたが、七瀬先生はエンドウ豆スナックに夢中だった。
「文集と美術部のと、看板まで。大変じゃない?」
なにかあったよねと聞いても、明椿さんは正直に答えてくれないと思う。まずは様子見。
「うーん。美術部のだけをやってると、気が滅入ってくるの。だから文集の挿し絵は、気分転換にちょうどいいかもしれない。もちろん手抜きではなくて」
「彫刻の気分転換に彫刻?」
顔を上げないまま「うん」と頷く。
数学の勉強に疲れたら英語の勉強をするって話があるけど、それと同じようなものらしい。
彫刻刀は一定のリズムで、かすかに歌い続けた。
「看板作りは、私ひとりでやるわけじゃないしね」
木材を使った立て看板は、四ヶ所を五人で作ることになっていた。その中にクラスの男子のひとり、俵の名前も。
見嶋の名前はどの係を見てもなかった。オレを汚物のように見たクラス委員の女子が、名簿と照らし合わせたのにだ。
立候補しなかったと言われれば、そこだけは否定できないけど。
「そっか。ええと、その。手伝えることあったら、遠慮なく言ってよ」
「うん、ありがとう」
突っ込んだことを言えないまま、六時過ぎに明椿さんは帰った。「できた」と言っていたから、挿し絵の一つは完成したんだろう。
明椿さんに限って、見栄や嘘はあり得ない。
「お前は進んだのか」
「いえ全然。一枚か二枚くらい書いて、自分でなにを言いたいのか分からなくなって」
ふたりになると、先生は起き上がった。で、すぐにジョイステ3を取り出す。真面目にやっている人を前に、ゲームをしない自制はあるようだ。
「へえ」
「へえって、興味ないんですね」
「あると思うのか」
「思いません」
オレも真面目にやっていれば、きっと誘われない。前に先生自身が言った通り、これがやりたいという気持ちを邪魔するのは嫌う人だ。
だからまあ、見るからにやる気がないってことだよな。自分としては真面目なつもりなんだが。
「興味はないが、一つ不思議ではある」
「なんです?」
「実際、進んでいるように見えんのだが。なにを直すつもりだ?」
日替わりでレースゲームと格闘ゲームと。今日はレースゲームらしい。
先生は毎度、使うキャラを変える。オレも加速性能のいいキャラにした。最高速が高くても、扱いきれないから。
「なにを直すか分からなくて悩むんです」
スタートしてすぐトップに立つ。が、一周半で「ん?」と首をひねった先生に抜かされる。
「直したいから悩んでるんじゃないのか」
「直したいですよ。でもなんだか気に入らないって感じで、具体的にどこってのが自分でも」
伝わったのか? 無言で二周目が終わり、数秒後に先生が一位でゴールした。
そこで「ふーん」なんて声が聞こえて、さっきのリアクションとすぐに分からなかった。
三十秒近くの大差でオレもゴール。それでも二位っていうのは、喜んでいいのか悪いのか。
最近こういうパターンが多い。オレは二位か三位で、先生は必ず一位だ。
「あの文章のどこが気に入らん? もちろん巧緻とはお世辞にも言わんが、文学賞をとろうって気はないだろ」
「あれ、読んだんですか」
「明椿が持ってきた」
試作はポニー先輩が持っているはずだ。読まれているとは思わなかった。
先輩のことだから、先生に見せたいと考えるのは自然だが。
しかしどこがって、それが分からないと話しているのに。
どう答えていいやら考えていると、容赦なく二戦目が始まる。
「主題が書ききれなかった。書くうちに指針がぶれた。冒頭とまとめで主旨が違っている。とかなんとか、大まかな原因はあるものだろう」
大まかな原因? 言われたのは十分に具体的だと思うけれども。
まあ、ざっくり言えというなら、浮かぶ言葉はある。
「そんな高尚なところまで考えられてませんよ。なんていうか——幼稚だなって」
「幼稚か。それはつまり、論文のような文章がいいということか」
たしかに。小学生でも、オレよりマシな文章を書く子はいそうだ。
でもたぶん、そういうことじゃない。
「うーん、なんでしょうね。あのお話の舞台は汚くて、それでも獣の頭の主人公は立ち向かって、綺麗ごとだけじゃなくて。カッコいいんですよ」
「そうだな。中二病の罹患者が好む」
ぶっちぎろうとする先生の珍しいミスで追いつき、お尻に食らいつく。フッと噴き出したが、それでも。
「きっと作者は、不便な自分の生活に重ね合わせたんだろうって。そういうのを書こうとしたんです。でも途中で、違うと気づきました。話のネタは体験から来てるかもしれないけど、そんなの関係ない。私の考えた主人公、カッコいいだろって。単純に作者も中二病なんですよ」
三周め。ファイナルラップで、じりじりと置いていかれる。やはり先生がゴールするころ、オレの視界にはいなかった。
飲みかけのお茶を飲み、「かもな」と。それだけで、負けたのはどうでもよくなった。
「吹っ切れるきっかけがあったと思うんですよ。それがなにか分からないけど、作者の住んだ土地を見たら間違いないって思えた。そういう文章を書きたいのに、小学生の感想文で」
幼稚でなくなるには、使う言葉の一つひとつが問題なのか。それとも文章の構成からか。
なるほどオレが悩んでいたのは、これだ。
さすが腐っても教師。ゲームをしながら的確なアドバイスとは恐れ入る。
そう思ったのに「ふむ」と、また首を傾げる。
「レーサーという職業があるな。これは仮想世界だが、現実にも」
「はあ、そうですね」
指さした画面はデモプレイで、複数のマシンが団子状態で走る。
「彼らは運転がうまいな?」
「そりゃそうでしょ」
「うん。では彼らの中でどの順位にあれば、運転やレースについて語る資格がある?」
なに言ってんだ、と。言いたいことがまるで見えなかった。「うーん?」と唸っていると、テーブルへ置いたノートに先生の小さな手が触れる。
「お前の言い分を突き詰めると、世界にただ一人のチャンピオンしか語れないとなる。そのほうが説得力はあるだろうがな。腕が良かろうがまずかろうが、文章に必要なのは伝えたいことが伝わるかだ」
ああ、そのままでいいじゃないかと励ましているらしい。
だとすると喩えがズレてないか、とは余計な突っ込みなので気づかないふりを。仰る通り、言いたいことは分かる。
「それこそ内容が間違っていても問題ない。間違っているかもと遠慮して、言いたいことも言わんより、よほど」
「ですね。そう思います」
オレも珍しく、素直に頷いた。先生は極論が多く、そうは言ってもと感じることがけっこうある。
だから一応、但し書きを付け加えることにした。
「でも、うまいに越したことはないですよね。まだ時間もあるし、今度はそういう意味で考えてみます」
「それは好きにしろ」
ゴミを片付け、荷物を持って扉を閉じる。鍵を締める間も先生は待ってくれない。
廊下と階段と、過ぎるごとに照明のスイッチをオフにして歩いた。
真っ暗な校舎を一緒に歩く。これもちょっと特別な気がして、先輩や明椿さんともやってみたいなと思った。
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