第67話:梅雨の空

 週明けから、やっぱり図書室へ通うことにした。

 ポニー先輩の件を抜きにしても、記事の書き直しが進まない。それになにより、ばあちゃんと話したから。


「仲良くしてくれる人がさ、困ってて。でもオレが解決できることじゃなくて。そういう時、どうすればいいと思う?」

「そうねえ。ユキちゃんがその人の立場なら、どうかしら」

「うーん、傍にいれば心強い気もするし。迷惑をかけるのがしんどくて、あっち行けって思うかも」


 自分のことと仮定しても、実際そうなってみないと分からない。ましてや先輩みたいな繊細な人が、どう思うかなんて。


「そうよね。困ってる人は迷子だから、どうしてほしいか聞いても分からないわ。そういう時は、ユキちゃんが後悔しないようにするしかないんじゃないかしらね」

「先輩のことなのに、オレが?」


 助けじゃなく、邪魔になるかもしれないのに。自分勝手な気がして、首をひねった。

 ばあちゃんは、食後のお茶を啜る。すっかりぬるいはずだけど、ゆっくりと。じいちゃんの位牌に目を向けながら。


「ええ。昨日ご縁のあった人と今日からは会えないなんて、よくあることよ」


 そうだね、以外の答えがなかった。

 ああしておけばって後悔は、明日も会えるという油断から生まれる。

 たぶん七瀬先生と同じことを言っていて、だからか腹の底に、ドスッと突き刺さる重みがあった。


 部屋に戻り、襖を閉じ、机の上のコマを手に取る。

 もうタク兄には会えない。田村の従兄がそうだとしても、オレが小さいころに好きだったタク兄はいない。


 またあれを繰り返すのか。世界が終わったみたいな気持ちを、もう一度味わいたいのか。

 真珠色のコマが軋んで、オレは決めた。


 同じ手を図書室の扉にかける。今日はひとりだ。先生も明椿さんも部室に来なかった。

 考えてみると、ポニー先輩には図書室しかないのか。ここへ来ることで登校の扱いになるなら、ほかに逃げ場がない。


 ごくりと喉を鳴らし、扉を開ける。しかし先輩のほかは誰もいなかった。いつもより三倍早く弁当を食べたおかげか。


「あれ、見嶋くん。今日も来てくれたの?」


 先輩はいつもと同じにハードカバーの本を広げていた。旅に行ってからこっちの、朗らかな空気はない。


「ええ。早く直さないと」

「うん、そっか——頑張ってるもんね」


 文集の記事用のノートを見せると、先輩は苦笑で頷く。なにか言いかけた言葉が変更されたように見えたけど、気にしない。


 先輩の座るカウンターの正面。目の前のテーブルでなく、一つ遠いほうのテーブルがオレの定位置。

 例のふたりに応じるのは、あくまでも緊急対応。本旨を進めるべくノートを開く。が、落ち着かない。


 どうしても図書室の入り口へ、視線が向いてしまう。来てほしいわけでもないのに、今か今かと。

 その期待にこたえて、いや裏切って? その日は来なかったが。


 次の日も、その次の日も。

 もしかして金曜日にしか来ないのか。と思ったら、木曜日にやってきた。


「あ、またいる。あんたたち、ほんとに付き合ってないの?」

「どうしてそんなに付き合わせたいんですか」


 明椿さんを彼女と言われる点だけは、まんざらでもない。先輩の困り眉を写し取ったみたいな当人を見ると、むしろがっかりする。


「別にどっちでもいいけど。あたしたち根がいい人だから、関係ない人も幸せなほうがいいと思うだけよ」

「それはどうも」


 恥ずかしげもなく、よく言えるな。手の内がなんとなく見えているから、オレの声やきっと顔にもすぐに不愉快が滲み出る。

 こっちが座ったままで舐められてるのか、ニヤニヤと肩に手を置かれた。


「ねえ、七瀬先生は監督に来ないの?」

「さあ。オレたちにばかり構ってもいられないでしょうから」

「そうだよね。七瀬先生、人気あるもんね。誰かひとりに手間かけさせられたんじゃ、たまんないよね」


 お団子頭の声が、不自然に大きくなる。するとショートカットもこれみよがしに頷き、カウンターのほうを横目に見る。


「そうそう。もしそんなのがいたら、学校に来ないでほしいよね」


 くそっ、くそっ!

 黙れと言えたらいいのに。それどころかオレは、たった今の先輩がどんな表情かも見られない。


「あの、なんの話をされてるんですか? 私たち、やることがあって」

「ああ、ごめんね。もう邪魔しないから」


 悔しい気持ちを、食いしばる歯で堰き止めた。代わりに明椿さんが、言うべきことを言ってくれる。

 おかげで環境委員のふたりは帰っていった。脳天気に手をひらひら振りながら。


「……ごめんね」

「ごめんじゃないです。オレ、あの人たちに腹が立つんです。先輩が関係なかったとしても、もうダメです」


 イライラが、先輩の声と表情で萎んでいく。

 そんなに震えて、悲しい顔をしないで。オレのほうこそ、なにも助けてあげられなくてごめんなさい。

 そう言いたいのを飲み込み、必死に怒ったふりをする。ダメ、って語彙力ゼロかと自嘲しつつ。


 降るのか降らないのか、先行きがずっと不安な空みたいだ。あのふたりが図書室でやることも、訪れるペースも。

 また週が変わり、実際の梅雨は本気度を増してきた。窓が割れないか、心配するような日もあった。


 その憂さ晴らしと言われたほうが、まだ理解できる。お団子頭とショートカットの茶髪コンビは週に一、二回、フラッとやって来ては好き勝手に喋って出ていく。

 そんな日々が過ぎ、七月を迎えた。


 七月四日。今月最初のロングホームルーム。津守先生は早々に、壇上をクラス委員に譲った。

 そして黒板に書かれたのは、文化祭の演目について。土原学園ではどのクラスも、漏れなくなにかをしなければならないらしい。

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