第65話:成り行き
時間の使い方が少し変わったのは成り行きだ。オレも含め、そうしようと誰かが言ったりはしない。
平日、昼休憩になると部室へ向かう。そこで弁当を食べる、までは同じ。
顧問が姿を見せるかはまちまちで、来ればそのまま居残った。来なければ図書室へ。
ポニー先輩に会うため、ではある。しかし奥ゆかしいオレが、それだけで入り浸りはしない。
図書室には、文章の参考になる本がたくさんある。きっと誰も知らないと思うが。
明椿さんも一緒にだ。ただし美術部とか、ほかの友だちと過ごすこともあって、毎日ではなかったけど。
ほかの友だち、にクラスメイトは含まれない。明椿さんから積極的に話しかけることがないのは、以前と同じ。
話しかけられる光景も見ないが、これは前がどうだか分からなかった。
「凄いね。よくそんなにアイデアが湧いてくるね」
「浮かんだ景色をメモしているだけのような状態です。これを形にするのはなかなか」
スケッチブックを前に新しい挿し絵の案を練る明椿さんへ、よく先輩は話しかけた。
オレが一人でいるときは、カウンターから出てくるのも稀なのに。明椿さんのいる時は、いつの間にかテーブルのわきへ立っている。
一文字も進まないノートと頭を抱えたオレより、話しかけやすいのはそうだろう。
まさかポニー先輩にまで避けられ始めた? と考えるのはオレのひがみだ。
まあ、どう見ても仲良しのふたりを眺めるのも、推しを愛でる感覚で尊い。テーブルの対面から上目遣いに盗み見る。
視線に気づかれそうで、ノートへ集中するふりを。金曜のその日も、オレはそんな感じだった。
「ねえ」
誰かが誰かを呼んだ。
声には気づいたが、聞き流した。珍しく文章が浮かびそうになり、ノートを睨んで間なしだから。それにどうせ、相手はオレでないはず。
「ねえ、無視しないでよ」
おぼろげに、なにか見えそうだった。しかし肩を叩かれ、ふわぁっと消えた。
あっ。と手を伸ばしかけたが、つかめるものはない。
ポニー先輩が用と言うなら構わない。でも別人と気づいた。
「——なんですか?」
振り返り、ふたりいる女子を見て悩む。覚えはあるが、胸の校章は青い。二年生だ。
誰だったか。
返事をしてから、五月の委員会で見たのを思い出した。環境委員に違いないが、自己紹介の時間がなかったので名前を知らない。
「あんたさ、最近よく来てるよね。そっちの子と付き合ってるの?」
「へ?」
土原学園では許されるレベルの茶髪。ひとりはショートカットで、もうひとり後ろ頭に団子を付けたほうが口を動かした。
そっちの子、と指の向くほうを見る。テーブルの対面に、目を丸くした明椿さん。
ポニー先輩はいない。横目で見ると、カウンターに戻っていた。ハードカバーを直角に立て、隠れていたけれども。
「だから、付き合ってるんでしょ。密会っていうやつじゃないの?」
「えっ、いや。オレはその、まあ」
「どっち? 別に文句言いたいんじゃないよ。そりゃあ共学だったらさ、付き合う子も出てくるよね。おめでとうってだけ」
祝福されても困る。明椿さんが彼女なら嬉しいが、ポニー先輩との未来も考えたい。どちらと選べないでいる現状だ。
って、そうじゃなく。交際の事実はない。
明椿さんは小刻みに、うんうんと首を動かした。あれ、付き合ってるでいいのか?
「オレたちは文芸部で。部活動でいるだけです」
「そうなんだ? 付き合えばいいのに、お似合いだよ」
「ど、どうも」
ニコニコより、ニヤニヤと言ったほうがしっくりくる薄笑い。ほかに返答があったかもだけど、下手なことを言いたくなかった。
話しかけたのはあっちだ。オレに盛り上げる義務も意思もなく、二年生コンビを見上げて黙る。
十何秒か過ぎ、お団子の女子が小さく噴き出す。鼻先に引っかけた、嫌な感じで。
「文芸部ってさ、
七瀬先生の部分を、わざとらしく大きく言う。上級生に絶大な人気のある人を、ナナちゃんでも七瀬せんせーでもなく。
どうしろって言うんだよ。
主旨は分かった。しかし決して、その方向を見ない。ほんの少しでも口実を与えないために。
「部室はありますよ。でもここの本を読みたいんだから、別にいいですよね」
「まあね。いいけど」
言葉に反し、見下ろす目が良くないと言っていた。オレは気づかない風で、いったいなんの用ですかと自分の顔に書き殴る。
するとやがて、二年生コンビは背を向けて去った。
「ほんと面白くない子たちね」
なんて、肩越しに捨て台詞を置いて。
図書室から出ていくまで、ちらちらと見えた視線が明椿さんにも向いていた。
やはり相談したでなく、オレたちはそのまま動かなかった。
三、四分が経って、ようやくコソコソと様子を見に行く。廊下と階段の下を覗いたが、誰もいなかった。
テーブルに戻ると、ポニー先輩が起立している。カウンターの中で。
なにか言ったほうがいいのか? 答えが出ず、先輩を見られない。椅子の背に触れても、座るに座れなかった。
「私と同じクラスの人だよ。ごめんね」
「なんで先輩が謝るんですか」
固く結んだ唇から、ぽそっとこぼれ落ちる声。
バカっぽく笑い飛ばそうとしたら、「へへっ」と小悪党みたいになった。「ありがと」とは言ってもらえたけど。
「先輩。ああいう方たちに一番いいのは、気にしないことだと思います。嫌な気持ちになるのはもちろんですけど、それで私たちに遠慮しないでくださいね」
明椿さんも席を立ち、銀縁メガネの似合う凛とした顔で言った。
ほんとオレってダメだ。つくづく思う。
「そうですよ。あんなのより、先輩と話せなくなるほうがオレにはダメージでかいです」
それでも便乗する自分が、さらに情けない。でも先輩は無理やりにだけど笑ってくれた。
「うん、嬉しい」
この笑顔を守りたい。いやもっと普通に笑ってほしい。
でもそれには、図書室へ来たらいけないんじゃないか?
成り行き任せでは、むしろオレたちが先輩に迷惑をかけてしまう。
気づいた自分が腹立たしい、嫌な選択。この場では選べなくて、少し先送りすることにした。
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