第62話:起死回生の案

 たった今の思いつきを話すのに、オレの口は巧くない。だけどみんな真剣な目で、まばたきも忘れたように聞いてくれた。

 ただ話し終えても、すぐには反応がなかった。縦や横に首が動くでなく、三人ともが黙り込む。

 呑み込むのに時間は必要だ。そう思い、オレも唾を飲む。


「……それは」


 ようやく聞こえたのは、まだ思考途中と注意書きの付いた、慎重な明椿さんの声。


「それは?」

「文集にかける費用を、どれだけ抑えられるか。まずそこから考えないと」

「ああ、そっか。良かった」

「良かった?」


 気づかないうち、息を止めていた。ふうっと大きく吐き出し、少し急ぎめに息継ぎをする。


「いや。みんな黙っちゃったから、不採用かと」

「あっ、ごめんなさい。聞きながら、細かなことまで考え始めてしまって」


 正座の脚に両手を揃え、明椿さんは頭を下げた。

 そんな丁重にされることじゃない。慌ててオレも同じ格好をして、危うくテーブルに頭をぶつけた。


「いてっ」

「だ、大丈夫?」


 額をさすると、明椿さんも手を伸ばした。指先が触れ、「あっ」と漏れたオレの声にビクッと震える。


「だいじょぶだいじょぶ。どうだったかなって思っただけで、謝られることじゃないよ」


 咄嗟に撫でたものの、痛くもなんともない。軽く平手で叩くと、明椿さんも「うん」と頷いた。


「でも、どうだかってことはないよ。理に適ってると思う」

「そうかな」


 照れ笑いが、へへとこぼれる。褒められたせいもあるけど、やっぱりこうだよなと。

 誰だって人のことは聞かなきゃ分からないし、言わなきゃ伝わらない。それが当たり前にしてもらえて、嬉しかった。


「そうだよ。私もね、感心してたの!」


 テーブルの対面から、先輩が身を乗り出した。これはもはや、凶器だ。届くはずもないのに背を反らし、ついでに顔が熱く火照る。


「感心ですか?」

「うん。さっき言ったばかりなのに、本当に私のことまで考えてくれて。凄いなあって」


 首を傾げた先輩の顔が、なにしてるの? と問う。逃げ腰を咳払いでごまかし、「たまたまです」なんて見栄を張った。

 先輩のためなら当たり前、とか言えればいいんだろうけど。


「オレが思いついたのは、文集だけを売ろうとしない、それだけです。あとはアレです、適材適所?」

「思いつくのが凄いんだよ。でも頑張るね」


 ぎゅっと両手を握り、先輩も元通り座る。ああもう、突き抜けすぎだ。

 冷静を保つため、テーブルへ頭突きしたかった。別の意味で頭の心配をされそうで、堪えたが。


「おい、お前ら。そいつを甘やかすのに気が済んだら、話を進めようじゃないか」

「いいじゃないですか、甘やかすくらい」


 配慮のの字もない低音に異を唱えながら、実はほっとした。

 蔑んでくれとも言わないが、悲しむ先輩とかそういうものがないと、オレは真面目に考えられないらしい。


「じゃあ話を戻して、二百部を印刷業者さんに頼むと三万円くらい。どうにか交渉しても、単価は百円を切らないと思います」


 明椿さんの甘い声が、ストンと空気を切り分ける。そこにスイカを置いていたら、さぞ瑞々しい断面になったと思う。


「もしかしたら文集だけで買ってもらえるかもしれないし、ワンコインに収めたいね」


 なぜか、先輩がオレを拝む。

 ああ、オレの案からさっそく外れた意見だから? そんなの、どうだっていい。いくらでも踏みつけてくれていい。


「百円未満ですね。たしかにと思いますが、どうしたらいいか……」


 だらしなく愛想を振りまくオレと違い、明椿さんはきりきり進めようとする。

 でも「うーん」と呻き、声が止まった。


「それなんだけど、手作りじゃダメかな。ページを山積みにして並べてさ、ひとり一枚ずつ順番に取っていくんだよ。卒業文集でやったんだけど」

「あ、うん。私もやったことある」

「私も私も」


 例によって明椿さんの手が、顔の真横へ上がる。それに倣ったのか、先輩もオレに向けて腕を突き出した。


「学校の印刷機を貸りて、写真だけはコンビニでプリントして。できないかな」


 議長に言ったのだけど、答えがなかった。代わりに視線の向くほうを辿れば、スマホを操る先輩がいる。


「あのね、その方法ならホチキスか紐で綴じるみたい。製本テープも色んな種類があって、でも何百円かで買えるよ」


 どんなことも、誰かがやっているものだ。見せられたスマホには、手作り製本に必要な物が表になっていた。

 先輩はすぐにそれをノートへ写し、明椿さんに渡す。すると数秒の時間を置いて、答えが弾き出された。


「多め多めに見積って、仮に五千円かかったとして。二百部の単価は二十五円ですね。もちろん試作して、出来栄えの評価は必要ですが」

「うんうん。これなら見嶋くんの言う通りにできるよ!」


 先輩と明椿さんが頷き合い、揃った視線がオレに向く。

 なぜだろう、笑いが込み上げてくる。

 楽しいけど、笑う場面じゃないはずなのに。どうしても声を上げて笑いたかった。


「ふっ——ふふっ。あはははっ!」

「どうしたの?」

「あれ、私なにかやっちゃった?」


 不思議そうに目を細める明椿さん。慌ててノートを手繰り寄せ、ミスを探す先輩。

 説明したくても、横隔膜が揺れて声にならない。うへへへと自分でも気色の悪い笑声が漏れる。


「おいこら、気持ち悪いだろうが」

「ふっ、ふみまっ——」


 恐れ多い怒気に当てられても、しばらく止まらなかった。

 冷たい目がひと組。生温かい目がふた組。寒暖の差があるような、ないような。淹れなおしてもらった熱いお茶でようやく治まる。


「すみません。なんていうか、ほら。部活って感じがしませんか?」


 自分としては、これ以上の説明が思いつかなかったし、要らないと思った。

 しかし七瀬先生は「はあ?」と眉をヒクヒクさせ、残るふたりも生温かいまま。


「おい部長。わけの分からんことを言ってないで、総括しろ。決まったんだろ」

「ですね」


 頭を掻き、気まずいふりでやり過ごす。オレの気分は最高潮に近かった。


「文芸部の作戦はこうです。まず演目は飲食店。食べ物を出す店なら、少なくとも七、八パーセントの利用率が出る。それならなにを注文しても、文集とセットにしてしまえばいい」


 なにせ津守先生が、嫌がらせの根拠にした数字だ。オレたちがよほど下手を打たなければ、その通りになるはず。


「メニューは、オレたちが旅で見つけた食べ物。たとえばオレなら、クリームパン。これならいかにも文芸部っぽくて、文集が付いてても自然です」


 先輩は洋風でも和風でも、お菓子だろうとなんでも来いの料理上手。表舞台に立てないなら、そちらをやってもらえれば助かる。

 むしろ負担のかかりすぎな気もするけど、当人は今も力強く頷き続けた。


「明椿さんの言う通り、まず文集の試作。それに具体的なメニューを決めて、作れるようにならないといけませんが。きっとこれでいけるはずです」


 オレの言葉に従って、先輩がペンを走らせる。明椿さんは咀嚼するように首を動かし、目で「そうね」と訴えた。


「分かった。私は偉そうなことを言える立場でないし、否も応もない。進むも退くも、お前たちの満足いくようにしろ」


 それはいいな、なんて太鼓判をもらえたら良かった。

 だけどいつものちょっと不機嫌な顔で、腕組みの七瀬先生の言葉。間が空くに連れ、自信めいた気持ちが湧いてくる。


「そういえば店と言うなら、店名が必要だな。候補はあるのか」

「考えてませんでしたね。ええと、文学カフェとか?」


 ポニー先輩が最初に割り付けを見せてくれたのと同じだ。これで決まったと思っても、まだまだ抜けがある。

 けれども文学カフェって、そのまんまだけど知的でいいじゃないか。反射的に答えたにしては。


「爺くさい。却下」

「えぇー」


 おっさんくさい先生に言われても。しかし今は気分がいい。文句はひと言だけで、すぐに次の候補を考え始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る