第58話:重厚な空間
それから毎日、明椿さんも部室へ通った。ただし昼休憩だけで、放課後は帰ってしまう。
放課後は、もう恒例という感覚の格闘ゲームだ。一週間が終わっても、一本めがとれない。
それはともかく、昼休憩。弁当を食べる時間を除くと、二十分くらいが残るだろうか。真面目な明椿さんはノートを取り出し、文集の記事作りに費やした。
もちろんオレも同じ作業にかかった。難点を言えばとりかかっただけで、一向に進まない。
いや、旅で見聞きしたことを箇条書きにはしてみた。それを一つの文章にと考えた時、はて? と思考が止まった。
先輩と明椿さんは現実と地続きの話を選んだから、やりやすいように思う。物語の中と実際の様子を比べて書くだけでも、最低限の内容になる。
オレの場合、限界集落出身の作者が、国を敵に回した主人公を描いたって。それをどう膨らませばいいんだか。
考えてみると国語の、この時作者の言いたかったことは? みたいな問題が苦手だった。
だから、と直に繋げてはおかしいけれども、ポニー先輩のことが頭から離れない。
明椿さんとふたり。そこに顧問が加わって三人のことも。この上なく楽しい時間だが、苦しくも思う。
たった三人の部員のうち、ひとりをとか。第一に七瀬先生を慕う人をとか。先輩を差し置いて、という気持ちが湧いて仕方がない。
もちろん「去年のことなんて気にしなくて大丈夫」などと、無責任な発言もナシだ。
ずっとそんなことを考えて、今週という時間を見過ごしたと言うのが的確な気がする。
「ばあちゃん、出かけてくる」
玄関から奥に声を投げたのは、土曜日のことだ。水、木、金は晴れたのに、またゆうべからしとしと雨。
「お友だちと? 気をつけてね」
「友だちとっていうか、家にね。部活の打ち合わせで」
「あらまあ、それは大変ね。ちょっと待ってて」
体調のいいらしいばあちゃんは自分の部屋から出てきて、台所へUターンする。
首をひねりつつ待っていると、すぐに戻った。手に銀色の、せんべいの缶を持って。
「お呼ばれするなら、なにか持っていかないと。どこのおうち?」
「クラスメイトだから、そんな気を遣わなくていいと思うけど——明椿さんて人だよ」
いらないと思ったが、ばあちゃんの勧めを断るまででもない。風呂敷に包んでもくれたし、ありがたく受け取った。
ただ、ばあちゃんがそれではすまなかった。「まあまあ!」と、珍しく声を大きくする。
「明椿道場さんに行くの? 昔からの名士さんよ、気をつけてね」
さっきとは違った響きの気をつけて、が具体的にどういう意味か。
なんとなくは分かるけど、まあどうにかなるさ。そもそも礼儀作法にはうるさそうだと覚悟もしている。
「うん、気をつける」
目を丸くしたばあちゃんに手を振り、玄関を出ようとした。しかしふと気になって、また振り返る。
「ねえばあちゃん。恵美須って家も名士だったりする?」
礼儀正しい明椿さんが、むつみちゃんと呼ぶ茶髪女子。古い家同士の幼なじみ、みたいな関係かなと思いついた。
「恵美須さんはほら、川下の病院よ。あそこは戦後の
「川下……ああ、そういえば病院があったような」
どこの川と思えば、明椿道場の目の前の川だ。あれを下り、土原学園よりもずうっと海へ向かえば病院がある。
子どもには用のない地区で、まったく意識になかったけれど。言われると恵美須病院という名前だったかもしれない。
でも明椿道場とは、かなり離れている。少なくとも小学生が自転車で行き来するような位置になかった。
まあ自宅は別にあるのかも。ばあちゃんもそこまでは知らないだろうし、今度こそ行ってくるねと家を出た。
そういえば明椿さんに、道場の場所を聞かなかったけど大丈夫か? なんでこいつ知ってるの、みたいに思われたらつらい。
言いわけを考えながらバスに揺られ、結論の出ないまま到着した。
門を跨ぎ、敷地内へ。まず迎えるのは太い松で、そこから竹垣が道を二つに分ける。
一方は左右から伸びた松の枝が屋根を形作る、およそまっすぐな道。行く先に見える建物は、神社めいた厳かさを感じた。
もう一方はすぐそこで道が折れ、見通せない。しかし低い位置に洋風の花も植えられ、ちょっとくだけた感じがする。
勝手に入っていいと言われたのは、こっちだ。十数歩で、どうやら玄関の前に立った。ばあちゃんの家に似た雰囲気だが、使われる木材の太さが桁違いだった。
「はーい」
チャイムの音まで低く渋い。すぐに返ったのは、朗らかな声。
明椿さんも自分の家では陽気なのかと思った。が、姿を見せたのは二十代か、三十歳になっているかもという女性。
お兄さんがいるのは聞いたけど。かっぽう着を見ると、もっと歳上なのか。
まさかこれが明椿さんのお母さんか。全然似ていないけれど、笑顔から元気そうな人だ。この人に遊びに誘われたら、断る自信がない。
「あっ、あのっ。お、オレ、いや僕は」
「はい承っておりますよ。倫子お嬢さんのお友だちですね」
「はい! って、お嬢さん?」
戸惑う間に、もう家の中を案内されていた。女性は自分のことを、よく指名される家政婦と。
なるほどつまり、交際も可能なわけだ。密かに胸の内へメモをとる。
「こちらのお部屋です」
「明椿さんの部屋ですか?」
「いえ、応接間のような」
ずらっと並んだ襖が、一つの部屋の大きささえ分かりにくくしていた。なにを目印にしているのか、迷う様子もなく案内されたけれども。
家政婦さんが襖越しに「見嶋さまがお見えです」と声をかけ、明椿さんの「ありがとうございます」が返った。
「では私はここで」
「あっ、どうも」
オレなんかに九十度のおじぎをし、家政婦さんは廊下の奥へ消えた。去り際、襖を五センチくらい開けて。
正直、物々しさに帰りたい気分もあった。しかしそうもいかず、深呼吸をして襖を開く。
広い正方形の部屋。対面に障子戸、左右はまた襖。床はもちろん畳敷きで、真ん中に低いテーブルのほかは家具がない。
詰めて座れば十人でも使えそうなテーブルは、真っ黒で重そうだ。そこには既に先輩と明椿さんと、七瀬先生が座っている。
オレはどこに座ればいいだろう。
悩んだのは誰の隣を選ぶかもだけれど、もう一つ。三人が三人、入室したオレをすぐには見てくれなかったからだ。
なにかあった。きっと間違いのない予感に、またオレは帰りたくなる。
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