第56話:気持ちの割り付け
月曜日の朝。週末にしつこく降り続いたんだから、さぞ晴れ渡るに違いない。そう思っていた雨が、むしろ強まった。
小雨続きだったのが普通に降り始めたという感じだけど、普通に鬱陶しい。
それでも校門を入る時、いつもより気持ちが涼しく思えたのはなぜだろう。
足に繋いだ鉄球は重かったけど、昼休憩の時間を楽しみと思うだけの余地が心にあった。
まあそれも一年A組に入る直前までだったが。
予鈴の後もなお、ざわめく教室。後ろの壁ぎわを、ナメクジの気概で伝う。
一瞬の視線。なんだこいつか、という落胆。オレを萎ませる、いつもの塩み。
いや違う——?
視線の向くのが、一瞬でなかった。巧みにオレの視界の外から、何度も襲ってくる。
そこに宿るのも落胆でなく、責める空気。トイレ前で女子を泣かせたような、やらかした時の。
なにをした? 行動履歴を検索しても、引っかかる項目はほとんどない。
唯一は田村の件。勝手に難癖をつけてきただけだが、オレを悪者にする言いかたもあるはず。
振り返るとやはり、腕組みの田村と俵がこちらを見ていた。見下す視線で。
しかし、つっかかっても得がない。そうする気力も足らない。
最善は自分の席で、バリアを張り続けることだ。ぐんと重くなった足かせを引きずり、窓側の席を目指す。
が、そのすぐ手前で立ち止まった。
「見嶋くん、おはようございます」
オレの席の隣。とっくに着席して、文庫本を読んでいた女子が立ち上がる。二つに束ねた後ろ髪を垂れさせ、深々と頭を下げた。
「お、おは、おはよ。明椿さん、普通にでいいよ」
「あれ、普通じゃなかった?」
普通に接する。と宣言されたのを、数秒前まで意識していなかった。ただ思い出しても、クラスメイトへの挨拶っぽくはない。
創作の中か噂でしか聞いたことのない「おかえりなさいませご主人さま」かと思った。
「いやまあ、そんなこともないけど……あははっ」
どっちだよと言われても、ほかに答えようがない。真面目に首を傾げる女子へ正論を投げられるほど、オレの口は達者でないから。
干からびた笑いで強引にごまかし、やっと席に着く。親切な明椿さんは、つっこまないでいてくれた。
津守先生が来るまで、あと二、三分。
責めてやろう、バカにしよう。みたいにオレにだけ向いていた風が変わったのは、気のせいか?
今、台風の目へ入ったように感じた。オレと明椿さんを中心に、探る空気が渦に巻く。
クラス全体の流れから外れれば、すぐ同じ扱いだと想像していたのに。直ちに明椿さんへは照準が合わないようだ。
害が及ばないなら、越したことはないけれど。
それから一時間目が終わっても、二時間目が終わっても、小休憩は平穏に過ぎていった。
もともと明椿さんはずっと本を読んでいるタイプだから、というのもあるが。
迎えた四時間目の終了。昼休憩になると、オレはすぐに弁当の包みを取り出した。
様子を窺った目が明椿さんとぶつかり、おおよそ部室のほうに指を向けてみる。すると小さく笑って頷かれた。
まだノートの整理をしているようだったので、鍵を回すジェスチャーをしてみせた。やはり頷き、「すぐ行くから」と。
ちょっと上げた手で返事を済ませ、オレは先に教室を出た。
いつも通り職員室に、七瀬先生の姿はなかった。津守先生はというと、来客用のテーブルでカップラーメンを啜っている。
別になにも悪くないんだが、イライラ直前のモヤモヤが腹に湧く。
考えても仕方がない。これからの時間を楽しむほうが建設的だ。
部室の前に図書室へ行ってみると、ポニー先輩が弁当を食べていた。
「あれっ、見嶋くん早いね。私まだ食べ終わってなくて」
「いえオレも今からです。ちょっと様子見に」
「ええ? なにそれ」
咀嚼する口もとを恥ずかしそうに隠した先輩は、もう一方の手で弁当箱も覆う。
あの小さな手で見えなくなるような量、よく足りるな。と口に出すのは、たぶんデリカシーがない。
「ごめんね、私が図書室で食べていいのは特別で」
「いえいえ分かってます」
説得力に欠ける風呂敷包みを提げ、一旦は退散だ。マイナスに傾いた気持ちをプラスに向ける作戦は、十分に効果を出した。
部室の鍵はかかっていた。
職員室で鍵を借りてきても、中に七瀬先生のいることがある。たぶんマスターキーとかを持っているんだろう。
先生が鍵を借りていることもあって、使い分けの意図は不明だ。
やはり無人の部室で弁当を広げ、ソファーの席は明椿さんに譲る。
しかし十分待っても来なかった。ポニー先輩と話す時間がなくなってしまう。
先に食べても結局は待つことになるし、どうしたものか。迷っていると、ようやく明椿さんがやってきた。
「遅れてごめんなさい」
小さな唇から吐く息が乱れている。あからさまにゼエゼエというほどでないけど、水源地への山登りでも平気な顔をしていた人が。
「いや大丈夫。なにかあった?」
「ううん、なにも」
顔じゅう使って笑うのが、どうも不自然に感じる。
まさか。いややっぱり、オレのことでなにか言われたか。だとしたら心苦しくて、本当に? と問い直すのもためらう。
「そんな顔しないで、本当になにもないから」
「——本当に?」
「うん、嘘なんて吐かない」
どんな顔をしていたやら。こんな風に言われると、さらにもう一度、も聞けない。聞いたとして、きっと同じ答えだし。
なにかあったなら、様子を見ていれば分かるか? 自信はないが、とりあえず選択できる案がほかになさそうだ。
「分かった。でもなにかあったら言ってよ、心配だから」
「うん、ありがとう」
忘れたことにして、弁当を食べる。話題も変え、先輩となにを相談したのか聞きつつ。
「
「へえ、凄いね。オレなんか、それぞれ書いたのをくっつければいいくらいに思ってた」
感心して見せたものの、どんなものかイメージがつかなかった。
どうであれ先輩がなにかやってくれたなら、早く見たい。オレの弁当は急ぎぎみになくなっていく。
明椿さんの弁当もだ、たぶん遅れたのを気に病んで。
まったり落ち着いて食べるのがいつもなのに、今日は食べ終わるまで五分しかかからなかった。
悪意はないのに、疑うのが苦しい。これはもうモヤモヤとかじゃなく、本当に喉が詰まったみたいだ。
他人に罪をなすりつけて、他人のせいにして。スッキリしたような顔をしているなんて、まったく理解の外と思い知る。
そそくさとテーブルを片付け、早足で図書室へ向かった。今のオレを気分良くさせるのは、ポニー先輩しかいない。
「先輩、もうなにか作業してくれたんですか」
いきなり用件を言ったのは、お待たせしましたを言わないため。こうすれば明椿さんも言うタイミングがない。
「えっ、もう聞いちゃったの?」
「あ、ええと、すみません」
「ううん、すまなくないよ。じゃーんって見せたら、驚いてくれるかなって期待してただけ」
真顔で目を見張る先輩。わざとらしく口を尖らせる先輩。
じゅわっと音を立てたように思うほど、柔らかく心が溶けていく。
「じゃーん」
「結局言うんですね」
「うん、どうかな」
カウンター上の封筒から、先輩は白い冊子を取り出す。
A4のコピー用紙を半分に折って作られ、土原学園文芸部文集とタイトルも印刷されていた。
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