第54話:いつもの週末

 どうして突然、あんなことを話したんだろう。あらためて思ったのは、ばあちゃんの家に帰ってから。

 いや分かる。廃部を免れて嬉しくないのかと聞いたからだ。


 ただそれには、津守先生のことまで話す必要があったか?

 普通の大人は、ごまかす部分の気がした。担任のマイナスイメージを聞いて、ますます居心地を悪くしたらどうする。

 まあ手遅れだが。


 そんなことを、翌日の土曜日も考えていた。

 朝ごはんよ、と起こされ。お昼よ、と焼きそばを食べ終わっても。ゆうべの残りの煮物をやっつける、ばあちゃんを眺めながら。


「見嶋さぁん?」


 食べ終わったのを見計らったように、庭から声が聞こえた。「はいはい」と、ばあちゃんは縁側へ向かう。

 玄関があれば、そこへチャイムも備わっているのに。ここのところの距離感が、よく分からない。


 それで世間が回っているのだから、文句を言うつもりもなかった。ばあちゃんの分も食器を洗い、自分の部屋へ戻ろうとした。


「ユキちゃん、ちょっといい?」

「なに?」


 呼ばれて行くと、ばあちゃんは縁側の座布団に正座していた。縁のふちに腰かけるのは、隣に住むおばさんだ。親戚の伯母さんでなく、反対隣の。


 いつからか知らないが、週に一度はばあちゃんの様子を見に来てくれる。

 老人会や婦人会の連絡だからと言うけれど、親切な人ではあった。くるくるパーマが綺麗に真っ白で、オカンって感じと上品な感じとが共存する人だ。


「これ、くださるって」

「え。ああ、ありがとうございます。いつもすみません」


 渡されたのは、栗饅頭が二つ。なにかの会合があって、ばあちゃんの分を持ち帰っただけだろう。

 わざわざガソリンを使って来てくれたんだから、もちろんお礼を言った。


「いいのよ。もっといい物あげられたらいいんだけど、ごめんね」

「いえ、そんな。はは」


 歳上の自虐ネタは、扱いに困る。愛想笑いのほかに選択肢が思いつかない。


「行雄ちゃん、学校はどう?」

「ええと。どうにかやってます」

「そう。最近の子は勉強が難しそうで大変よね」


 満面の笑み。面白いことなんて欠片もないわけだが、本心から笑っているのか?

 それとも対話の技術なのか。だとしたら、どこぞの先生は教えを乞うたほうがいい。


「そうなのよ、私も心配してたんだけど。クラブ活動で泊りがけなんて行って、楽しそうで良かったわ」


 ばあちゃんも笑った。いつもの憂鬱そうな空気が、その数秒だけは見えなかった。

 オレのことで? と不思議に思うものの、嬉しくもある。


「へえ、いいわねえ。どこへ?」

「大したことは。延景園とか芦野川とか」

「ああ、延景園。本当にいいわね、あたしも行きたい」

「ツツジが綺麗でした」

「まあ男の子なのに、情緒がいいわ」


 微笑んで、褒められたのは分かる。でも花についての発言を取り沙汰されると恥ずかしい。

 ばあちゃんも「そうなのよ」なんて、また嬉しそうにオレの話を始めた。


 納屋の整理をしたとか、電球を換えたとか。大したことのない実績を、しかも前にも話したはず。

 それでもおばさんは「偉いわ」と。オレの羞恥心ゲージを高めさせた。


「あ、あの。ばあちゃん、宿題やってきていい?」

「あ、ごめんね。どうぞ」


 宿題があるのは本当だ。明日でいいやと思っていたが。ばあちゃんが疑うはずもなく、こっくりと頷いた。


「頑張ってね。見嶋さんが出られるようなら、散歩にでも連れていってあげてね」

「は、はあ。分かりました」


 最終的に会合へ出席させろと、いつもの頼み。引き篭もっているのは良くないと、おばさんの親切心なのは分かる。

 でもそれは、ばあちゃんの気持ちの問題だ。なのに、連れ出せなかったらオレのせいと言われたようにも感じてしまう。


 もう少し逃げるのが遅れれば、きっと伯母さんの悪口も始まった。隣へ住んでいるのに、なかなか顔を見ないとか。

 どれもこれも優しさなんだろうけど、オレに言われても。


 部屋に逃げ込んだが、これといってやることもない。出かけるわけにもいかず、言いわけを実行することになった。

 宿題のプリントは数学の穴埋め。

 五十問も出しやがって。計算スペースがないんだよハゲ、などと出題者への恨みが積もる。


 終わったのは午後四時過ぎ。ふうっと息を吐き、縁側のほうへ意識を向ける。当たり前だが、おばさんの気配はない。

 代わりにばあちゃんの部屋から、再放送の時代劇の声が聞こえた。五時までは、お茶を飲んでゆっくりする時間だ。


 スケジュールを組み込まれたロボットみたいに、決まった時間に決まったことを繰り返す。

 歳の差や性別、世代差を引いても楽しいとは思えない。

 それはそうだ。ばあちゃんのやることはほとんどが家事で、やらなきゃ生活が成り立たないことばかり。


「草むしりでも――」


 ふと、さっきの会話を思い出した。オレを心配してたって、単に会話の流れで言ったのかもしれないが。

 畳に転がりたいのを我慢して、縁側から庭に下りる。ばあちゃんの小さなつっかけを無理やり履いて、午前中に干された洗濯物を見上げながらしゃがむ。


 空は明るいけど、曇っていた。風が薄っすら冷たくて気持ちいい。草むしりにめどがついたら、洗濯物も取り込もう。

 珍しく、あれもこれもやろうって気になる。三日坊主のオレだから、間違いなく今だけの気もちだけど。

 なにもしないよりは、きっといい。


「あらユキちゃん、草抜きなんてしてくれてるの」


 七瀬先生のこと。ばあちゃんのこと。頭の中を、ぐるぐるぐるぐる。

 ずっと回っていたけど、それだけだ。具体的なことはなにも浮かばない。オレがなにかするべきなのか、もあやふやだが。


 声をかけられ、「暇だったし」と。見上げれば、始めた時より空が暗い。

 ばあちゃんが洗濯物を取り込むのに、泥だらけの手では手伝えなかった。


 夜。外がすっかり暗くなってから、雨音が聞こえ始めた。

 とは言えなにが変わるでもない。天井の奥がギュウッと軋むのも、もはやいつ鳴るか期待して待つ。

 耳を澄ましていると、けたたましく電話の音が鳴った。


「わっ!」


 ばあちゃんはもう自分の部屋にいる。「オレが出るから」と声をかけ、玄関に向かう。

 薄暗い廊下。玄関の扉から聞こえる、雨水の滴る音。なんだか寂しげで、電話にも嫌な予感が走る。


「もしもし見嶋です」


 力を篭めて受話器を取り、田村じゃありませんようにと祈った。

 でももしそうなら、どうしよう。なんと言って電話を切るか、語句の検索が脳内で始まった。


「もしもし、弥富です。ええと、見嶋くん?」

「はいっ!」


 瞬間、花の香りがしたように感じた。水の音は、山奥を流れる清いせせらぎに。薄暗さも、生い茂る木立に思う。


「あのね、今いいかな。今日、明椿さんと話したんだけど。文集のこと」

「大丈夫ですけど。明椿さんと会ってたんですか?」


 それならオレも呼んでくれよ。と思うのは我がままだろうか。女同士で遊んでいたのでなく、文集のことならなおさら。


「ううん。電話で」

「あー、なるほど」


 オレは持ってないですもんね、かけられませんよね、と言うのは踏み留まる。耳もとで先輩の声がするだけでも幸福なのに、会話を終わらせるようなことをわざわざ言わない。


「でね。月曜日のお昼に、図書室へ来てもらえるかな」

「はいっ、行きます!」

「あはは、元気だね。予定があったら無理しないで」

「大丈夫です!」


 先輩が笑ってくれた。愛想笑いでも、本当に元気が湧いてくる。我ながら鬱陶しいテンションだなとか思いながら、声が弾むのを抑えられない。


「じゃあ、よろしくお願いします」


 あっさり切れた。逆バンジーで高く跳ね上がったのが、今から落ちる気分だ。

 もちろん先輩のせいではなく、オレがアホなだけで。


 月曜日か、明日はなにしよう。

 強くない雨音を、どうにか先輩に結びつけようとした。すると目の前が芦野川の水源地に思えて、慌てて妄想を打ち消した。

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