第53話:文芸部の部室

 さっそく放課後からフルメンバーでの部活動、とはならなかった。

 ポニー先輩は社会科資料室に来れないし、明椿さんも週末は道場関連で忙しいと。


「テレビ、繋がりましたよ」

「ああ」


 連休前と同じ、七瀬先生とのふたりきり。

 ソファーに寝転ぶ顧問と、その正面にテレビを据え付ける部長。括弧書きでそれぞれに、教師と生徒の身分が入る。

 たぶんどこの学校を探しても、あまり見ない光景だ。


 明椿さんが来るようになっても、先生は同じ感じだろうか。ふとそんなことを考えたけれど、当たり前かと笑う。

 きっと先生は、天地開闢てんちかいびゃくからこうだ。それを誰かが変えようなんて、きっとこれからもない。


「なんだ」

「はい?」

「切れ端を見て笑っただろ、気持ち悪い」


 必要なコード類も用意されていて良かった。チャンネル設定とかはほぼ自動だから、器用度は関係なかった。

 あとは要らないビニール袋や、箱を閉じていたテープなんかを集めて捨てるだけ。

 笑った時、なにを持ってるかなんて気にしていなかったけど。


「ちょっと思い出し笑いです」

「スケベだな」

「違いますよ」


 ごろっと、仰向けだったのがこちらを向いた。見ているのはオレか、テレビか、窓の外か分からない。

 ずっと晴れ続きだったのに、空が翳っていた。これから崩れるんだろうか。


「やっと、部室になったと思って」

「んん?」


 先生の眉間に疑問のシワが寄る。寝転んだまま辺りを見回し、なにが変わったのかと問いかけた。

 そうだ。大画面のテレビとDVDデッキがセットになったからと、文芸部らしくはならない。


 左右の壁に一面の、社会科に使う資料と棚。たぶん大地図を広げるための、古びたテーブル。

 収まりきらない資料を詰めた箱と、同じように偽装した先生の財産おかし。とりあえずテーブルに積んだ、少ない蔵書。


 景色は変わらない。少しずつ違ってはいるけれど、ここを部室と抵抗なく呼ばせるには及ばなかった。

 でも今は、ここが文芸部と言える。誰に、でもなく。オレ自身に対して。


「いや、なんていうか。高校の部活っぽいなと思って。日常系って、見たことないですか?」

「よく分からんが、喜ぶくらい好きにしろ」


 聞いてきたのは先生なのに、興味をなくしたらしい。起き上がりつつ「ふわあ」と大きく口を開け、ついでにお茶を流し込む。

 ブラウスの胸もとから手をつっこみ、あちこちをぼりぼり掻いた。

 らしい・・・なあと微笑ましく見ている自分に気づき、そっと視線を外す。


「部員が揃ったんですよ。それに文集だって、できたようなもんです。廃部を免れたのに、嬉しくないんですか?」

「そういうでかい口は、その通りになってから叩け。文集だのは、あれで意外とややこしい」


 ゴミをまとめ、部屋の隅へ。先生の言葉に「まあ」と照れ隠しに笑う。文集をどう作るかは、たしかにまったく手をつけていない。


「存続を喜ぶか否か。以前に答えたはずだ、文芸部そのものに執着はない。部員がやりたいと言ったことに世話を焼く、私の存在意義はそこに尽きる」


 聞いた。廃部の危機を救うために入部するなら、くだらない。由緒もなにもない文芸部を残すことそのものには、意味がないと。

 だからオレも、七瀬先生に関われる場所だからと答えた。


「いやまあ、聞きましたけど……」


 意識のどこかにはあった。でも今は忘れていたと言っていい。

 がっかりのような、寂しいのような。それ以前に、自分のうかつさを恥ずかしいと思う。

 誕生日席の椅子に座り、肩を窄めているしかなかった。


 おもむろに、先生はリモコンを取った。テレビの電源を入れ、チャンネルを一つずつ変える。

 どこの局も真面目くさったニュースキャスターが、同じ話題を伝えていた。


「喜ぶというか、私の利益と言うなら」

「え?」


 頭を掻く先生は、ひどく渋い顔をした。聞き返したのには構わずソファーを立ち、ダンボールで偽装した宝の隠し場所へ向かう。


「この部屋に公然と入り浸る理由ができた」


 いつも、なにをしていても、先生は堂々としている。だが最初に出会った時だけは、忘れろと口止めされた。


「昼寝は秘密でしたよね」


 と言っても、今は睨むだけだ。重ねたダンボールの中から、大島みかんの箱を抜き取って。

 半ば放るように、テーブルの上へ。顎をくいっとやったのは、開けろという合図のようだ。


 中身はジョイステスリーだった。最新型からは二世代前の、家庭用ゲーム機。オレが実家に置いてきたのさえ、フォーなのに。


「暇を潰す方法にも困らなくなった」

「繋げるんですね」


 頷き、先生はソファーへ戻る。テレビをゲーム用の画面に変え、腕組みで待ちの姿勢に入った。

 もちろん構わない。コードを二本挿すだけの、簡単なお仕事だ。


「それくらいだ。だからお前たちが部活動をどうするか、私には指図する理由がない」

「これは部活動ですか?」


 ゲーム機のほかに、ソフトもあった。対戦格闘に、レース。野球のゲームも。

 両手に並べて持つと、先生は格闘ゲームを選んだ。オレの生まれる前から続く、名作シリーズ。


「さあな、やらないなら持って帰れ。欲しいなら、くれてやろうと思って持ってきた。これはな」

「いえ、ここでやります。物置きにあったんですか?」


 先生の隣に座り、電源を入れる。雑誌なんかで見慣れたキャラクターが、画面に現れた。

 オレが自分で買うのはロールプレイングかシミュレーションゲームで、対戦ゲームはあまりやったことがない。


「いや、本宅の私の部屋だ」


 言って、先生は主人公キャラクターを選ぶ。白い空手着の、いかにも格闘家って雰囲気の。

 オレは青い中華服を着た、女子キャラクター。ゲームセンターで使ったことがあるのは、この子だけだ。


 一戦目は、お互いに操作の確認をした。と言っても先生は必殺技の出し方を思い出すだけで、オレはパンチやキックの使い方からだが。

 すぐに二戦目。二本取られるのに、三十秒もかからなかった。どうやら先生の辞書に、手加減という文字はない。予想通りだ。


「私の部活なら、面白いかもと言ったな。実際の目的など、なにもないのに」

「ええと、うわっ」


 話題が変わった? ああ、入部の時か。とどうにか理解するものの、答える暇がない。

 三戦目。先生は空中で必殺技を放ち、接近の軌道をずらした。狙いすまして飛びかかったオレのほうが、サンドバッグになる。


「しかし私を面白く思わない者もいる」

「えっ?」


 違うキャラクターにしたほうがいいかなとか考えていて、聞き流しそうになった。しかし耳に残った言葉の意味は、ひたすら重い。


「四戦目だ」

「は、はい」


 まだ試合開始のかけ声は、かかっていない。それなのに鋭い目が、食い入るように画面を見つめた。三本勝負の一本目をわざと落としたって、負けようのない先生が。


「定例会議に出なくていい、持ち回りの当番や部活顧問もしなくていい。などと猫可愛がりされる新人だ、気持ちは分かる。ましてや男だてらに三十年も女子校に勤め、学年主任になった人間からするとな」

「それって」


 男の先生は複数いる。だけど三十年もとなると、ひとりだけだ。一年A組の担任、津守先生。

 向けようと思わなくても、勝手に首が先生のほうへ動く。と同時、ゲームの音声が「ファイト!」と叫んだ。


「前を見ろ」


 こっちを見るなってことらしい。これはひとり言で、誰も聞いていないはずと。

 オレは奥歯を噛みしめ、中華服を踊らせる。


「しかもその新人はだ、男教師の辞めさせようとした生徒を留まらせた。愉快なはずがない」


 ポニー先輩のことですね、と問いたい。だがきっと、それはルール違反になる。

 ますます動きの鈍った中華女子を、ひたすら逃げさせた。


「こうしたい、と言う者の希望を叶えてやりたくなる。それで私に不利益が生じても。金持ちの道楽と言われれば返す言葉もないが、私の悪癖だ。昔からのな」


 必殺技の操作をしているはずなのに、発動しない。コントローラーが壊れているわけでなく、操作が甘いからだ。

 先生の文芸部への気持ちも、なんとなく分かった。しかしなんとなくで、聞いてどうするかも思いつかない。

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