第三幕:ぼっちの意識改革

第49話:充実の反対は空虚

 五月六日。

 探訪が終わった翌日なのに、至って普通に学校がある。三日間をめいっぱい使うと決めたのはオレで、分かっていたけれど。

 振り返る時間。余韻に浸る猶予くらい、あっていいだろ。


 でも苦情を聞いてくれる当てはなく、黙々と通学の準備をするだけ。

 内緒の気持ちを打ち明けた明椿さんも、内緒で文芸部に入ってくれた先輩も。旅に出ていようがいまいが、今日という日のあり方に大きな違いはないはず。


 それでも強いて挙げるなら、机の上に白いコマがある。

 なぜ今になってと問われたら、うまく答えるのは難しい。先輩と明椿さんのことを聞いたからだけど。で、どうするかは思いついていなかった。


 実家から持ってきたバッグに押し込んだまま、後ろめたい気持ちで思い出すのと。

 いつも目に入るところで、自分に発破をかけるのと。

 きっとオレは後者を望んでいる。という気持ちは、願かけに近い。


白き槍の女神アルテミスランサー……」


 手に取り、その名を口にする。

 あんなにカッコいいと思ったのが、こっ恥ずかしい。でも七瀬先生の話を聞いた今、本当の持ち主の名前よりはいい。


 どんな大人になったか、自分の目でたしかめたい。また憧れてしまう人でも、そうでなくても、オレの手から返したい。

 すぐには勇気が出なくても、必ず。なんて格好をつけ、机の上にコマを戻した。


 学校までの風景も連休前とまったく同じ。

 神社の森ブロッコリーが、少し青々したか? 情緒不足のオレには、確信が持てないけれど。


 土原学園も変わらずあった。

 誰かさんへ言ったみたいに、ちょっと吹っ飛べと思ったりもした。が、それは困ると思い直した。

 ポニー先輩や明椿さんとの接点は、ここにしかない。


 たくさんの女子たちに交じって校門を抜ける。それだけで、ゆうべ苦しいくらいに膨らんでいた胸が一気に萎んだ。

 校庭の側から下足室へ。靴を履き替え、すぐ目の前の階段へ。

 一歩。また一歩。進むたびに息苦しく、足のおもりが増していく。


 八時二十五分の予鈴が鳴った。そこでちょうど、空き教室一つ分の距離が残る。

 学校じゅうを包むガヤガヤした声は、収まる気配がない。このうちどれくらいが、一年A組のものだろう。


 どれだけあっても、オレに縁のあるものはない。楽しげな声がだんだんと、鉄条網バリケードに見えてくる。

 這っていきたいのを堪え、廊下と教室の境を越えた。


 部屋の後ろ。なんの声も発しないオレ。

 自意識過剰と言われても、なんで見るんだよと言いたい。

 ほんの一瞬、何者かたしかめる視線。落胆の色に変わり、逃げ去る時間はさらに短かった。


 気づかないふりで、ただ自分の席だけを見据え、歩く。辿り着きさえすれば、そこに居るなとまでは言われない。

 すっかり抜け殻になった身体を、ゆっくりと椅子に置く。ほっとひと息も、誰に悟られないよう鼻からゆっくり。


 あと数分。津守先生が来れば、授業と小休憩の繰り返しだ。昼休憩と放課後を夢見ていれば、どうにかやり過ごせる。

 例によって必殺の、寝たふり。目を閉じてから、明椿さんの存在を思い出した。


 しまった、自分の席にいるのかさえ見なかった。もしかするとオレを見て、手を振るくらいはしたかも。

 これはうぬぼれとまったく思わず、机に伏せたまま覗き見る。


 銀縁メガネの女子はいた。隣の席に、連休前となにも変わらず。二つに縛った髪も、鋭い眼も。

 手にした本を閉じ、カバンに収め、まっすぐ黒板へ向かう姿勢も。キツネ女子の視線がオレに向くことはなかった。


 そんなところまで元通りか。

 せっかく白くした角を、トイレへ立った間にひっくり返された気分だ。

 はいはい。元通り、元通り。

 ショックじゃないと強がり、視界を黒く閉ざす。


 間もなく授業が始まり、連休前と違う点に気づいた。授業の内容が進んでいる、とかではなく。

 このクラスに属する、オレ以外の男子の髪色だ。


 田村は伸ばしっぱなしのボサボサ頭、俵はいわゆるぼっちゃん刈りで、どちらも自然な黒髪だった。

 それが二人とも短く刈り込み、茶色く染めている。いつぞやの茶髪女子みたいに派手でなく、気づく奴は気づくくらいの。


 すると、と察して教室の真ん中を見れば、やっぱりだ。茶髪女子も同じような色に変わっていた。

 二年や三年の先輩を見ていると、もう少し明るい髪色の人もいる。

 だからこれくらいは生徒指導も入らないんだろう。連休を挟んで、ほとぼりが冷めたってことか。


 小休憩の過ごし方も、雑貨やらファッションの雑誌を広げる。俵は知らないが、ゲーム誌しか触れたことのない田村が。

 スマホを使うのも対戦ゲームではないらしい。画面を女子に向け、次に買う物はどれかなんて会話が漏れ聞こえた。


 奴らの机に女子が座り、ときに膝の上へ。やけに近い距離は、どういうことだ。

 どうもこうも、田村たちは充実した休みを過ごしたに決まっている。なんだか途轍もない敗北感で、早退しようかと思った。


 どうにか押し潰されず、昼休憩までは乗りきれた。

 職員室で鍵を借り、北校舎の階段を上る。やはり連休前と同じだが、これは変わりないのが嬉しい。


 二階から三階へ差しかかると、もう着いてくる足音も――ある。

 踊り場で立ち止まり、さっと振り向く。と、目を見張る明椿さんがいた。

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