第47話:秘めた姿

 山と山に挟まれた僅かな平地を、大きな川が駆ける。オレのソフトボール投げの記録では、半分も達しないような幅の。

 どこまで行っても、視界の何割かを緑が占めた。この街が八大都市の一角とは、ちょっと訝しく思う。


 昨日の芦野川は山が遠かったけれど、そこまでに田畑も多く見えた。土原学園のある町とも、建つ家の数が段違い。

 でも車窓から見える景色の印象は「山ばっかり」だ。


「だね。都会なのに田舎っぽい」


 振り返ると、ポニー先輩も窓の外を眺めていた。オレと同じ感想を得たらしい。

 やがて交通量がシャレにならなくなってきた。周りの何百メートルかに、オレたちの街を走る全ての車を注ぎ込んだようだ。


 川幅に負けない広い道路は、それでもスムーズに流れていく。そしてやっぱり手を伸ばせば届く距離に、山がそびえる。


「着いたが入れんな、ほかの駐車場を探してくる。お前たちは先に行け」


 高層ビル群を半包囲する、碧い山々。不思議な景色の都心部に入ってすぐ、七瀬先生は車を止めた。

 目の前に高い生け垣と、満車と看板の出された駐車場。


 言う通り、赤いアルカードは走り去った。残された三人、なぜか顔を見合わせて笑う。

 オレも笑った。理由は分からない。

 先輩と明椿さん。二人を見ていると胸の奥がほの温かく、くすぐったくなった。


「行こ」


 延景園えんけいえんと大きく記された入り口へ向け、先輩は細い背中を押す。ここが明椿さんの選んだ、探訪の場所だ。


 たぶんオレの身体よりも太い木で組まれた、真っ黒な門。踏み入ると、白い地面が何十メートル四方に拡がった。

 そこここに白い石で囲われた緑の島が浮かび、梅や桜なんかの木々が植わる。今は花がなかったけれど、たぶん時期には凄く綺麗だ。


 その代わり。なんて言うのも申しわけないくらい、これから行く先を示すみたいに細く長く、ツツジが咲き誇る。

 口を噤んで一歩ずつ、味わうように明椿さんは進んだ。

 並んでいた先輩もオレの隣へさがり、「綺麗だね」と唇の動きで言う。なんだか邪魔をしないように、という気持ちはきっと同じ。


 ひと言で表すなら、日本庭園というやつだ。門から見えた景色の端まで行くと、時代劇に出てきそうな建物に出くわした。

 茶屋にしては大きい。いや、武家屋敷か。

 赤い敷物で、お茶を点てる準備がしてあった。建物の中に、着物の人がたくさんいるらしい。


 明椿さんは、お茶の道具をじっと見つめる。それはたぶん、好物を見つけた時の七瀬先生よりも熱く。

 当人の足で七歩くらい。そこへ結界でも引かれてるのかって風に、それ以上は近づかずウロウロとした。


 先輩の目配せで、少し離れたベンチに向かった。

 深い翠の松の傍。武家屋敷に背を向けると、右を向いても左を向いても、目に映るのは池ばかりになる。


 並んで座った合間は二十センチ。この距離をなんと呼ぶんだろう。

 なんて、うぬぼれる気にもならない。それは距離が違っても、明椿さんとも同じ呼び名。なんなら園外の先生とだって。

 だけどしばらく、この空気を堪能してもいい。こんな居場所の呼び名をやはり知らないけど、間違いなくオレには権利がある。


 明椿さんの気がすむまで、ぼんやり待った。どうしているか、振り返ることもせず。

 高いところでトビが鳴き、目を回さないか心配になるほどぐるぐる回る。

 近くの松の向こうへザァッと落ち、すぐさま元の高さへ舞い戻るのも見た。十センチ先で聞こえた「きゃっ」と驚く声に悶えながら、「大丈夫ですよ」と笑ってみせたり。


 そんな時間がいくらか過ぎた。言ったところで、昼ごはんにもまだまだ遠い。

 先輩の指が池の鯉をさした時、後ろから声をかけられた。地獄の底へ呼ばれたような、低い低い女の声で。


「おい、なにしてる」

「わっ!」


 完全に油断していた。先生の声とはすぐに察したけれど、不意を衝かれてベンチを立った。

 ポニー先輩が目を瞑ったのは、おそらくオレの叫び声のせい。


「先輩、見嶋くん。待たせてごめんなさい」


 背後に立つ先生の横に、明椿さんもいた。なぜか大きな紙袋を両手で提げ、ついでに頭も下げる。


「ここは明椿さんが来たかったところだもん。気にしないで」

「でも団体行動ですし」


 先輩の言う通りなのに、真面目な銀縁メガネは頷かない。ますます肩を窄める姿を見て「じゃあ」と言ったのはオレ。


「明椿さんを放ったらかしたのはこっちだし、こちらこそごめん」

「ええっ?」

「あっ、そうだね。みんなで共有しなきゃいけなかった、私もごめんなさい」


 ベンチを挟んで三人、真ん中へ頭を寄せ合う。これはいつ顔を上げていいか、困ったのはオレだけか?


「大岡越前ごっこはもういい。明椿、まんじゅうをくれ」

「あっ、はい」


 辛抱のない人だ。おかげで揃って頭を戻し、苦笑で話が終わったが。


「売店で売っていた。お前らも食え」


 提げた紙袋から、白と緑の小さな包み紙が出てくる。どうやらお菓子の個包装で、先生は受け取るやすぐさま中身を口に放り込む。

 もちろん明椿さんはオレにもくれた。十センチくらいの四角い包装が、見た目に反してずっしり重い。


 中も四角い焼きまんじゅうだ。ふわっと柔らかい手触りで、かじってみるとあんこがたっぷり。これなら重いはずで、三つも食べれば昼ごはんを抜いてもいい。


「ねえ明椿さん、茶の湯に興味があるの?」


 誰からとなく。スペースを譲り合い、四人でベンチに腰かけた。

 先生がまんじゅうの四つめを食べ終わるころ、先輩が問うた。


「え……」


 一つめのまんじゅうを持つ手が止まり、明椿さんは後ろを向く。しまったというように細めた目は、さっきの赤い敷物の辺りへ。


「だってここ、上田うえだ宗箇そうこ流にゆかりがあるんでしょ?」

「ご存知だったんですね」


 ウエダソウコリュウ、がなんのことやら知らない。しかし気まずそうな明椿さんを目にして、なにそれと聞かないだけの堪え性はあるつもりだ。


「延景園って聞いて、でも知らなくて。なんの本に関係あるのかなって調べただけ。ごめんね」

「謝っていただくことはないですよ」


 残った焼きまんじゅうを恨めしそうに見つめ、明椿さんは口へ放り込む。咀嚼する間は喋らなくていい、と考えたわけではないと思う。


「そうです。ここは戦国武将でありながら茶人でもあった、上田宗箇の手がけた庭園です。相反する立場なのに、どちらも一流って凄いなと。来てみれば、なにか感じるかなと思いました」

「凄いねえ」


 相槌みたいなひと言で、先輩はそれ以上を聞く気はないようだった。バッグから小さなペットボトルを取り出し、少しずつお茶を飲む。


「……本当は、お茶をやってみたかったんです」


 食欲の権化がまんじゅうの七つめに取りかかるころ、ポソッと声が漏れ落ちた。

 歴史ある道場の、父親を支えたいと言った娘。それくらいやればいいじゃないかと出かかったが、たぶんダメだなと踏み留まる。


「やらせてと言えば、きっと反対されません。でもお母さんを裏切るみたいで。いえ、お母さんもそんな風に考えないと分かっていますけど」

「そっか――言わせちゃってごめん」


 雲ひとつない高い空。いつの間にか、トビの姿はなくなっていた。

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